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城館跡の名称
 2005/12/05の日記 足立右馬允遠元館 伝安達盛長館跡
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態8 探し易さ4 交通利便5 体力消耗4 歴史経緯2 印象4 総合30
所在地
埼玉県桶川市川田谷字城山1267ほか
歴史と沿革

岩附太田氏の支城のひとつか
 鎌倉時代初期の有力御家人である安達藤九郎盛長(「旧埼玉県史」による)や足立遠元の居館との伝承・俗説などもあります。また「足立氏系図」によれば、この川田谷の地は足立遠元の子の一人である遠村(民部大夫)が川田谷氏を称したとされていることからこれらの子孫の居館跡である可能性を浮かび上がらせています。さらに、正長元年(1428)鎌倉府奉行人連署奉書によれば、応永4年(1397)以前には足立大炊助が領家職であったことが記されていて足立氏と川田谷村との関連性を裏付けているものと考えられます。
 しかし、現在残されている土塁・堀跡などの遺構の形式から、北方に所在する石戸城とともに岩附城の支城のひとつと考えられ室町時代から戦国時代にかけて築城されたものと推定されています。( 以上「鴻巣市史 通史編1」などより引用 )
 なお、「新編武蔵風土記稿」 では川田谷村の旧蹟の項に「三ツ木城蹟 東西北の三方深田にして、南の一方のみ平地に続き、今も土手の蹟存せり、郡内別所村無量寺の縁起には、足立右馬允が居跡なりと云う、足立右馬允遠元がことにや、遠元は保元中の人にて当郡の地頭職に補せらるることは、丹波国山垣村旧家の系図に見えたり、又石井丹後守が住せし跡ともいえり、いずれも定かならず」と記されています。なお、石井丹後守は岩附太田氏の家臣として戦国時代の前半に活躍したとされています。    (2006/05/30記述訂正・関連リンク追加)

確認できる遺構
二重土塁、空堀、櫓台
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■大宮台地の北西部に所在する舌状台地の先端部分にあり、南側を除く三方が低湿地を形成し天然の要害を形成しています。台地に続く南側には土塁の一部が遺されていますが、これとあわせて大規模な堀切が施されていたものと推測されています。外側の東西各辺の長さはおよそ100m前後の規模があり、堀幅も10mに及ぶ個所もありその深さも(土塁の高さ)主郭側で8mに及ぶ規模があります。しかし、それらの防御施設が大袈裟な割には郭内の広さは2000平方メートル前後(およそ100人程度が立て籠もれる広さかと)とやたらにこぢんまりとしています。このため「桶川市史 第3巻 古代・中世資料編」では、本来は他の郭が存在していた可能性も否定できないとしています。

参考資料

「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)
「埼玉県史 資料編6中世2古文書2」(1985/埼玉県)
「埼玉県史 資料編8中世4記録2」(1986/埼玉県)所収の「足立氏系図」
「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「桶川市史 第3巻 古代・中世資料編」(1985/桶川市)
「桶川市史 通史編」(1990/桶川市)   

文化財指定
埼玉県選定重要遺跡 1969年10月1日指定
訪城年月日
2005/12/05
訪城の記録

( 2005/12/05 )
その形状は「おむすび」を連想
 桶川市の教育委員会の作成した縄張り図を見て最初に思ったことは、「おむすび」の形に良く似ているということでした。北側に伸びた舌状台地の先端を、平面状は三角形に近い二重土塁で囲まれた形状的にはかなり珍しい遺構です。
 現在は桶川市の城山公園の中に所在していますが、元々公園部分は湿田だったらしく北、西、東の三方向の防御は二重土塁の存在とあわせて至って万全かと。台地続きの南側は人家が所在し、遺構の一部が破壊されているのが見て取れますが、この南側は元来は深く幅の広い堀切と高い土塁で防御していたと考えるべきでしょうか。
 さて、実は最初この城跡の具体的な場所が分からず、西側の比高3m前後の崖線の個所を探してしまいました。後から考えれば城跡の解説板が立てられている場所の後ろ側がまさしく城跡そのものだったわけですが、公園の案内図には「城跡広場」などと記されているので、つい公園化された土塁と空堀をイメージしてしまい200ヶ所を回っている割には即座に勘が働かず恥ずかしながら10分ほど時間を浪費。

