アクセスありがとうございます。 最初はホームページづくりの日記のようなもので始めたのですが。 時々ネコも出てきます。 もちろん、城跡めぐりも出てきます。 早い話、身辺雑記のようなものです....はい。
 
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・2005年4月28日    お蔭様で100訪城を達成
           

 お蔭様で何とか昨年の2004年8月以来の訪城数が累計で100ヶ所になりました。昨年の秋ごろはとても100ヶ所は回れそうもないし、HPの更新もできないのではないかと思っておりました。これもひとえにHPをご覧いただいている皆様のおかげです。HPのアクセス件数も順調に増加し一日当たりの実数も50件前後と、月間ベースで1500件もご覧いただくようになって来ました。大変ありがたいことで、ご訪問いただいている方にはお礼の申しようもありません。
 これから季節が初夏から夏に向かいますので、今までのような山城や藪の多い遺構は訪城が難しくなってきます。そこで暫くは、首都圏の近県を含む城址公園的な個所を中心にして訪城しようかと思っています。また、山野草など植物の画像にも少し凝りはじめましたので、そうした部分でのページも増加していくと思われますが、これまでと同様に末永くお付き合いいただければ幸いです。



 鉢形城出城の円良田城南側の急斜面に咲いていたスミレ。
2005年4月22日 撮影



・2005年4月26日    だんだん大きくなってきた子ネコたち
           

 2週間前に生まれた子ネコたちが、だんだん大きくなってきました。一匹だけまだ目が完全に開いていない子がいますが、とりあえず元喜に育っている様子です。よく見てみると一匹ずつ毛の色も微妙に違い、三毛猫もいれば、白と黒のツートンカラーもいるし、鼻の頭が黒いのもいたりしてそれぞれ個性があります。
 まだ、母ネコの傍から離れようとすることは殆どなく、何時も写真のように重なり合ってうごめいているという感じです。これで、そのうちにちょこまかと動き始めるようになると、それはそれで手がかかることになりそうです。



 娘はこの三毛猫風の子が一番気に入っているようです。母親のポミはかなり育児疲れのようです。



・2005年4月24日    子ネコが目を開けた
           

 10日前に生まれた子ネコたちが目を開け始めました。5匹のうちの3匹ですが、一匹は両目とも完全に、もう一匹は片方だけれども大きな瞳、そしてもう一匹は間寛平に似た面立ちで...弱った。今のところ3匹の引き取り先が何とか確保されているようです。多分、その「寛平」を含む2匹が売れ残ることになりそうです。



