( 2005/03/28 撮影 )
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■花園御嶽城、少林寺へは左の道を進みます。右の道は円良田湖方面に抜けることができます。
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■大変立派なステンレス製の観光案内版ですが、記念写真用の背景には好いのですが、略図が大まか過ぎてよく分からない感じが....当然、花園城や花園御嶽城のことなどは一言も書かれていませんが(^^; |
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■「新編武蔵風土記稿」などによれば、少林寺は善導寺などと同様に藤田氏(藤田康邦或はその父國村)が開基としてかかわっているとのことですが、その詳細については不明です。 |
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■五百羅漢への坂道から少林寺の本堂を望む。釈迦の入滅後乱れた仏法を正すためにインドに集まり仏典の編纂に当たった500人の阿羅漢をモチーフにした510体ほどの石像が山道の脇に並んでいます。完成したのは19世紀の初期で、それほど古いものではありませんが、同じ時期に作られた観光的に有名な川越の喜多院の五百羅漢よりも一回りほど小柄で、かつ素朴な味わいがあります。 二年前に亡くなった父親は、以前に一緒に来たときには六十歳代の半ばで、だんだん自分もその年齢に近づいてきました。 |
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■何か悲しいのか、何かをしきりに思い出そうとしているのか、一生懸命に考えているのか、そのうちに寝てしまったのか....本来はもっと深い意味を持った仕草なのでしょうが、眺める人の心理状況により様々な仕草に見えるのが不思議です。 |
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■ううっ....(説明不要) 少林寺24世の大純万明和尚は、文政9年(1826年)から地元、中仙道、江戸深川を中心に6年間浄財を募り天保3年(1832年)3月に五百羅漢の石像と千体荒神の板碑を完成させたとのことです。(寄居町有形民俗資料に指定) |
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■「ほうれ、金なら仰山もっとるがな....」と関西訛のせりふが似合う。 |
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■「羅漢」とは「阿羅漢」の略称で、仏教で悟りを得て人々の尊敬と供養を受ける資格を備えた人をさす。小乗仏教では修行者の到達しうる最高の位であり、大乗仏教では小乗の修行者として否定的に用いる場合と、最高の修行者として肯定的に用いる場合とがある。如来の十号の一とされる場合もある。(「大辞林」より) それにしても実に人間的な表情と仕草が表現されていて、自分のような信仰とは余りかかわりのない人間にとってある種の安堵感を抱かせてくれます。時間をかけて一日中向き合っているとまた、別の発見もありそうな気がします。人としてのありのままの生き様を示唆しているような... |
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■もう20年近くも前のことになりますが、息子の幼稚園の鐘撞堂山ハイキングに参加し、この石仏のある高台に参加者全員(多分100人ぐらい)が登って記念撮影したのを思い出しました。 そういった使われ方が多いのかも知れませんが、随分と低くなってしまったように思われました。 亡父はもう3回忌になりますが、その頃は未だ自分の父親も孫と一緒に参加できるほど、すこぶる健在でした。 |
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■円良田湖へはここから右の道を下りますが、花園御嶽城へは案内標識もない叢の中の道を進んでいきます。 ま、夏場はこちらからは避けたほうが良さそうです。なお、眺望については保証しかねますが、南西から登ってくる神社の参道の方は何時でも通行可能だと思います。 |
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■この御嶽神社の鳥居の形式は多分靖国鳥居かと。 そぼ降る小雨模様のもと鳥居の周辺は非常に薄暗く、なにか物の怪が現れても良さそうな空気が辺りを漂っていました。 |
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■本郭は御嶽山信仰に関連する石碑が所狭しと並んでいます。 石碑自体は比較的新しいものが多く、明治期から昭和30年代のものが殆どです。正式には「御嶽講供養塔」と呼ぶようで、木曽御嶽山(3062m)登頂を記念した供養塔です。「御嶽山大神、八海山大神、三笠山大神」以外にも、なかには様々の文字が刻まれたものが多く「妙見尊神」「摩利支天」「八幡大神」「多賀大神」「甲野大神」「大江権現」など山岳信仰・民間信仰の多様性を見る思いです。 |
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■南西側の構堀で、深さ約2mの構堀は本郭の東側から南西側までをほぼ半周している。 規模の大小に違いがあるものの、郭の下を取り巻くようにして竪堀に繋がる堀切を多用している花園城のつくりに似ています。 |
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■次の写真のものと同一の北西側の腰郭を南側から撮影。本郭の10mぐらい下に位置しています。 |
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■北西側の腰郭で、すぐ先に西に伸びる竪堀の上部が見えます。この場所のものが藪も少なく一番撮影しやすい。 |
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■二の郭(手前)からみた本郭とその間にある南東側の構堀で、そのまま北側の竪堀へと続いています。 この辺りの構造も花園城に似ています。 |
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■二の郭南東に残る花園城と同様の帯郭状石積の段築。日当たりを考慮して南側に面しているという点からも段々畑の耕作跡という説もあるようですが、詳細は不明のようです。南西側から登ってくる神社の参道を少し下ると左手の斜面に築造されています。 なお、ほぼ同じものがこの50mほど南西にもありますが、藪が叢生しこちらほどはよく見えません。 |
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■小雨に煙る花園城。花園御嶽城を花園城の詰めの城とするような見解もありますが、両者は地理的に至近距離にはあるものの、少林寺川の渓谷により地形的に完全に分断されていますし、相当な健脚者が最短距離を進んだとしても徒歩で約40分ぐらいはかかります。従ってむしろ物見や、狼煙台というような役割を想定するほうが良さそうです。 |
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■晴天の時の花園御嶽城で右手にすぐ花園城がありますが、天候が異なるとこうも印象が違うものなのかと改めて認識しました。 ( 2005年4月22日 円良田城からの帰路に撮影 ) |
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