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アクセスありがとうございます。 学術的な城館遺構ではなく主に「素人の思い込みと勘違い」によるものです。
関連ページへのリンク  2006/12/18のブログ 酒井氏陣屋 山城沼砦 伊古郭の神戸沼
所在地
埼玉県比企郡滑川町伊古
遺構まがいの地形
平場?
城館遺構の可能性
なし
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

二ノ宮山の東側の丘陵地帯
 二ノ宮丘陵の一部に含まれる最大比高差20mほどの丘陵地帯で、西側の谷津を挟んで二ノ宮山があり、南東方向には「伊古郭神戸沼」の委細不詳の地形も所在しています。 

訪城年月日
2006/12/18
訪城の記録 記念撮影

( 2006/12/18 )
社殿の丘陵と北側の尾根筋の平坦な開墾地
 比企郡の総社ともいわれた伊古神社の所在する丘陵は水田からの比高差は目測でおよそ10m近くに及びます。しかし、北側の竹林およびその北側の舌状台地先端部分を含めて城館跡に関連しそうな目立った地形は確認できません。神社の社殿への石段脇には直径1.5mほどの井戸跡が所在し、さほど深いとは思えないものの深さがあまり明確でない所を含めてやや不気味な印象。小さな子どもの場合には、先ず這い上がれないという可能性もあるような..
 また、神社北側の資材置き場のような整地された平坦地がかつてどのような地形であったのか興味がもたれるところではありますが、今となっては分からずじまい。さらに神社の北側に続く丘陵の先端部分は開墾のため平坦な地形となっていることもありますが、尾根続きを堀切ればまさに格好の物見砦が出来上がりそうな形状を呈しておりました。(下記の画像参照)


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開墾のため元来の地形が不明な物見に相応しい地形
黄色の破線部分を堀切れば格好の物見砦が出現....
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( 2006/12/18 撮影 )
訪城アルバム
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■1■伊古神社と二ノ宮山 画像クリックで拡大
 左側の森が「伊古神社」で、右側のなだらかな山が「二ノ宮山(にのみやさん)」。
 ブナ科の常緑高木であるアラカシや、カバノキ科の落葉高木のアカシデなどが叢生する伊古神社の社叢は1928年に埼玉県指定の天然記念物となっているそうです。(滑川町のHP情報等より)
 
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■2■画像クリックで神社の解説へ
 幕末の著名人である勝海舟が認めたとされる長さ11メートルの幟1対が有名なようですが、生憎祭日ではないのでお目にかかることは叶わず。
 旧伊古村の鎮守とされ、祭神は気長足姫命(おきながたらし ひめのみこと)、大鞆和気命(おおとも わけの みこと)、武内宿禰命(たけのうちすくねの みこと)とされ、明治6年には村社よりも格式の高い郷社に列しています。
画像クリックで拡大します
■3■画像クリックで社叢の解説へ
 この個所が1段目の平場にて。伊古乃速御玉比売神社(いこの はやみたまひめ じんしゃ)が正式な名称。
 「埼玉県神社明細帳」によれば文明元年(1469)に二ノ宮山から遷座したとされ、延喜式の式内社ともいわれ比企郡の総社ともされているようです。
 一方、「新編武蔵風土記稿」では「淡州明神」との別名があり、天正4年(1576)南西の小名二ノ宮の地より遷座したものと記されています。
 
■4■「ご神水」の井戸かと
 社叢の木陰に所在することもあり苔の生え具合が何ともいえぬ風合いを醸し出しておりました。然し、水自体はそれほど深そうではありませんでしたが、大人でも落ちると自力では這い上がるのは難航しそうな規模なのでありました。何か謂れがあるとしても余り伺いたくはないような伝承がありそうな予感が..(汗)
■5■伊古神社社殿とご神木
 著名なご神木も現状では最早立ち枯れ寸前状態なのでありました。この個所が2段目の平場で社殿は3段目の平場に所在しています。
 右手の「ご神木」は、通称「はらみ松」と呼ばれて安産祈願の信仰対象とされていたとのことですが、樹勢の衰えは如何ともし難く...ここにも少子化の波が押し寄せているのかもしれません。
■6■台地畑下の急斜面
 「記念撮影」の個所の開墾された平坦な舌状台地の西側部分は意外なほどの傾斜を有し右手の竹林の下へと続いています。推定比高差は15m前後で、南側の台地続きの部分を除いて同様の急斜面を形成しています。
■7■季節はずれの「ホトケノザ」
 今年は12月の中頃になっても、「春の七草」に数えられるホトケノザが咲いています。幾分降霜の影響を受けて葉が霜焼けしているものの未だ枯れることなく健在。
 この後、別の場所でも翌年の1月、2月の時期に咲いているのを見つけました。こうなると単なる暖冬というよりも明らかに「異常気象」という言葉が相応しい光景です。山間部の降雪量も少ないことから、夏の水不足は不可避かと思われます。
■8■西側から見た伊古神社の社叢
 なだらかな丘陵地形を神域として利用した神社であることがよく分かります。丘陵の尾根筋との間にも、これといった特徴のある人工的な地形を見出すことはできませんでした。
 社殿の裏側に空堀跡でもあれば狂喜乱舞となりますが、そうは問屋がおろさずに緩やかな丘陵の尾根筋へと続いているに過ぎず、城館跡に関連付けるとすればもう少し標高と比高差が欲しいところでありました。
交通案内

・滑川町伊古神社周辺の丘陵地帯
いつもガイド の案内図です 地図サイトいつもガイド 


凸主な参考資料
「埼玉の中世城館跡」(1988/埼玉県教育委員会)・「関東地方の中世城館」2埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)「埼玉県史 別編4年表・系図」(1991/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣)・「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など
「滑川村史 通史編」(1984/滑川村編集発行)・「滑川村史 民俗編」(1984/滑川村編集発行)
「滑川村史調査資料 第4集 旧羽尾村・設楽家・小沢家・小林家・上野家」(1980/滑川村村史編纂室)
「滑川村の沼とその民俗」(1981/滑川村村史編纂室)

・2007/02/22 HPアップ

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