 手の上に載せるとか細くミイミイと鳴き、生えたばかりの爪を立てて体を捩って母猫の方に行こうとします。



・2005年4月22日    春の嵐の円良田城と猪股城
           

( はじめに )
 予定では円良田城、雉岡城、金窪城など数ヶ所をほっつき歩くべく午前九時過ぎに自宅を出発。にわか雨と時折吹き抜ける春の突風の中を寄居方面に向かいました。経費節減のため、もちろん関越などを使わず一般道の国道254線で。途中公用の団体見学のお礼に鉢形城歴史館に立ち寄り、その後は花園城と花園御嶽城の間の狭い道を抜けて円良田湖方面に。円良田湖では平日にもかかわらず釣り人が釣り糸を垂れていました。何時もながら暇のある人は結構多いものだと感心しますが、もっとも当方は山城めぐりと山野草探しで...(^^;
■円良田城
 登山口がいくつかあるようで、地元の方に確認して一番南側の臨時のカタクリの自生地の案内標識が併設された場所から西側の谷に沿って集落の舗装道を上がっていくと、すぐに小さな橋のかかるカタクリの自生地へ向かう左側の道と右側の円良田城への道が分岐に出ます。帰路に分かったことですが、カタクリの自生地の手前まで車で行って駐車し、そこから谷を右にわたって渡ってハイキングコースに入るほうが多少は近道のようです。
 道々タチツボスミレ、ヤマブキ、オオイヌフグリなど春の山野草を愛でつつというか撮影しながら登っていくので、時間の割にはなかなか先へと進まず、谷沿いのハイキングコースのだいたい右側の斜面にかなり後の時代のものと思われる結晶片岩の石積が様々な形態で点在し、その年代や意味や役割を含めて思案しながら...どうにかやっと峠の部分に到着し、円良田城の方向を見上げるとまだまだかなりの登りがありそうな感じが。しかし東側の樹木がそっくり伐採されているので、この稜線からは遠く寄居方面と思われる平野のひろがりを目にすることができました。
 また途中、幾度かセメントの原料となる石灰岩を満載した秩父鉄道の貨物列車の警笛を耳にしましたが、それが何とものどかに山々に響いておりゴロリとその辺りの草原で昼寝でもしたくなるような...さて、その先も途中ヤマツツジ、ヤマザクラ、スミレの一種なども咲きみだれ、デジカメの絞り優先機能と、接写の昨日を確認しながらの行動のため、結局本郭のある山頂に到着したのは登り始から50分後ということに。持参してきた縄張り図の方位を勘違いしたりしていたのこともあり、最後の丸太の階段登りにはいささか閉口しましたが。西側の大槻峠まで車で行って往復するコースのほうがはるかに体力的には楽なような感じですが、カタクリの自生地もあるし山野草を愛でるにはこちらのほうがいいのだなどと独りごとをいってみたりして...(^^;
 さて肝心の城跡の方は主郭の手前の腰郭で方向と現在位置を確認して、全体の把置関係の把握に成功。まず西側に伸びる部分の探索に。その前に主郭との間の堀切を確認。この堀切は全体の中で最大の規模があり、本郭との比高差は約十m前後はありそうです。さらにその先に進んでいくと小規模な堀切が二ヶ所ほど確認できますが、どこまでが城跡なのか判断のしにくい結晶片岩の痩尾根となって続いています。
 また、東側のほうの様子は一段低い腰郭が続きその先の郭には僅かに石積が確認できます。またその更に先の左側の斜面には井戸跡と呼ばれる結晶片岩が露出した遺構がありますが、この当たりは斜面で足場も悪いので足元に注意が必要です。また、本郭南側の急傾斜見せる尾根にも二、三段くらいの半円形の小規模な腰郭を確認することができます。
 それにしても、そろそろハイキングの季節であるというのにほとんど人に会うことがありません。昼時をはさんで都合二時間ほどの在城でしたが、結局最後まで円良田城ではまったく人に会うこともなかったのです。最近山城をよく廻るようになりましたが、人に出会ったのは大築城の1名だけで本当に人と出会うことがありません。
■猪股城
 さて円良田城から下山した段階で、時刻は既に午後二時近くに。時間の関係で、多少藪が叢生していると予想されるので、些かの躊躇もありましたが、至近距離の円良田の谷を挟んですぐ反対の東側にある猪股城へ。ここで「余湖さんのHPの情報が」役立ちました。途中の二ヶ所の分岐などは非常に迷うところです。左側が谷沿いの山道に入り緩やかに登っていくと左側の尾根が伐採されているところがあり、見晴らしがよさそうでしたので直登を敢行。そのまま城跡へ突入してもよかったのですが藪が酷すぎることや、方向を見失う可能性があるので途中から本来の道にもどり稜線の峠部分に到着。ここから左側の稜線を登ることもできそうですが、藪が酷そうなので山腹を迂回しその先の鐘撞同山との分岐となる峠から、踏跡も寂しげな左の山道をたどっていきました。ゴルフと東側、北側で隣接していて、妙な感じもしますが城跡自体は確実に残されているようです。本郭の北側に残されたのろし台と推定されている円形状の大きな窪み、蟻の戸渡り状の地形を形成する繋ぐ通路、北側の二重堀切と見所は色々とあるようです。しかし、訪城の季節の季節としてはやはり冬季限定で、もうこの四月の中旬は木々の芽吹きもだいぶすすんでいるようで、もともと藪が叢生している状態を考えると訪城のギリギリの時期だったのでしょう。踏跡自体もあまり定かではなく、落ち葉も深く堆積し、稜線自体もかなりの急斜面で堀り切られていたりして、少なくともスニーカーでは危険なようです。二重堀切の先端から下山できるかななどと考えたりしたこともあり、トレッキンクシューズなどで用意万端の状態でしたが、それでも二回ほど滑りました。一度は急斜面の堆積した落葉ごと、もう一回は何でこんなとこでこけるのだというような場所で...(^^; あっ、そうそう思わず茨の枝を掴みそうになったことも...(^^;
( おしまい )
 猪股城の稜線を往復したりしていたために、下山が完了したのは既に午後四時に。遅くも五時半までに自宅に戻らねばならない用事があり、やや焦りながらも駐車させていただいた場所の脇にある自動販売機で水分補給を行ってから、往路と全く同じルートを辿り帰路へ。帰りがけに寄居にある田舎風の手作り饅頭の店が以前から気になっていたので、栗饅頭、味噌饅頭、いちご饅頭、ブルーベリー饅頭などを土産として購入。ラジオの放送で知ったのですが今日はよい夫婦の日だそうで...そんな寄り道をしながらも予想した時間よりも早く自宅に到着。寄居の先から自宅まで一般道を正味一時間五十分で戻れたのは初めてでありました。このあと、猪股城で滑ったときに痛めたらしい右ひざがだんだんと痛みを増幅させ...(^^;


