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■1■西側からの遠景 画像クリックで拡大
山頂部分が幾分北側(写真の左側)に偏った地形ですが概ね平坦な地形であることが窺がえます。南側(写真右側)の大きく切れ落ちた地形については、ある程度町道の整備などによることも考えられますが、概ね市野川の蛇行と符合していることから元来の地形によるものと考えて差し支えないようです。
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■2■五厘沼畔の文政年間の庚申塔
「庚申の日の夜になると人の腹の中の三戸(さんし)が、天帝にその悪事を告げに行くため早死にをする...」との教えで、「日待ち、月待ち」の習俗と結びつき、近世には「庚申講」として全国的に流行。
庚申塔も時代が下ってくると文字のみの石碑が増え、本尊である「青面金剛像」が彫られたものと比べ、明らかに製作日数が短くて済みそうですが、石像物としては何処となく面白みに欠ける感じがします。
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■3■西側から見た五厘沼 画像クリックで南側から
五厘沼の堰堤を渡って南側の丘陵の斜面を登っていきます。登口の部分だけは幾分傾斜が有りますが、直ぐに緩斜面となり数分もかからずに山頂へ到達します。
「五厘沼」の名のいわれは、「寺の五輪塔が水面に映った」「五つの入り江があり五つの輪の形に似ていた」などの説があるようです。
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■4■古代の「登窯跡」 画像クリックで現地解説板へ
昭和54年の町道改修の際に7世紀初期の古代の登窯が発見され、同時に行われた沼池の調査により、この五輪沼もほぼ同時代のものと推定されています。
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■5■山頂の途中に所在する大穴(又は井戸?)画像クリックで拡大
深さ1.5m、8m×5mほどの楕円形の大穴で、伐採したばかりの孟宗竹がぎっしりと詰まっていました。そういった山仕事のゴミ穴と考えれば一件落着ですが、手掘りでの作業を考慮すると孟宗竹の頑丈な根を処理することと合わせて気の遠くなるような膨大な作業かと思われます。 なお「6」の溝跡がそのまま斜面を緩やかに下り、この大穴に直結していましたが、この場所に水を貯める意味が不明です。
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■6■尾根筋に沿った溝跡 画像クリックで拡大
尾根筋に対して直角方向に普請されていれば「堀切」である可能性が想定されますが、この場合には尾根筋に沿う形なので判断に苦しみます。 「排水路」(平坦な地形とはいえ山頂部分なので意味がない)「境界堀」(境界杭確認できず)「根切りの溝」(畑の立地条件に合致せず余り意味がない)などが考えられますが、
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■7■山頂南部に所在する小祠
火除けの愛宕社、あるいは稲荷社と思われますが祠の中が暗くて御神体は不詳。 かつては西側からの急坂の参道が存在していた様ですが、傾斜が急で危険なために登口が閉鎖されていました。
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■8■山頂北側の小口状の地形@ 画像クリックで拡大
北側の「記念撮影の写真」の小口状地形に向かって、踏跡が僅かに遺されています。 しかし、北側は元来急傾斜の崖地で町道の拡幅整備により麓が掘削されるに至り下りるにはかなりの危険を伴う状況となっていました。
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■9■山頂北側の小口状の地形A 画像クリックで拡大
何処からどう撮影しても地形の特徴が表現できませんので、とうとう「黄色の線」だらけとなり果てました。 一応南側から北側の山頂に近い部分小口状地形の内側を撮影したつもりなのであります。
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■10■山頂北側の小口状の地形B 画像クリックで拡大
周囲との地表の高さの違いを際立たせるために撮影してみました。特にこの右側の部分は高さ1.5mを超え、外側から観察すると50cmほど盛り土されているように見えました。
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■11■山頂の平場 画像クリックで拡大
山頂は南北に細長い地形ですが、東側の部分が溝によって区画されていることや西側にも一部にやや段差のような地形が確認できますが、それ以外の地形上の特徴は認められませんでした。
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■12■峠に所在する「堀切」のような地形 画像クリックで拡大
相当強引に考えれば、「堀切」のような地形に見えなくもありませんが、冷静に判断すれば単なる里道の窪みということになります。右側の平場状の地形との段差は50センチから80センチほどの規模でした。正面を進むと東側の集落への里道で、左側に進むと「福厳寺」への篠竹の藪だらけの道になるはずです。(2006/11/25に別途確認済み)
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■13■峠の南側の平場 画像クリックで拡大
「12」の写真の南側に続く平場で多少人工的な地形の改変がなされているという印象が有ります。 また、この西側の斜面の途中にも人工的な地形の改変と思しき、腰郭にしてはやや面積の大きい幅20m・奥行き15mほどの広さの平場が存在しています。(一応写真は撮影したものの、どう想像力を働かせても、ただの藪にしか見えないため掲載省略...汗)
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■14■「泥沼」に嵌まる...南側からの遠景 画像クリックで拡大
市野川の流れる南側からの地形の様子を確認するために2006/11/25に再訪。 やはり南側からの遠望は「予想通りの中世城館跡に相応しい地形」とますます思い込みが酷くなる一方。
特に南側の斜面の一部は凝灰岩のような岩肌が露出しているのが印象的。
かくして、上記の 「小口状の地形」 の存在は、益々困惑と憶測の度合いを更に深めて「泥沼」に嵌まっていく次第にて候。
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