工事中 ページの先頭へ ページの下段へ 城跡のあれこれ

(29)訪城覚書サブMENUへ戻る
訪城年月日 城跡名称 C o m m e n t
2004/11/08 青木の不詳の遺構

 青木の別所屋敷のすぐ南西に所在する不詳の遺構

2004/11/08 青木の別所屋敷

 青木氏の館という説、勝呂氏関係の館との説も

2004/10/29 青木堀ノ内付近の遺構

 遺構は明確に存在するも、歴史的経緯や名称も含めて不明。

2004/12/25 青木の堀跡

 遺構はありますが、歴史的経緯や名称も含めて全く不明。

2004/10/18 浅羽城

 遺構が存在しないこととは対照的に数種類の絵図が伝わる。萱方城とも。

2004/10/29 大河原氏館

 浅羽氏の一族大河原氏の鎌倉期の館跡と考えられている。

2004/09/18 大穴城

 大堀山の城跡群から南東に1kmも離れていない東坂戸団地の公園。五反山、御殿山とも。

2004/11/14 大塚館

 地元ではケンアン屋敷と呼ばれたことから、北条幻庵に関連する居館とも。

2004/11/08 大家城

 東武越生線西大家駅から徒歩1分の森戸神社の境内そのもの。

2004/12/12 塚越の構堀屋敷

 県道269号線沿いにある林家の構堀

2004/11/22 北浅羽館

 北浅羽の万福寺境内周辺が浅羽氏の本拠地の館跡として推定。

2004/10/29 小島氏館

 付近にある西光寺の塚越城とも関係の深い比企氏の家臣小島氏の屋敷または館跡。

2004/11/07 小島氏屋敷

 東隣にある西光寺の塚越城とも関係の深い比企氏の家臣小島氏の屋敷跡。

2004/10/18 三福寺陣城

 北側の墓地に郭跡が。天正18年の秀吉の関東攻めの攻防伝承。(2004/10/29再訪城)

2004/09/30 住吉館

 坂戸市内では第一級品の土塁の規模の大きさに圧倒。 

2004/11/06 勝呂豊前守館

 具体的な遺構はない。後北条氏の時代に代官として石井、塚越村の在地支配を行う。

2004/11/06 勝呂氏館

 真言宗大智寺境内、南側に多少の土塁と空堀跡、北側の竹林にも二重土塁状遺構。

2004/11/14 善能寺館

 西側の円状の土塁は古墳との関係があるのだろうか。

2004/11/14 善能寺塁

 北側の道路沿いに残る二重土塁は比較的良い状態で残る。

2004/10/18 大法寺館

 堀込の大法寺館、堀込館、多田氏陣屋とも。(2004/10/29再訪) 

2004/10/18 田波目城

 多和目城、大崖の城とも。一説に毛呂氏の家臣の宿谷氏の居城との伝承が。 

2004/09/18 塚越城

 「塚越西光寺館」とも。竹林の中にひっそりと土塁が。

2004/11/22 長岡氏館

 浅羽氏の一族長岡氏の館と考えられる。後北条氏の時代には原上総介の領地。

2004/12/25 平山氏陣屋

 後北条氏の家臣桧原城主平山長寿の陣屋、在地領主の平田氏が代官を勤める。

2004/09/30 法音寺館

 鎌倉初期の館跡という。

2004/10/29 堀込の城

 出枡状の土塁や食違い小口が残り、西側の土塁・空堀の折もしっかり残る。

2004/12/12 小沼の堀ノ内屋敷

 小沼氷川神社の東側に50mほどの空堀が残る。

2004/11/06 塚越の明泉館

 鎌倉期の館跡。南西の隅に意外なほどの規模の物見台土塁。(2004/11/08再訪城)

2004/11/25 森田氏屋敷

 北西側に延びる200m以上の折のある堀跡に目を見張る。