土塁の高さは堀底から8m
 しかし西側の自然地形の浅い谷津部分の奥の方からアプローチすると外側の低い土塁部分に到達。ここから見上げる土塁の高さはなんと8m近いところもあり、目の前に出現した土の壁の巨大さに一瞬目を疑います。おまけに二重土塁の間の空堀は昨日からのまとまった降雨により泥沼と化していたのですが、厚く積もっている落ち葉のため全くその様子が分からず...踏み出した左足は靴ごと30センチほど地面にめり込みました。咄嗟に右手で近くの太い孟宗竹の幹を掴んで自分自身の体を引っ張りあげましたが、両足いっぺんでなくてよかった、よかった。

土塁の角度も急傾斜で
 外側土塁の上には犬の糞があちこちに点在。それを避けながら北側に進み空堀が陥没しそうも無い個所を物色して、空堀をトラバースして内側の土塁に取り付き、枯れていない丈夫そうな樹木の枝にしがみついて比高6m以上、約傾斜45度近い土塁の斜面を「やっとこさと這い上がって内郭へ無事到着。しかし案内図には表記したものの、どうみてもこの場所はとても「城跡広場」には見えない印象でおそらく整備は手付かずとなった模様。いずれにしてもこのコースで進入するのはかなり無謀かと反省することしきり。

安全なルートもありました
 さて、堀跡や内郭土塁を暫くうろついた結果、「おむすび」の堀跡の北側頂点の個所は堀底が比較的高く足元も乾燥して潜るようなこともないので、この場所から入ればアプローチが至って簡単なことを発見。それにしても内郭の広さと比べて必要以上に堀が深く規模が大きいのが不思議に思う城跡でした。公園を散策中の親子連れが、「城跡ってどこにも無かった...」と会話しているのが聞こえましたが、確かに一般的には分かリにくいので、解説板とともに縄張り図を併設していただくことを切望したのでありました。

記念撮影




 内側の土塁の東辺の中央部分付近を北側から撮影したもので、写真左側が空堀( 雨が降ったあとに一部は事実上の沼地状態 )側で右側が郭内となります。土塁の上幅は約1mほどのこのあたりだけは竹等が叢生していないので歩行して探索することができました。元来の低湿地へ突き出した自然の舌状台地の形態をたくみに生かした要害です。

