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猪俣城の山野草

アクセスありがとうございます。     素人の趣味ですので不備や間違いなどが相当にあると思います。     もしお気づきの点がございましたらご指摘ください。  
猪俣城
関連ページのリンク  2005/04/22の日記  円良田城  花園城  花園御嶽城  鉢形城  金尾城  用土城  白石城 
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態6 探し易さ4 交通利便3 体力消耗3 歴史経緯2 印象3 総合24
所在地
埼玉県児玉郡美里町大字猪俣字城下2076
歴史と沿革

■「新編武蔵風土記稿」の記述によれば、「古城蹟 村の坤(南東)の方にあり、小高き山上にて、から堀土居り跡残れり、相伝へて猪俣氏の城蹟と云...」と記されている。
 「町史」では猪俣氏とのかかわりを持つ戦国期の鉢形城の支城の一つとしているが、天正18年の本城の攻防の際にどのような役割を果たしたのかは史実としては不明なようである。また地形・地理的に見て鐘撞堂山の方が標高も高く南側の眺望はそれほど優れないので、守りを固める城兵不在のまま放棄され廃城となったのかもしれない。

確認できる遺構
郭、堀切、狼煙台、竪堀
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■南東側の鐘撞堂山から続く稜線の北側の南北200mにも満たない、最高点で標高約310mの南北に細長い稜線に所在する。本郭を中心にして直線状に北側に三の郭、南側に二の郭を配している。二の郭は南側で比高差6m以上の急斜面を形成し、三の郭の北西側には比較的珍しい二重堀切なども確認することができる。西側の円良田側と北側の児玉方面の眺望が優れていることから、南側の秩父往還側の備えというよりは上野方面を意識したものかもしれない。
 「美里町史 通史編」には40人ほどの城兵が守備するのにふさわしいとあるが、40人はともかくとしても確かに合計で100人程度もいれば満員になりそうな広さである。

参考資料、古文書、
記録

「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「美里町史 通史編」(1986/美里町)   

文化財指定
訪城年月日
2005/04/22
訪城の記録

( 2005/04/22 )
小城でもなかなか見ごたえ、歩きがいが...
 さて円良田城から下山した段階で、時刻は既に午後二時近くに。時間の関係で別の方面に回ることもできず、多少藪が叢生していると予想されるので、些かの躊躇もありましたが、至近距離の円良田の谷を挟んですぐ反対の東側にある猪俣城へ。ここで「余湖さんのHPの情報が」たいへん役立ちました。途中の二ヶ所の分岐などは非常に迷うところです。左側が谷沿いの山道に入り緩やかに登っていくと左側の尾根が伐採されているところがあり、見晴らしがよさそうでしたので直登を敢行。そのまま城跡へ突入してもよかったのですが藪が酷すぎることや、方向を見失う可能性があるので途中から本来の道にもどり稜線の峠部分に到着。
 ここから左側の稜線を登ることもできそうですが、藪が酷そうなので山腹を迂回しその先の鐘撞堂山との分岐となる峠から、踏跡も寂しげな左の山道をたどっていきました。ゴルフと東側、北側で隣接していて、妙な感じもしますが城跡自体は確実に残されているようです。本郭の北側に残された「のろし台」と推定されている円形状の大きな窪み、蟻の戸渡り状の地形を形成する本郭と三の郭を繋ぐ通路、北側の二重堀切と見所は小さな山城ながら色々とあるようです。
 しかし、訪城の季節の季節としてはやはり冬季限定で、もうこの四月の中旬は木々の芽吹きもだいぶすすんでいるようで、もともと藪が叢生している状態を考えると訪城のギリギリの時期だったのでしょう。踏跡自体もあまり定かではなく、落ち葉も深く堆積し、稜線自体もかなりの急斜面で堀り切られていたりして、少なくともスニーカーでは危険なようです。二重堀切の先端から下山できるかな、などと考えたりしたこともあり、トレッキンクシューズなどで用意万端の状態でしたが、それでも二回ほど滑りました。一度は急斜面の堆積した落葉ごと、もう一回は何でこんなとこでこけるのだというような場所で...(^^; あっ、そうそう思わず茨の枝を掴みそうになったことも...(^^;
 猪俣城の稜線を往復したりしていたために、下山が完了したのは既に午後四時に。遅くも五時半までに自宅に戻らねばならない用事があり、やや焦りながらも駐車させていただいた場所の脇にある自動販売機で水分補給を行ってから、往路と全く同じルートを辿り帰路へ。
 帰りがけに寄居にある田舎風の手作り饅頭の店が以前から気になっていたので、栗饅頭、味噌饅頭、いちご饅頭、ブルーベリー饅頭などを土産として購入。ラジオの放送で知ったのですが今日はよい夫婦の日だそうで...そんな寄り道をしながらも予想した時間よりも早く自宅に到着。寄居の先から自宅まで一般道を正味一時間五十分で戻れたのは初めてでありました。
 しかし、このあと、猪股城で滑ったときに痛めたらしい右ひざがだんだんと痛みを増幅させ...この訪城覚書を編集している5月1日現在でも未だに完治していません(^^;

Best Shot?



