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不詳の遺構(青木別所屋敷の南西側)
関連ページのリンク  2004/11/08の日記  明泉館 青木の別所屋敷
所在地
埼玉県坂戸市青木別所933の東側付近
歴史と沿革

 不詳の遺構。

確認できる遺構
土塁、空掘
構造的特徴および周辺の地理的特徴

 館のある場所自体は全くの平坦地で、東側直線150mに「雷電塚古墳」があり、また南西方向にはほぼ同じ距離で明泉館があります。つまり明泉館から徒歩で2、3分の位置にあるという訳です。おそらく同時代のものと考えられるこの二つの館跡の関係にも興味が沸く所です。

参考資料、古文書、記録

「坂戸市史」(1992年坂戸市教育委員会編集/坂戸市発行)
「坂戸の歴史--坂戸市文化財ガイド」(1992年坂戸市教育委員会編集発行)
「坂戸市史--中世資料編1」(1987年坂戸市教育委員会編集/坂戸市発行)
「坂戸風土記--坂戸市史調査資料第1号」(1978/坂戸市教育委員会発行)
「中世の坂戸」(1996年坂戸市教育委員会編集発行)
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)  

文化財指定
訪城年月日
2004/11/08
訪城の記録

( 2004/11/08 )
■青木の別所屋敷は多分この一角だろうと道路わきに車を止めさせていただき徒歩で探索。最初に目に入ったのが、933番地の竹林の中の微妙な地面の高まり.....例によって余り気にしないことにして道路を東側に進んでいくと、歩道の設置工事を行ったせいで平地林の土が崩れかかっているやや小高い一角が直ぐ目に入りました。
 道路の反対側の畑と比べると歩道を含む約8m幅の道路により分断されているものの、明らかに山林側の方が60cmメートル以上高くなっていることが分かります。道路の工事の関係の残土ということもありそうですが、どうも気になり東側の農道から入っていくと、ありました、ありました。
■思いのほか、結構立派な空堀と土塁が。内部は一部が墓地となっているものの、下記の写真のような複雑な空堀と土塁の配置が確認でき、予想以上の収穫に充実した気分になりました(^^)
 しかし、残念ながらこの場所が絶対に青木の別所屋敷跡であるかどうかの確証はありません。帰りがけに自分の歩幅で計測すると、北側では地面の高い所の部分で一辺が80mぐらいの長さがあることが分かりました。つまり明泉館の規模にほぼ近いという訳です。あくまでもいい加減な推測ですけど(^^;

( 2004/12/25 )
■やはり、この場所は明らかに青木の別所屋敷ではないことが判明しました。本物の方は道路を挟んでほぼ対角線の北東側でした。では、この遺構は何かというと、これが皆目分かりません。あまりにも近接しているので青木の別所屋敷と関係するものなのかも知れませんし、ますます謎が深まるばかりに....。

 
■道路から見るとほとんど分かりませんが、東側からの耕作用の農道を入ると、樹木の中に意外としっかりした土塁と空堀が目に入ります。館の範囲や元の形状を窺い知ることは難しいようですが、取り敢えずどう見ても土塁と空堀のようです。ただこの遺構が確認できる一角は、一辺が40m位しかありません。つまり中途半端な規模になります。
■地元の鈴木家の墓所があり、一番古そうな年代のものが享保と刻まれていました。墓地はこの写真の右側にありました。
<<2004/11/08 撮影 晴れ>>
交通アクセス

 バス亭雷電塚入口の南西の角地付近


(2004/11/08 撮影)
 幅2間以上、深さ1.5mの空堀。ただし長さは25mあるかないかというものです。この堀は撮影位置の後ろで画面に向かって左側(北側)に90度折れて墓地の前を通っています。この空堀が最大のもので残りの空堀は一回り規模が小さく、その役割がよく分かりません。
 北東のやや高くなった辺りから全体を見るとこんな感じになります。空堀は直ぐ近くに規模の小さいものも含めて縦横に複数走っていて????という状況です。
 北側の道路から、城館跡の地面の高まりを写すとこんな状況です。この盛り土が遺構かどうかもはっきりとはしませんが、また小さく見える看板は確か「痴漢に注意」だったような....(^^;
 

 
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