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関連ページへのリンク  2006/09/17のブログ 城原城 小高氏館 山田城
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態0 探し易さ1 交通利便4 体力消耗4 歴史経緯1 印象2 総合15
所在地
埼玉県比企郡滑川町大字福田字馬場裡付近
歴史と沿革

伝承もなく..
 滑川町にはかつて192ヶ所もの潅漑を目的とした大小の沼池が存在し、現在でもその多くが残されています。沼池の起源についてはその考古学的調査から古墳時代にまで遡るという説もあるようで、既に中世には多くの沼池が存在していたことが推定されます。そうした沼池のひとつに「土井城入沼」が所在し、その名称から「土井城」との関連が想定されますがその詳細については明らかではありません。

確認できる遺構
なし
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

明確な所在地は不明
 仮に沼池の南側の丘陵を土井城と想定すると、南西約200m付近には小高氏館と推定される丘陵が所在しています。滑川町には数多くの沼池が存在するだけではなく、中世城館の立地条件に相応しく思える多数の丘陵が所在ししています。

文化財指定
訪城年月日
2006/09/17
訪城の記録 記念撮影

( 2006/09/17 )
「泥鰌」と「土井城」の違いは大きくて
 そのままよめば「どいじょう」と読むのではありますが、関係資料や地元の教育委員会の方の情報によれば、「泥鰌=どじょう」が「土井城=どいじょう」転訛した当て字などと考えられているようです
「土井城」と「泥鰌」では、城館跡めぐりにとってはまさに天と地の格差が..なお、小高氏館での失策を取り返すべく、今度は2リットルのペットボトルのお茶をザックの中へと収納。
 地名としては滑川町の老人福祉センター「松寿荘」の東側に所在する「土井城沼」(どじょういりぬま)が実在。 なお、峠に所在する指道標には「どいじょういりぬま」と、わざわざ振り仮名が明記されていました。 このほうが何処となく歴史的ロマンが感じられるので、これはこれで宜しいのではないかと。
 南側を除く沼を囲む三方にはそれぞれ城館跡に相応しい地形の丘陵地帯も存在。
その中では西側の地形が尤も人手が比較的加えられていない模様で城館跡に相応しそうな地形をしていましたのでこの辺りで手を打つことに(笑)

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「土井城入沼」(向こう側の丘陵が「土井城」付近かと憶測)
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( 2006/09/17 撮影 )
訪城アルバム
■1■正面の丘陵地帯も気になる地形かと。
 この丘陵の北端のピーク付近も、「土井城」の推定地のひとつではあるのですが、南側に相当する南北方向にのびるこの緩やかな丘陵地帯の存在が疑問となります。
 人が歩くことのできる道が尾根沿いに続いていますが、堀切などの形跡も無く余りになだらかな地形であるため「次点」候補のひとつかと。
■2■「土井城入沼」の灌漑用水により耕作されている水田
 正面に小さく見える堰堤が「土井城入沼」です。谷津に広がる水田はのイネは一週間以内には収穫を迎えるような印象でした。 なお、左側の丘陵地帯は、左手の奥の方で「小高氏館」への尾根筋へと繋がっています。
 「1」の画像でも写っているこの右側の丘陵地帯も立地条件はけっして悪くはありませんが、地形に緊張感が無いというか..
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■3■秋桜 画像クリックで拡大
 水田の用水路の傍らに自生しているコスモス...観光用のコスモス畑とは明らかに一味違う素朴な秋の風景かと。
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■4■「土井城入沼」 画像クリックで拡大 
 「記念撮影」の「土井城入沼」と「推定土井城?」をズームアップしただけのことですが落ち着いた佇まいを感じさせてくれました。
 さて、正面の丘陵を土井城の候補地とした理由は「沼池を北側に配し南側に谷津が入り込んだ地形が何処となく城館跡に相応しそうに感じたから」という実に根拠に乏しいものでありました(汗)
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■5■峠道の指道標 画像クリックで拡大
 「土井城入沼」(どいじよういりぬま)と明記されていたので、とりあえず記念撮影。 このあたりは城原城と同様に「筍の季節」には不心得者が出没するらしく、周辺の竹林の近くには進入禁止のロープが設置されていましたので、季節外れとは思いつつも思わず辺りを見回すのでありました。 そういえば町内の羽尾には家内の妹が嫁いでいるため裏山で筍堀を体験。 「竹林の境界は何処までか」と聞くと、「大体あの辺り」という程度の大まかさではありました。
交通案内

・「熊谷東松山有料道路」の西方およそ400m、小高氏館と尾根つづきの丘陵地帯。
いつもガイド の案内図です 地図サイトいつもガイド 

凸地誌類・史書・古文書などの記述状況
■新編武蔵風土記稿
 記述なし
■武蔵志
 記述なし

凸主な参考資料
「埼玉の中世城館跡」(1988/埼玉県教育委員会)・「関東地方の中世城館」2埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)・「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)・
「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣)・「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など
「滑川村史 通史編」(1984/滑川村編集発行)・「滑川村史 民俗編」(1984/滑川村編集発行)
「滑川村史調査資料 第4集 旧羽尾村・設楽家・小沢家・小林家・上野家」(1980/滑川村村史編纂室)
「滑川村の沼とその民俗」(1981/滑川村村史編纂室) 

・2006/11/16 HPアップ

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