円良田城の麓の道路わきに咲いていた木蓮( 左 )と稜線の山ツツジ。

堰堤の上から撮影した満々と水を湛える円良田湖の( 左 )と現在のところ名称不祥の山野草。
 たぶん花の色と形状、花弁の枚数生育環境などから考えて、キンポウゲ(金鳳華、別名ウマノアシガタ)のように思えるのですが、葉の形を含む全体の様子を写してこなかったので確証がありません(^^;




・2005年4月21日    子ネコが子ネコを生んだ...
           

 娘の飼い猫のポミが一週間前に五匹の子ネコを産んで、獣医から全部は育たないといわれていたらしいのですが、予想に反して全部順調に育っているようです。二匹は引き取り先が決まっているような話ですが、残りの三匹が決まっていません。ことによって全て育てるようなことになれば、娘の部屋は完全に猫屋敷状態になります(^^;
二、三日前に様子を見に覗きに行ったらかなり警戒されて、ポミなりに懸命に威嚇していました。一昨日辺りから大分落ち着いてきたようで、近くによっても殆ど身構えるようなことはなくなりました。というよりも、写真の通りだいぶ育児疲れのご様子ではないかと。五匹とも全部白地に黒の模様のあるツートンカラータイプですが、そのうち鼻の頭の黒い子が一番覚えやすいようです。その一匹を手にとって抱き上げましたが、ふわっとした軽さで200グラムもあるかどうか...あまりの軽さに不安になります。幸い季節はどんどん暖かくなっていくので、子育てには好都合のようですが。


ちゃんと五匹いるのですが、だまし絵若しくは隠し絵状態になっています。

クレーンゲームのマスコットよりも小さい存在ですが、あくびをしたりするとちゃんと猫に見えます。



・2005年4月19日    寄居方面への随行
           

 仕事で高齢者の方々の団体を寄居方面への研修に随行しました。およそ70歳から82歳ぐらいまでの高齢者男女合わせて総員22名。本来2名の随行の予定でしたが事情により自分だけの1名となりましたが、これといって大きなトラブルもなく、もちろん事故もなく無事に終了して、まずはめでたしめでたし。好転に恵まれたのが何よりで一日ずれて翌日のような雨模様の肌寒い天気では果たしてどうなったことやら...というのも、何を隠そうこの日記は翌日の4月20日に書いてます(^^;


春風にそよぐ鯉のぼり



・2005年4月17日    植物の接写に凝る
           

 植物の接写に凝っています。古民家の庭先のシャガ、こぶしの里のツツジ、しぶとく残っているキンカン、ひっそりと咲いていた二輪草などを撮影してみました。オートフォーカスのピンと合わせの癖に慣れるには丁度よい被写体ではないかと。


咲き始めたつつじ(左)と小川の畔のアヤメ科のシャガ

アヤメ科のシャガ。別名胡蝶花とも。
優雅な見かけによらず日当たりのよくない場所でも生育しますが、花の命はたった一日。

数日は咲き続ける二輪草(左)と鳥にも虫にも負けないキンカンの実



・2005年4月15日    鉢形城の画像追加
           

 余りできは良くないのですが、鉢形城の画像を何枚か追加して、ついでに以前から気になっていたHPの形式を変更しました。要した作業時間は合計にして約6時間ほど。効率的な手法が見当たらず、ジオシティーズのファイルマネージャーを左右に並べて、少しずつコピペしながらの移行作業でした。ほかにも20件以上移行しなくてはと思っているページもありますが、能力が伴いそうにもないので当分凍結しておくようです。
 新しいデジカメの操作に不慣れなため、いまひとつその機能を生かしきれていないようで、やや焦りながらの訪城がしばらく続くかもしれません。それにしても構図、ピントあわせ、露出調整、ホワイトバランスなど....土塁と空堀の写真は本当に難しい。



