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■1■滑川町の最高地点
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滑川町の最高地点である標高131.8mを測る二ノ宮山(比高差約75m)は山頂の展望台の存在も含めて町内の至るところから目にすることのできるとても目立つ存在です。
ただし周辺の大部分は「おおむらさきゴルフコース」に囲まれ地形が大きく変容している模様です。 この伊古神社の北側付近から眺めた様子が最も開発の影響を感じさせない景観かと思われます。
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■2■楽な登り道
最近、比高差の少ない場所しか出かけておらず、著しい運動不足の我が身にとっては滑川町の最高地点である標高131.8mの山頂に辿り着けるか些か不安に。
しかし案ずるほどのこともなく、徒歩にて一休みもすることなく僅か10分ほどで無人の山頂に到着..尤も、滑川町の最高峰とはいえ、比高差わずか70m前後であるとともに舗装道路付なので至極当然のことなのでありました。
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■3■「キク科の植物」には相違なく
風も殆ど感じられない南側の暖かな斜面の陽だまりに咲いておりました。 然しこのあと山頂の展望台では途轍もない強風に晒されることに..
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■4■山頂の展望台
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展望台の鉄骨製の階段を登っていくに従って眩暈が..あわせて何処か言いようのない気持ち悪さも。神社には礼を尽くして、きちんとお参りした由にて御座候。けっして悪霊の祟りなどにはあらぬことと存知居候。
按ずるに、強風のため展望台自体が僅かに揺れていた可能性もある哉も知れず。加えて、同じ方向に曲がりつつ階段を登っていたため目が回っていた模様にて..
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■5■弥勒菩薩の石碑と展望台のシュールな光景
12年前の1億円プレゼントとして話題を振りまいた「ふるさと創生・・」という懐かしい文言が展望台の解説に記述されておりました。 やや塗装が剥離し酸化第二鉄が顕著と化しつつあることに確実な時の流れを感じた次第にて。
そういえば、自分の町は確か地域振興券だったように記憶を。 そうした施策に対する歴史的評価については、もう少し時間をかけて判断する必要があるのかもしれませんが。
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■6■伊古神社の奥社
麓に所在する伊古乃速御玉比売神社(いこの はやみたまひめ じんしゃ)は、「埼玉県神社明細帳」によれば文明元年(1469)に、この二ノ宮山から遷座したとされ、延喜式の式内社ともいわれ比企郡の総社ともされているようです。
一方、「新編武蔵風土記稿」では「淡州明神」との別名があり、天正4年(1576)南西の小名二ノ宮の地より遷座したものと記されています。
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■7■八大龍神の石碑
雨乞いを祈願したと思われる「龍神」を祀ったもので、「水神の信仰およびその表象たる蛇の信仰を基底に、中国から渡来した竜宮・竜神信仰が習合した多様な習俗に現出する神」とのことであります。(「民間信仰辞典」東京堂出版より)
何れにせよ雨乞の儀式を行うには格好の立地条件なのでありました。
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■8■東京方面かと 画像クリックで拡大
遠く左側に高層ビル群が見えますので新宿、あるいは池袋方面かと思われます。 曇天の高層ビル群を遠望すると巨大な墓石のように思えてしまう年代となりましたが、この日はこのような好天のためさような印象は微塵もなく..なお、地平線の左端あたりに「武州松山城」が写っているような気がしましたがはっきりとは分かりませんでした。
(2007/05/03 説明訂正)
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■9■双眼鏡いまだ健在
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平成6年(1994)年に完成した展望台ですが、厳しい風雨に晒される環境にありながら数基設置されている双眼鏡はメンテナンスがよいのか、はたまた耐久性が高いのか今でも十分に機能しておりました。 ただしこの時は余りの強風が吹き荒れていたため、とても眺望を堪能するという環境ではなくそそくさと数枚の風景を撮影後直ちに撤収作業を開始。
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■10■高見城、浅間山方面
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大切な資料のバインダーなどもしっかり持っていても飛ばされそうな状況にて、じっくりと周辺の景観を観察するという当初の計画は頓挫。
何分にも時折風速15メートルを超える北西の強風が吹き荒れ...望遠モードにしたところデジカメの焦点が定まらず、螺旋階段の支柱にもたれて何とか撮影したものであります。
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■11■日光方面かと
北東方向である低位丘陵の向こう側の市街地は熊谷方面かと思われます。 従ってその向こう側の雪雲を頂いた高山地帯はおそらく日光方面ではないかと思われます。
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■12■杉山城、腰越城、青山城、谷津城方面
展望台の上はまさに360度の絶景にて。 しかし、比高差100mの展望台から眺める杉山城、谷津城を始めとする付近の城館群は視線の遥か下方に.. 画像クリックで拡大
予め地図を片手に丘陵地帯の詳細な確認を致すべく訪れたものの、折からの北西の強風がまともに吹きつける環境のため10分と滞在することが叶わず。 なお、遠くの山並みは奥武藏の主脈である笠山、堂平山方面。
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