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善能寺館 | |
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関連ページのリンク | 2004/11/14の日記 大塚館 大河原氏館 堀込の城跡 大法寺館 三福寺陣城 |
埼玉県坂戸市善能寺中山188付近 | |
■「坂戸市史」では「善能寺中山館跡」という呼称を提唱している。地元では善能寺塁をふくめて、小字中山と小字西山の地名から中西城と呼んでいたという。 | |
土塁、空掘 | |
構造的特徴および周辺の地理的特徴 | ■毛呂台地のほぼ中央部分に位置しており、地面は北西の善能寺塁に向かって緩く傾斜している。善能寺塁との比高差は3mから4m位と思われる。「新編武蔵風土記稿」の善能寺村の条には「陸田多く水田は少なし」と記され、一般的に現在の地形からみても水田耕作には適さない地域であると思われる。現在の地理では北の越辺川まで約1km、南の高麗川までは1.5km以上の距離を有する。また、両河川の間を流れている葛川までの距離でも南方600mの距離を有し、水不足で悩んでいたと「同稿」にも記されている。 |
「坂戸市史」(1992年坂戸市教育委員会編集/坂戸市発行) | |
無 | |
2004/11/14 | |
(2004/11/14) | |
民家の北側の防風林を兼ねた竹林の中に忽然とその姿を現す西側の高さ約3mぐらい、直径20m程度の土塁。竹林の中は薄暗く外側の道路からはほとんど見えない。形状から見て、円墳のようにも思えるのだが。古墳を土塁として活用している例は珍しくはないが、そういえば東松山市の高坂館の土塁の一部がそうでした。(後日調べた所、やはり古墳でした) <<2004/11/14 撮影 曇り>> | |
善能寺のバス停かららそのまま通りを150mほど北西に進むと、破損した板碑のある五叉路に出る。そこの右側手前の民家の竹林の中に遺構がある。県道39号線は新しい道ができているが、坂戸市役所方面からはどちらの道でもENEOSのスタンドの先を右折するのさえ間違えなければ大丈夫。ただ、この右折した道自体の幅員は狭いので行き過ぎないように。( 行き過ぎました (^^;) |
本人は空堀跡を撮影したつもりなのですが、例によってただの藪にしか見えません(^^; 深さは15cm、幅4尺ぐらいでしょうか。ただの雨水が流れた跡のようにも見えます。二本の木の間を手前から画面奥に向かってのびています。 | |
竹林と中世城館跡の組合せはよほど相性がよいのだろうか。今まで訪城した中でも、「西光寺の塚越城」「大智寺の勝呂氏館」「塚越の明泉館」「小代氏館」「野本氏館」といずれも竹林が目立っていた。その結果、遺構が良く残っている場合が多いようです。 | |
西側の土塁の頂上には不思議な直径1メートル、深さ50cmほどの穴が2つ並んでいました。孟宗竹の林ですので、伐根するとは思えませんし、筍ほりにしては穴が大きすぎます。 | |
東側の土塁。高さは1m程度ですが、これはよほど注意して観察しないと見つからない、というか竹林の中に溶け込んでいて良く見えません。西側の土塁との距離はざっと50mほどです。(後日調べてみた所やはり古墳の一部でした) |
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