( 2006/05/04 )
凸神社の境内造成跡か土塁か...
館跡と推定されている場所の南側あたりには、比較的境内が大きな印象の氷川神社の社殿が所在。氷川神社の所在する比高差5、6mの台地、そして緩い登坂の参道の両側の状況など、歴史の古さを感じさせるなかなか良好な雰囲気の環境です。
さて、社殿西側には高さ0.8メートルほどの連続した盛り土のような地形が存在しています。しかしそれが以前からのものなのか、後世の社殿の建設等に伴う造成などによるものなのかどうかは現地を見た限りでは判然としません。取りあえず「無理やりこじつければ土塁跡のようにも見えなくもなさそうな...」、というわけで、三方向からしっかりと記念撮影を敢行。また、北本市の石戸神社の裏山と同様に、社殿の奥の木立がすっかり伐採されて新しい住宅地に変貌を遂げていました。私有地であることなど諸般の事情があるものとは思われますが、かつての厳かな神域であるはずの景観が一変してしまったようで大変残念に思われたのでありました。
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この氷川神社境内西側の南北方向に続く盛り土状の地形は道路との比高差は1.5mから3mほどで100m近く続いています。表面の土も固く、樹齢数十年以上と思われる杉木立ちの様子と合わせて、それほど新しいものではなさそうな感じがします。しかし、参道とほぼ並行に延びている写真右側の道路は手前の方向に向かって登坂となり、奥の宅地へと続いていますが明らかにどう見ても比較的新しく拡張整備されたもののようで、このため以前の地形が分かりにくくなっていました。
画像クリックで氷川神社境内側からの様子へ
( 2006/05/04 撮影 晴れ )
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■1■江川の対岸から見た「白旗山けの台地
川田谷と上日出谷の境を北から南に向かって流れる江川を中心に幅400mほどの谷津となり、湿地帯乃至は深田が広がっていたものと思われます。氷川神社のある場所は白い建物(桶川市の水道中継ポンプ場)の丁度後ろ側となっています。なお、水田面からの比高差は最大で7mから8mほどでした。
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■2■氷川神社
江川に合流する手前の水路は元々は氷川神社の東側から流れていたようです。したがってこの氷川神社の台地は、おそらく以前は東西を自然の谷津で挟まれた南北に細長い地形であったものと思われます。「新編武蔵風土記稿」にも「氷川社 村の鎮守なり、社邊松杉生茂れり...」と記されてはいますが、中世城館跡とかかわりのある記述はありません。
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■3■氷川神社の石碑
境内には摂社・末社として疱瘡神、天神社、三社稲荷、日枝神社、愛宕社、駒形神社などの石碑・祠が所在。また、戦前にはその格式の高さを示す「村社」であったことを伝える石碑がポツンと神社の南麓に設置されていました。仮に「白旗山の由来」などの伝承を記した解説板が設置されていたならば、もう飛び上がって喜ぶのですが...
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・県道12号線下日出谷交差点から約600m北上した氷川神社付近。
・いつもガイド の案内図です
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凸地誌類記述の状況
「新編武蔵風土記稿」なし
「武蔵志」なし
凸参考資料
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など
「桶川市史 第3巻 古代・中世資料編」(1985/桶川市)
「桶川市史 通史編」(1990/桶川市)
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