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関連ページへのリンク  2006/05/04の日記 牧野陣屋 三ツ木城 武城 石戸城
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態1 探し易さ4 交通利便4 体力消耗5 歴史経緯1 印象2 総合20
所在地
埼玉県桶川市大字川田谷字岡村3515付近
歴史と沿革

開発領主層の館・屋敷跡か
 「埼玉の中世城館跡」などの資料によると「太郎兵衛屋敷」という名称と所在などが示されているに過ぎません。また「桶川市史 第3巻 古代・中世資料編」では、「岡村館」として「桶川の館城跡分布概況図」に掲載されているだけの城館跡であるため詳細な歴史的経緯は不明のようです。
 中世の城館跡であるという前提で周辺の館跡などの経緯から類推すると、具体的根拠は全くありませんが、戦国時代の末期に鴻巣七騎といわれ岩付太田氏に帰属したのち後北条氏滅亡以後は帰農したような在地領主層、あるいは上層農民階層の館・屋敷跡のようなものとイメージするのが無難なのかもしれません。

確認できる遺構
なし
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■大宮台地西側の荒川支流の南流する江川沿いの低地に面した台地の東端部分に所在。台地の先端は現在の水田面より1m以上の比高差を有し、西側の台地中央部から水田面までの比高差は4mほどを測ります。

文化財指定
訪城年月日
2006/05/04
訪城の記録

( 2006/05/04 )
地形的にいまひとつ
 随分とローカルな響きをもった城館跡の名称で、おそらくは「桶川市史」において、小字名をもとに「岡村館」として記載されている城館跡と同一のものであろうかと推測。しかし、現在は宅地や畑として利用されており中世城館跡としての面影は全く見いだせず、このため現地にて所在地を特定するのにかなりの時間を費やすことに。「埼玉の中世城館跡」に掲載されている所在地(下記の写真)よりも、直感的には両側の台地の方が地形の印象からして何となくそれらしく感じたのは気のせいなのかと自問自答...
 さて、水田地帯を挟んだ江川対岸の東側の台地にふと視線を移すと、次の目標である「白旗館」付近の小高い地形が遠望できたので、これもまた小さな収穫かと納得。

記念撮影 訪城アルバム
太郎兵衛屋敷跡の全景



 車へ戻る途中、田んぼの細い畦道を暢気そうにこちらに向かってくる一匹のネコに遭遇。相手は突然の対面に戸惑ったのか、その場にうずくまったままどうやらこちらの様子を窺っている模様。今までの経験から、こういう場合には姿勢を低くするのがもっとも警戒されないはず...という訳で、しゃがんで「おいでおいで」をしてみたものの、踵を返すようにして脱兎のごとく逃亡...

( 2006/05/04 撮影 晴れ )
交通案内

・桶川西中学校の南約500m付近の模様
いつもガイド の案内図です 地図サイトいつもガイド 

凸地誌類記述の状況
「新編武蔵風土記稿」記載なし
「武蔵志」
記載なし

凸参考資料
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など
「桶川市史 第3巻 古代・中世資料編」(1985/桶川市)
「桶川市史 通史編」(1990/桶川市)
「鴻巣市史 通史編2近世」(2004/鴻巣市) 
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