 猪俣城へ向かう山道の途中から猪股城の本郭周辺と思われるピークが見えましたが、ここから見ても季節的にそろそろ山城廻には向かなくなってきていることが窺えます。
 ( 2005/04/22 撮影 晴時々曇 )
交通アクセス

・円良田湖北側の農村センターの先を東側に入り、そこから徒歩で40分あれば。いつもガイド の案内図です 地図 


( 2005/04/22 撮影 )

■円良田城の登口よりも100mぐらい南側の円良田湖よりの道路を西に入ります。
 写真の建物は円良田の農村センターという名称の地元の集会所のようなところで、そのすぐ北側の道を円良田湖の方から見て右折します。
 車はこの集会所の前の自動販売機の置かれた場所に止めさせていただきましたので、もちろん帰りがけに自動販売機で120円のジュースを購入(^^;
■左の写真の先の方にも写っている二叉路で、左の道は「美里ロイヤルクラブ」というゴルフ場へとすすむ道なので、ここから右側のやや緩い坂になっている細い方の道を600mほど東の方向へすすんで行きます。
■手前の左側の空き地に車を止められるような場所がありますが、どう見ても近所の民間方の駐車場所のようです。
 さて、舗装道路はここまでで、ここから道がまた二つに分かれていますが、ここから右側のいかにも山道らしい道を登っていきます。
 冬場のもっと見通しのよい時期ならば、この道を左に進み砂防ダムのある辺りから尾根に取り付けば二重堀切のある場所に到達するはずですが...もちろん途中の尾根筋から踏み跡さえ消滅してます。猪股城側から下ってきて砂防ダムが確認できる場所まで下りてみましたので多分間違いありません。なお、正面の看板は土石流に注意せよとの旨が書かれています。
■途中に斜面の樹木が伐採された個所があったので、周辺の景色を確認するためその尾根筋を這い上がると、実になかなかよい眺めが眼前に広がっていました。
 正面の遠くに見える山が多分標高668メートルの登谷山で、その手前に荒川が右から左方向に流れています。花園城と花園御嶽城は右側の山の陰になっていて直接は確認することができません。また、北条氏邦の命令により武田、上杉の軍勢が秩父往還や児玉町方面からの進入する際に、早鐘を撞いて危急を知らせる鐘撞衆が置かれたとされる標高330mの鐘撞堂山は手前の左側に稜線の一部が写っています。
■正面の新緑の木々の間から見えるのが円良田城です。こういう光景からも埼玉の山城は11月までは訪城は中断のようです。
■さて、そのまま猪俣城への踏み跡でもないかと探してみましたが、身動きの取れないぐらいに木々が叢生しているため断念し、多少の藪こきをして元の道にもどり、暫く進むと峠のような視界が開けた場所に出ます。
 この先の所から左側の稜線を登れば円良田城の南西側の尾根筋からの入城となりますが、踏み跡も殆どはっきりせず、加えてヤマツツジの枝を折り山野草を踏み潰して進むようになりそうなので断念しました。
■円良田城の南側の谷沿いの巻き道を暫く進むと鐘撞堂山への分岐のある峠に到着。正面がだいたい用土城のある方角です。
■分岐といっても猪俣城への道は何も標識がなく、ご覧の通り踏み跡も些か心許ない状態ですが、道に迷ったとしても北側はすぐゴルフ場ですのでそれほどの心配は要らないと思います。
 しかし、4月中旬でこの状態ですから、間違っても5月から10月の間の訪城は止めておいたほうが良さそうです。
■人の声がするので、声の聞こえた方向に進んでいくとプレイの真っ最中でした。あちらは優雅な平日ゴルフでこちらは物好きな無名の山城めぐりで...(^^;
■比高差6m以上の本郭の南側の二の郭の斜面は木の枝に掴まらないと登れない、降りられない。
■本郭北側にある三の郭に至る両側が切落とされた細い稜線。写真手前が本郭側。
■本郭北側の腰郭部分を北側の三の郭の先端から見上げた画像。
■本郭北側の三の郭。どう見てもただの平坦部分にしか見えない向きも。
■城跡の北西部に位置する二重堀切の本郭寄りの部分を横から撮影...というような説明を付さないと訳の分からない画像。あと1ヶ月早ければもう少しまともな画像となったかもしれませんが。
■二重堀切の先端部分から撮影。何とか二重の堀切が重なって見えるような...この下の方で一度滑って...(^^;
■本郭の南側部分。これもどう見ても只の春先のヤブにしか見えません。
 
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