|
■1■大槻峠(標高約315m)
安永年間の紀年銘が刻まれた馬頭観音や天明年間の如意輪観音の石碑が所在するものの、大槻峠であることを示す道標などはありませんでしたがこの場所が間違いなく大槻峠に相違ありません。
峠の手前約500mほどの林道の途中に東屋を伴う15台分くらい収容できる駐車場が右側にも所在しています。 然し午前7時30分過ぎの早朝ということもあり、峠道へと続く山道直下の道路脇のスペースに車を寄せて駐車して大槻峠から東側へと山道を進んで行きました。
|
|
■2■緑泥片岩の欠片がごろごろと
大槻峠からはいきなり標高369mの地点まで登らざるを得ないので、早くも心肺機能に黄色信号が点滅...尤も山道とはいえ一般的なハイキングコースでもあるので道に迷うような心配は殆どありません。然し地形図の所持を含むハイキング程度の装備は不可欠かと思われます。
なお、このピークからの下り道ではくれぐれも左側(北側寄り)の尾根筋には向かわないようにすることが肝要です。(城跡ではない別の尾根筋へと出てしまいます)
|
|
■3■西端の南側の竪堀
堀切の延長といえなくもありませんが、北側には明確な竪堀は確認できず南側にのみこのような地形が残されています。
|
|
■4■本郭西側の堀切その1
「3」の個所から80mほど尾根筋を東にすすむと初めて明確な堀切が登場しますが、落ち葉などで埋もれていることもあり見かけ上の深さはおよそ3m前後というところです。南側からの撮影。
|
|
■5■本郭西側の堀切その2
画像クリックで拡大
画像左側(西側)の堀切の見かけ上の深さは2m程度ですが、右側の部分は本郭の斜面に連続しているためその比高差は10mをはるかに越えるという規模を有しています。南側からの撮影。
|
|
■6■本郭西側の堀切その2
円良田城の最大の見せ場と思われる同様の堀切を北側から撮影したものですが、こちらからの画像にでは大きく印象が異なります。
|
|
■7■本郭西側の堀切その2
画像クリックで拡大
同様の堀切の高さを表現するために南側の竪堀近くまで後退して撮影したものです。主郭側の斜面が50度前後の急傾斜を有していることが分かります。以前に念のため直登を試みましたが、何分にも足元が悪く困難を極めて断念しました。
|
|
■8■本郭西側の堀切その2
画像クリックで拡大
主郭側の堀切の中段近くから撮影したもので、主郭側とその反対側の高低差が明確になるように工夫してみた構図です。西側から攻め登ろうとすると遥か頭上からまともに矢玉の攻撃を受けることとなるはずです。
元来の自然地形である尾根筋の高低差を巧みに利用した備えであると考えられます。
|
|
■9■東屋の所在する本郭
午前8時を過ぎて漸く朝日を浴びて明るくなったきた本郭の風景ですが、土塁などの遺構の存在を確認することはできません。面積にして300㎡ほどの広さしかないので、仮に小屋掛けしたとしても50人ほどが漸く寝泊りできる程度のものかと思われます。 画像クリックで途中の林道からの遠景へ
帰りがけに東屋にて小休止いたしましたが、ハイキングの季節としては相応しくないようで我々2人以外には人影を見ることもありませんでした。
|
|
■10■本郭への小口部分
画像クリックで拡大
北側から撮影した2度目の訪城にて理解できた本郭への小口部分で、縄張り図などの資料がなければ気付かないまま見過ごす可能性も無きにしも非ず。
実のところ最初の訪城時には資料を持参しながらも、山城の経験が未熟なためものの見事に見落としておりました。
|
|
■11■本郭への小口部分
同様の小口部分を南側から撮影したもので、画像の右下から本郭への道が登ってくるという構造となっています。従って、右手の本郭部分から攻め手の頭上に横矢をかけることが可能であるということにこの時初めて思い当たったのでありました。
|
|
■12■南側からの本郭
南側の腰郭(2の郭とも考えられなくもない規模を有しています)から本郭を眺めたもので、その比高差は目測で4m程度と思われます。 画像の右手の道を登ると「10」「11」の小口部分に到達します。
|
|
■13■本郭東端から見下ろした東側の腰郭部分
およそ4mほどの比高差を有し、手前西側の本郭を防御する役割を担っていると考えられます。
画像クリックで拡大
|
|
■14■本郭東側直下の腰郭
一応は平坦な地形ですが、小屋掛けできるほどの広さがあるというほどではありません。少し先の東側には尾根筋の切れ目のような小規模な堀切状の地形も所在しています。
|
|
■15■本郭東側の堀切
南側から撮影したもので、画像「18」の石積みの個所はこの画像の右手(東側)上方の南側に所在しています。
|
|
■16■井戸跡の所在する斜面の岩盤
井戸跡はこのように結晶片岩が鍵の手に露出しており、前回と同様にこのときも枯れ葉の下の土が明らかに湿めっていることが確認できました。
ほぼ城跡の遺構が残る東端部分に所在していることから、本来の城域はもう少し東側までを含んでいたものとも考えることができるかもしれません。
画像クリックで拡大
|
|
■17■井戸跡
肉眼では僅かですが直径にして2mほどの明確な窪みが見えるのですが、撮影した結果はこの通り訳の分からない落ち葉の画像なのでありました。
画像そのものとしては寧ろ尾根筋の上方から撮影した 以前のものの方が多少わかり易く撮れておりました。
|
|
■18■本郭東側の堀切近くの唯一の石積み遺構
現地地用達されたと見られる緑泥片岩と思われる石材を使用した石積みで堀切東側の細長い平場
の斜面をを補強したものと思われます。 なお、前回訪れたときには、恥ずかしながら些かその所在地を誤認しておりました。 画像クリックで拡大
|