2006/09/17のブログ 土井城 小高氏館 城原城 山田城 谷城 三門館 | ||
おすすめ評価 |
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埼玉県比企郡滑川町大字福田字富士根 | |
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なし | |
周辺の地理的特徴 |
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無 | |
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2006/09/17 |
物見としては絶好の地形なのですが傍証は皆無で.. ( 2006/09/17 撮影 ) |
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凸地誌類・史書・古文書などの記述状況
■新編武蔵風土記稿 比企郡福田村の項に「浅間社 当社は帯刀先生義賢の霊を祀れりと云う。久寿2年(1155)義賢討たれし時、その家の家臣等此辺に落来たりて土着せしもの八人あり。その子孫等天福年中(1233-1234)此社を造建して鎮守と崇めし由..」と記されています。なお、旧都幾川村の「市川家系図」、旧福田村の栗本氏が文禄元年(1592)に記したとされる「木曽家引略記」などによれば、大蔵館滅亡の時に搦手を守っていた7氏9名の内、市川・馬場・荻窪の3氏は明覚郷(現ときがわ町)、横川・小林・加藤・伊藤の各氏は腰越(現小川町)、馬場氏の弟は福田郷(現滑川町)に土着したとされています。 またこの福田郷に土着した馬場氏は、戦国時代には後北条氏の家臣となり栗本氏と改姓。その一族である栗本備前守義高は山中城の守将の一人として攻防戦に加わり討死を遂げ、その子孫は福田の地に帰農したとされています。(「関八州古戦録」「木曽家過去帳」「「木曽家引略記」」より) ■武蔵志 福田村の項に浅間神社の名称に関する記述と、鎌形村(現嵐山町)の鎌形八幡の神事に関連して義賢の旧臣にあたるとされる後裔の人々の姓が記されている。 |
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凸主な参考資料
「埼玉の中世城館跡」(1988/埼玉県教育委員会)・「関東地方の中世城館」2埼玉・千葉」(2000/東洋書林) 「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県) 「埼玉県史 資料編6中世2古文書2」(1985/埼玉県)・「埼玉県史 資料編8中世4記録2」(1986/埼玉県) 「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣)・「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)・「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など 「滑川村史 通史編」(1984/滑川村編集発行)・「滑川村史 民俗編」(1984/滑川村編集発行) 「滑川村史調査資料 第4集 旧羽尾村・設楽家・小沢家・小林家・上野家」(1980/滑川村村史編纂室) 「滑川村の沼とその民俗」(1981/滑川村村史編纂室) ・2006/11/21 HPアップ |
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