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三門館(和泉陣城)
関連ページのリンク  2005/03/の日記  泉福寺館    
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態5 探し易さ4 交通利便2 体力消耗5 歴史経緯2 印象2 総合23
所在地
埼玉県比企郡滑川町大字和泉字三門1238ほか
歴史と沿革

■地元には五所五郎丸の館であるとの言い伝えが残るというが具体的な資料は存在していないとのことである。また、「吾妻鏡」には建久4年(1193年)に毛呂季綱が鎌倉幕府から恩賞として武蔵国「泉・勝田」を賜ったという記述があり、「町史」などはこれを滑川町の「和泉」「勝田」と断じている。

確認できる遺構
土塁、空掘
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■標高70メートルの北東から南西にかけて伸びた舌状台地の先端部分に所在する。八宮神社の参道という説、東側の丘陵の左右対称となる道路状の遺構と合わせて屋敷の境堀とする説、西側の部分だけで独立した館跡とする説などがあり、いずれにしても想像を掻き立てられる奇妙な遺構である。

参考資料、古文書、
記録

「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「滑川村史」(1984/滑川村編集発行)   

文化財指定
訪城年月日
2005/03/21
訪城の記録

( 2005/03/21 )
V字状の竪堀の遺構
 泉福寺館の方は竹林など予想していたイメージとぴったりだったのですが、こちらは周辺の景観が地図で想定していたのとかなり異なる印象でした。泉福寺の東側の丘陵に鍵の手に刻まれた土塁・空堀跡がとてもユニークな遺構ですが、泉福寺の場合と同様に現地には何の説明施設もありません。しかし、東側の谷津からは外形的に見てすぐに分かるような地形ですのでそれほど迷うことは無いとは思います。でも「滑川村史」には、この遺構についての簡単な説明も掲載されていますので、ちょっとした目印程度の標柱などがあると初めて来た人間には大変助かるのですが。
 大築城に始まる5ヶ所の訪城を終え、ひたすら帰路を急いだのですが国道254線の入間川に架かる落合橋のはるか手前で、3連休の終わりの地獄の渋滞にハマってしまった。

Best Shot?



 ほぼ東西方向にのびる薬研堀状の竪堀で長さ約50m、深さ2m弱、幅約2間の規模を有しています。東側の下方から西側上方を撮影。
 ( 2005/03/21 撮影 晴 )
交通アクセス

・・東武東上線武蔵嵐山駅より徒歩60分なので車でないと不便 MapFan Web の案内図です


( 2005/03/21 撮影 )

■泉福寺館から眺めた三門館方面の様子で、丘陵に沿って八宮神社へ向かう坂道が見えています。
 この緩やかな坂道を少し登ると道路の右側に石段があります。手前から数えて二つ目の石段を上り丘陵の尾根筋に出るとそこがちょうど竪堀の曲がる部分に当たります。
■南西方向に伸びている竪堀。この時期にもかかわらず藪があり先の方の様子が分かりにくい。
■勢い付けて降りると止まらなくなって水路に落ちますので要注意。上方から見た東西方向の竪堀。
■北東方向から見た先ほどの竪堀で見れば見るほど不思議な遺構に見えてきます。
■東側の正面から見た竪堀の様子。しかしスギ花粉が凄い...
■東側の谷津を挟んで反対側の丘陵にも、左右対称の道路のような「遺構」があります。どう見ても道路としては不自然な形状ですので、左右一対の遺構として考えると国立武蔵森林公園内の山崎城に酷似していることが分かります。
■左右の洪積台地の丘陵に東西を挟まれた形の幅70mから80mほどの細長い谷津。明確な竪堀のあるのは向かって左側の方。
■左の写真の場所をずっと後ろに引いていくと、こういう光景になります。東松山の「足利基氏館」にも似ているつくりになっています。
 
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