金尾山城のツツジ



・2005年4月14日    久々の訪城、子ネコも出産
           

 娘の子ネコのポミが出産しあっという間に五匹の母親になってしまった。どうも以前から顔の大きさの割りに胴体が太くなったとは思っていたのですが、娘が動物病院に連れて行ったときはすでに人間ならば臨月で...。
 まだ目も開かない体長10センチ程度の小さな命が生まれました。すでに二匹だけは引き取り先が決まっているようですが、さて残りはどうしたものかと。

 休みを取って久々の訪城となりましたが、半分以上は仕事がらみということで。鉢形城歴史館の団体見学の依頼とその申込書の提出およびコースの下見が仕事の部分。
■鉢形城
 昨年の夏以来7ヶ月ぶりの訪城です。鉢形城歴史館も開館し、城址公園としてポイントごとに標柱や説明版の設置などもすすみ見学者には親切な環境が整備されました。復元整備に関しては様々な評価があるとは思いますが、文化財の整備保全には経費もかかり一定の観光的な要素も考慮しなければならない事情もあるようです。今後は花園城や花園御嶽城などの最小限の歩道や説明版の整備も合わせてすすめていけるとよいのですが、その整備状況のあまりの落差に愕然とします。それにしてもちょうど桜が満開で、仕事に来たのか花見に来たのか微妙な所ではありました。ここで、少し古い本ですが地元の郷土史家の書かれた北条氏邦の本(金2千円也)を購入。

■金尾城(要害山)
 3月28日に天候不良のため訪城をあきらめた場所です。長瀞ゴルフクラブの隣の荒川を見下ろす尾根の先端に位置しています。現在レンゲツヅジなどの開花の時期に当たり、今度の大型連休あたりはかなりの見ごろになりそうです。ソメイヨシノやヤマザクラはちょうど見ごろとなっていて、ここでは完全に花見になってしまいました。本郭と二の郭付近は公園として整備されたいへん歩きやすいのですが、南側の三の曲輪のあたりは足元も見通しも悪く途中で探索を断念しました。やはり藪の状態から考慮すると厳冬期しかないようです。また、今回はデジカメの試し撮りも兼ねているために、植物の接写などをしてだんだん訪城の目的から遠くなってきたような状況になっています。しかし、元々趣味で始めた訳ですから、より広範囲で多面的な要素があった方が将来的に長続きしそうな感じもしますので、これも一つのやり方だと思っています。

■白石城
 場所自体もあまりよく分からず、土砂の採掘によりかなり破壊が進んでいるとのことでしたが、確かに西側部分では半分ぐらいが削り取られているように思えました。また、中腹より下部は全体的に篠竹が密生していて、何とか切り落し部分らしきものと、構堀の一部らしきものを確認できただけで全体としての状況を掴むまでには至りませんでした。

■用土城
 北条氏邦に家督を譲った用土新左エ門(藤田康邦)の居城であったとされています。しかし、大正時代に農地として開墾されたために、推定地とされる場所の西側の小さな児童公園の入口に石碑が建てられているだけです。西側に緩やかな丘陵があり、ちょうどその頂上付近に用土地区の集会所が建設されています。屋根瓦に鯱が載せられ、集会所の壁にはナマコ壁の絵が描かれており漫画チックであるといえばそれまでですが、もしかするとある種の地域性を伴った城址の石碑建立の意図と関連があるのかも知れません。そして、ここもまさに枝垂桜が満開でひたすらデジカメのお稽古に励むこととなりました。

■畠山重忠館跡
 いわずと知れた畠山重忠の本拠地である旧畠山村にある畠山重忠史跡公園。北側の国道140号線の方から荒川を渡って真直ぐに史跡公園まで繋がっている道ができたので、たいへん便利になったようです。ちなみに新しく完成した荒川にかかる橋の名称は立派な石のプレートに「重忠橋」と刻まれていました。一ノ谷の合戦で活躍したとされる馬を背負う畠山重忠の銅像が駐車場の正面に位置し、伝畠山重忠の墓もあります。ここではすでに桜は散っていて、その花びらが雪のように地面を覆っていました。ここも見学のコースに入れてあるので、周辺の状況もざっとチェックして、このあと昼食予定の店の場所を確認して帰路へ。