( 2005/12/05 撮影 晴れ )
訪城アルバム
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■1■城山公園案内板 画像クリックで拡大
 「城山公園」の案内図の真ん中付近には「三ツ木城」のおむすび型の遺構がそのまま記されています。また、郭内は「城跡広場」と記されているのですが、枯れ草・枯枝・落ち葉などが足元を不安定にしていて...尤も自分としてはそれはそれでありのままの状態の方が嬉しいのですが。
■2■城山公園満開の山茶花
 この季節を代表する花のひとつであるツバキ科ツバキ属の常緑小高木の山茶花(サザンカ)。日当たりの良い公園の生垣として散策する人々の目を楽しませてくれます。近樹種のヤブツバキがボタッと花が落ちるのに対して、花びらが少しずつハラハラと散ってゆくのが特徴です。
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■3■現地解説板 画像クリックで拡大
 散策路の途中にこのような「三ツ木城」の解説板が設置されていますが、この後ろ辺りに東辺の土塁などの遺構が所在しています。石垣や天守閣をイメージしていると「城跡は何処だ」ということになるのかも知れません。深いコンクリートの水路の向こう側にあるのはただの木々の叢生した薄暗い斜面(東辺の外側の土塁)だけですので、誠に勝手ながらこの位置に「縄張り図」を記した説明板があると非常に分かりやすいのにと思うのでありました。
■4■自然地形
 このため、「3」の場所からかなり西側にすすんだあたりの自然地形の中で真剣に城跡を探してしまったのであります。
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■5■堀跡 画像クリックで拡大
 西側の自然の谷を利用した湿地帯である要害を越えて西辺の3mほどの高さの外側土塁を乗り越えると、目の前に平均でも堀底から8mはありそうな土の壁が現れます。遠くからでも分かりそうなものですが写真のように孟宗竹が密生しているために、この地点まで行かないと目にすることができません。
 このときくれぐれもそのまま堀跡を横断しようなどとは決してしないように。前日から早朝にかけて久しぶりのまとまった雨が降ったために、空堀は大袈裟に言えば実は底なし沼の様相を呈していたのでありました。
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■6■危険な堀跡 画像クリックで拡大
 右側が主郭側の土塁で孟宗竹の根が蔓延っているために、土塁の傾斜もこちら側の方が急になっていて45度近いところもありました。
 この手前のあたりで見事左足が30センチほど地中に埋没し、あわてて手近に生えていた太目の孟宗竹の幹を掴んで体を引き上げました。このため写真の左側の外側の土塁の上を北方向へ辿って下の「7」の写真の個所に回りこみました。
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■7■安全な堀跡 画像クリックで拡大
 西辺の中央部分付近の堀底から南側の左足が埋没したあたりの地点を睨み付けたもの。この辺りまでくれば堀底の地盤も固く潜るようなことはありませんので、安心して堀底を横断して左側の土塁を手当たり次第に生えている木の枝などに掴まって直登し郭内へ侵入成功。数日後やたらに膝から下の筋肉が気だるくなっていたのでありました。
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■8■櫓台跡 画像クリックで拡大 
 西側の土塁の南端部分には高さにして2mほどの櫓台のようなひときわ目立つ土塁が南側の視界をさえぎっていました。しかし一部が崩壊中であるような印象でした。
■9■土塁跡
 東辺の土塁の北よりの個所にもやや周囲よりも高くなっているような個所が見られます。郭内は思ったよりもはるかに狭く、三角形の形状でもあるので正味で2000平方メートル前後しかないようです。
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■10■東辺土塁 画像クリックで拡大 
 上の「記念撮影」の東辺土塁の上部を南側から撮影したもの。写真左側が郭内で右側が堀側となります。
■11■堀跡
 東辺の堀跡。こちら側は足が潜るようなことも無く比較的安全ですが、土塁の傾斜も西辺と比べて緩く堀底との高低差も約5メートルほどとやや少ないようです。
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■12■内郭土塁 画像クリックで拡大
 「11」の写真から北へ数メートルすすんで撮影したもの。左側が本郭側で、右側が外側土塁となります。
■13■
 三角形の遺構の頂点部分に相当するあたりで左側の堀跡が東辺部分です。
■14■堀跡の合流地点
 同じく三角形の遺構の頂点部分で左右の堀跡がこの場所で合流していますが、堀底はこの部分が最も浅くなっています。写真の正面の土塁を登れば真直ぐ郭内へ到達します。
 
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■15■東側 画像クリックで拡大
 初冬の日差しはまぶしいぐらいに明るく、漸く本格的な朝晩の冷え込みのため紅葉がいくらかは映えてきたようです。写真の背景の暗い部分が三ツ木城の東側。
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■16■西側 画像クリックで拡大
 暗い部分が三ツ木城の西側で、手前の黄色く見える個所が浅い自然の谷津が形成されている湿地帯部分。
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■17■西側 画像クリックで拡大
 湿地帯の個所を西側から撮影したもので黒く見える個所が三ツ木城ですが、こちら側からアプローチすると結構骨が折れました。
■18■本来の進入路かと
 遊歩道の途中にこのようなやや廃墟となりかけた感のある建物がありますので、この裏側から外側土塁を超えると「14」の写真の個所にでます。これが一番安全そうで手っ取り早いアプローチかと思います。ただし小屋の手前の部分にはコンクリート製の水路が流れ、一応コンパネの蓋が施されていますが多少古くなっている様子ですので乱暴に歩かないほうが賢明です。
■19■
 西側の堀跡で底なし地盤に足を取られているときに、時々風向きの加減で異臭が漂ってきました。その原因は主郭の南側に所在する牛舎の中のこの「牛くん」だったようです。
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 見掛けに似合わず寒さに強いパンジーの季節はまだまだこれから。城山公園の花壇にて。
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■21■画像クリックで拡大
 樹木の陰に黒っぽく見えているのが三ツ木城。この場所から眺めたのではあの見事な二重土塁の城跡が所在するとはとても思えない地形です。
交通案内

・県道12号線川田谷交差点の北東にある城山公園内 いつもガイド の案内図です  


・2005/12/17 HPアップ
・2006/05/30 記述一部訂正・リンク追加

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