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■1■南側にも段差が
自然地形そのままだと北側斜面となることから、大規模な造成を加えてこのような日当たりのよい地形を創出したものと考えられます。
しかし 南側のこの1mほどの段差は、耕作上一体どのような役割・意味を持っていたのかについては今のところ全く理解できていません。
なお、ほぼ同様の地形は 中尾寺沼北西丘陵にも所在しています。
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■2■西側の舗装道路からから畑へ登る農道
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恰も堀切状の地形を連想させてくれる農道で、写真の左側中段の小さな石碑は「5」の馬頭観世音。 少し登ると「3」の石垣の土留めがあり、その反対側には「4」の新しそうな土塁状の地形がが所在します。
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■3■一応「石垣」であります。
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しかしどう見ても新しい石垣のようで、加えて機械加工したような跡もあり、苔は生えているものの何れにしても百年とは経過していない代物のようです。畑の南側で地道に土留めのような役割を掌って居りました。
ちなみにこの場所は下記「土塁まがい」地形の農道を挟んだ反対側。
最近「怪しげな遺構紛い」ばかりを目にしていることもあり、中世城館の「遺構紛い」の地形などの特集を企画すると、なかなか面白そうな気がしてきた...そんな契機ともなった地点です。
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■4■一応は「土塁」です。画像クリックで拡大
中世城館に関連する可能性はまずなさそうな近世以降の風避けのためのようなものかと。樹木の太さから推定するとおよそ100年から150ほど以前から存在している印象。 規模は高さ約1m、幅約2m、長さおよそ15mほど。緩やかな南側斜面の北西から南東方向にのびており、北風を防ぐ大きな常緑樹ががっしりと根を張っていました。
然し、やや困ったことに東側の道(画像の左側)が恰も堀跡状の地形を呈している様に見えたりします。然し冷静に観察すればこちらの通路兼畑の根切りのようなものかと思われる次第..
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■5■馬頭観世音
「2」の画像の左側中ほどに写りこんでいる文化4年の紀年銘のある簡素なつくりの馬頭観音の石碑。 一般に古いものほど頭に馬の首を冠した馬頭観音像が多いのではないかと思われます。 本来は天台密教の六観音のひとつで別名を大力持明王、馬頭金剛明王とも。 「馬頭」の名称は衆生の苦悩を喰らい尽くし、従わぬものを蹴散らし、衆生の悟りを成就させるという意味とのこと。
近世以降の民間信仰では馬の守護神とされ愛馬の冥福を祈るために建立されたものとされています。 (「民間信仰辞典」東京堂出版 より)
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■6■中尾の中沼
西側の上流から「上沼」「中沼」「下沼」と一直線上に並んだ真ん中の「中沼」。12月の始めという季節にも拘らず些か透明度に欠ける感じで、落ちるとまさに泥沼のような印象でありました。段々畑の所在する丘陵からこの沼池のある個所へは急坂を下ることになり比高差はおよそ20mを超えるようです。
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