北条祭りのイベントの直後でした



・2005年4月11日    新緑の季節へ
           

 桜吹雪が舞う中、仕事先のhPの更新をするため新緑と春の花々を探しに。地面から直接花開いた桜、満州アヤメ、1輪草、ハナニラなどのクローズアップを撮影しホームページの更新を実施。半月前まではまだ寒い日があり木々の枝先はモノトーンでしたが、いまやいっせいに淡い緑色の新芽を開き春の装いとなりました。
 風邪のほうは一進一退で、相変わらず咳が止まらず訪城計画も立てられず、季節はどんどん過ぎていくようでほとほと弱りました。家内からも明日は医者に行って大人しくしているようにと釘を刺され....
 さて久しぶりに登場した「ネコのちゃっぴー」は、どうも隻眼となってしまったようです。娘が動物病院に連れて行くと息巻いていましたが、実家の近所にはそうした施設は少ないようで結局そのままに。そうしたハンディにもかかわらず、相変わらず人懐こく息子の膝の上で昼寝をしていました。ややこわもての顔をしていますが、体を撫でてあげるとものすごく甘えた仕草をします。






・2005年4月10日    新緑の季節へ
           

 桜吹雪が舞う中、仕事先のhPの更新をするため新緑と春の花々を探しに。地面から直接花開いた桜、満州アヤメ、1輪草、ハナニラなどのクローズアップを撮影しホームページの更新を実施。半月前まではまだ寒い日があり木々の枝先はモノトーンでしたが、いまやいっせいに淡い緑色の新芽を開き春の装いとなりました。
 風邪のほうは一進一退で、相変わらず咳が止まらず訪城計画も立てられず、季節はどんどん過ぎていくようでほとほと弱りました。



ハナニラ



・2005年4月9日    親類の法事と桜
           

 桜がどこでも満開で、道すがら桜の花をめでながらの法事へ小川町まで。場所は腰越城の手前1kmほどの真言宗自性院。ここも桜が満開でデジカメの試し撮りには格好の素材があちこちに。
 しかし、桜の花全体にピントを合わせるのは結構難しく、焦点深度を深くすると手ブレを起しやすくなり、色々と調整が必要なようです。画素数の違い、レンズの違いを明確に際正せるだけの技量が伴わないのがもどかしい状況です。



マンシュウアヤメ



・2005年4月8日    まだまだ咳が止まらない
           

 昨日とうとう風邪をこじらして体調を崩した職員が入院してしまった。残るは今年花粉症デビューした職員と相変わらず咳が止まらない自分の二人のみ。これでどちらかが動けなくなると、あとは這ってでも行かねばならぬ....という緊急事態に陥りつつあります。従って、当分訪城が困難な情勢です。
 あっという間に満開となった桜ですが、どうやら散るのも早そうです。今年は急激に暖かくなったためか、木蓮・コブシと桜が同時に咲いている奇妙な風景となりました。




・2005年4月6日    未だ咳が止まらない
           

 先月の28日から風邪ひいて未だに咳がが止まりません。一時良くなったように思ったのですが、間に3回も宴会やっていれば治るはずもなく...(^^;
 デジカメを購入したものの未だ撮影のスタンバイに至っていません。説明書を読んでいるのですが、読むそばから忘れていくので、なかなか先に進まず...本日の昼休みにやっとレンズを装着してファインダーを覗くところまでいけました。本日の異常なくらいの暖かさのため、仕事場のコブシも木蓮もどんどんと散り始め、桜が3日後ぐらいには満開になりそうです。






・2005年4月5日    やっと日記を更新
           

 風邪を引いていたためにパソコン作業が進まず、おまけに宴会続きで風邪も治らず、更に親類の法事に出かけることとなり予定していたオフ会に参加できず、季節はどんどん進みそろそろ山城の訪城が難しくなる時期に入りそうです。
 加えて娘のネコが子どもを産みそうで...(^^;
 閑話休題。
 現在使用しているデジカメがどうにもしょうもない代物のため、念願のキャノンデジタル一眼の安物を購入することに。これでいくらかは、藪の中の土塁・空堀ピンボケ画像の状況が改善されると良いのですが、あとは腕次第ということで。



通勤途中の桜並木


 
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