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アクセスありがとうございます。 学術的な城館遺構ではなく主に「素人の思い込みと勘違い」によるものです。
関連ページへのリンク  2006/12/01のブログ 羽尾千躰地蔵裏山 羽尾堀の内 羽尾愛宕山 羽尾大沼
所在地
埼玉県比企郡滑川町羽尾平周辺
遺構まがいの地形
平場(堂宇跡か)、古墳
城館遺構の可能性
なし
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

気になる地形だらけで
 羽尾平地区の金沼、中沼、上沼(笠沼)周辺の丘陵地帯は歴史の古い沼池であると共に標高の割にはかなり深い侵食谷が形成され、いかにも何かありそうな丘陵地形が5か所ほど存在します。 しかし、実際に歩いて探索した限りでは「神社または堂宇跡」状の地形を1ヶ所確認したというだけの結果に終わりました。

訪城年月日
2006/12/01
訪城の記録 記念撮影

( 2006/12/01 )
これぞ、沼池めぐり
 そもそも何故1時間以上もこの丘陵地帯を彷徨していたのかと申しますと、地図上では5か所ほど気になる地形が存在していたまでのことにて。 一応その全てについて篠竹の藪を掻き分け可能な限り地形の確認を実施することに。 まずは手始めに愛宕山の東、上沼と中沼の谷津に東西を挟まれた観のある比高差30mほどの丘陵を目指すことに。
 登り道が確認できないので、あまり無理をせずに上沼の東側の道を北上し傾斜の比較的緩やかな疎林部分の北西斜面から直登を開始。 とはいうものの僅か比高差30mにも拘わらず、道が無いので登りにくいことこの上なし。 加えて篠竹と常緑低木の藪を避けつつ迂回行動の連続。 方向を見失う可能性も少なくないこともあり、思いのほか時間・体力・気力を消費。
 それでも何とか稜線付近に到達し、叢生する樹木の間から周辺の地形の観察を開始。
すると山頂に相当する部分の南側に何やら違和感が..
接近してみると2mほどの段差のある「平場」が所在。 東西20m、南北10mほどの規模で、人為的に南側に開削されたものであることは間違いなさそうな印象。 かつての「人家跡」にしては、道も無く余りに不便な立地条件かと。 一番納得できそうなのが、明治期末から大正期に合祀されて廃された「神社跡」や廃仏棄釈で消滅した堂宇など。 
 このあと稜線を北へと進み、4か所ほどの地形を確認するも篠竹の藪に遮られて殆ど観察不可能。 途中、明らかに「雨水の流路兼里道」と思われる孟宗竹の林の中に刻まれた溝と、不詳の「塚状の地形」(⇒実は円墳の模様)を確認したものの、さしたる成果も無く歩行距離にして合計約2kmほどの探索を終了。なお、この時期「中沼」「金沼」付近は、紅葉が湖面に映りなかなかの景色で、まさに「沼池めぐり」に相応しいハイキングとなった次第なのでありました。

「羽尾上沼」クリックで拡大します
上沼(笠沼、猫谷沼とも)
( 2006/12/01 撮影 )
訪城アルバム
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■1■上沼(笠沼)南部 画像クリックで拡大
 「猫谷沼」が古い呼称とのこと...「猫谷」⇒「根古屋」と短絡的に考えたい所ですが、その謂れは不明のようです。貞享年間に「平」地区と「表」地区で用水の利権をめぐり争訟となったことからも分かるように大変豊かな水源地です。
■2■上沼(笠沼)北東部 
 上沼方面からは登攀できるような道がなかなか見つからず、沼池の斜面脇に刻まれた細道をしばらく歩いていくこととしました。 中沼からの細い流れを何処までも遡及できるようですがこの辺で諦めて、比高差40mほどの南東側の斜面を木の枝に掴まりながら攀じ登ることに。
 おそらく南側の集落側から登れば明確な道が所在しているものと考えられます。
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■3■山頂南側に所在する謎の「平場」 画像クリックで拡大
 かつては神社の社殿、あるいは薬師堂などの小堂宇が所在していたものかもしれません。 大分以前のことと思われますが、焼失したのか朽ち果てたのかなどの詳細については分かりかねました。
 規模は幅20m、奥行き10mで背後の稜線からの掘下げは約2mほど。南側に開口した逆U字型の地形をしておりました。
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■4■竹林の中の里道 画像クリックで拡大
 人工的な地形が余り見られない山中なので、一見「堀跡」のような錯覚に陥りましたが、ごくありふれた由緒正しい南側の民家へと続く里道であると思われます(汗)
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■5■古墳 画像クリックで拡大
 「おっ、こんな場所に物見台が...」とはさすがに思いませんでしたが、小祠などの跡のようなものと思っておりました。 真相は羽尾地区の「平古墳群」の内の墳丘のひとつのようで、横穴式の石室を有する6基の古墳が所在していたらしく、直刀・刀子、鍔などの遺物が出土した模様です。(「滑川村史 通史編」より)
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■6■金沼 画像クリックで拡大
滑川町には現在でも200ヶ所近くの大小の沼地が所在しており、元来は田畑に水を引く農業用のため池ですが、その歴史は中世以前に遡るものも多いとのこと。 従って沼沢地を濠代わりとしたと推定される中世城館跡も少なからず所在していたものと思われます。 このため丘陵地帯とその付近に所在する主だった沼沢地を訪れることにより、何がしかの「遺構もどき」に遭遇する可能性もあるのではと浅はかな考えからはじめた沼池めぐりであります。
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■7■左「金沼」、右「中沼」 画像クリックで堰堤の解説へ
 この沼池の堰堤は近年新しく改修されたばかりのもので、「6」画像にある東側の金沼、「8」の画像の中沼と、この時期は湖面に映る紅葉が映えてなかなかの景観を形成していました。
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■8■中沼 画像クリックで拡大
 さてそうはいってもそれほど簡単に「新発見」などがあろうはずもなく、「遺構紛い」「遺構もどき」「不詳の遺構」などの思い込みや憶測によるものにごくたまに出会うのみというのが現実なのであります。
 規模の大きな沼沢地の水質は現在でも比較的きれいで、フナ・コイなどの淡水魚も棲息している所も多いようです。
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■9■上沼(笠沼)北西部の入江 画像クリックで拡大
 北西側の入り江というだけあって寒々とした印象ですが、この右手の奥の方の竹林の辺りに平場のような地形が所在しています。しかしおそらくはごく新しい時代のもののように思われました。
交通案内

・羽尾平地区の金沼、中沼、上沼(笠沼)周辺の丘陵地帯
いつもガイド の案内図です 地図サイトいつもガイド 


凸主な参考資料
「埼玉の中世城館跡」(1988/埼玉県教育委員会)・「関東地方の中世城館」2埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)・「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)・「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など
「滑川村史 通史編」(1984/滑川村編集発行)・「滑川村史 民俗編」(1984/滑川村編集発行)
「滑川村史調査資料 第4集 旧羽尾村・設楽家・小沢家・小林家・上野家」(1980/滑川村村史編纂室)
「滑川村の沼とその民俗」(1981/滑川村村史編纂室) 

・2007/01/15 HPアップ

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