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谷津城(谷ツ遺跡)
関連ページのリンク  2005/03/14の日記  高見城   越畑城  杉山城   谷城
おすすめ評価
訪城季節2 遺構状態5 探し易さ4 交通利便4 体力消耗4 歴史経緯1 総合20
所在地
埼玉県比企郡嵐山町杉山104付近
歴史と沿革

■数年ほど前、関越自動車道の嵐山・小川ICの新設工事に伴い県の埋蔵文化財調査事業団により平安時代の古代集落跡の発掘調査が行われた。この際に上幅2m、深さ1.5mから2mの50mにも及ぶ薬研堀の堀切が検出され、これに伴い「中世北武蔵の城」の著者である梅沢氏らが調査した所、丘陵の先端部分に人為的な造作が加えられたと考えられるいくつかの遺構が確認されたということです。
 梅沢氏の著書によると、この城郭に関する記録、伝承は全く存在しない模様です。 ただ周辺の杉山城や越畑城との関係を考慮すると、両上杉氏やその後の後北条氏関連の遺構であるようにも思えるのですが。
 なお、藤木久志氏は下記のシンポジウム資料中「戦国比企の城と村」と題する報告の中で、持論の「村の城」の一例としてこの遺構を提示している。また、遺構の名称も「谷津城跡」としているのでこれを使用させていただいた。

確認できる遺構
土塁、切岸、平場
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■杉山城の北北東600mの小川・嵐山ICを挟んで杉山城と向かいあった位置に所在する標高78.3mの丘陵先端部分。杉山城の標高の方が高く、こちらから杉山城を見通すことは難しいので杉山城に関連した出城のような砦と見るべきなのだろうか、いずれにしても大変小規模な遺構である。

参考資料、古文書、
記録

「嵐山の中世」(嵐山町博物誌第五巻 嵐山町1997年発行)この本はビジュアルで特に中世城址に関心がなくても読みやすい内容です。
「嵐山町史」(1983年嵐山町編集発行)
「中世北武蔵の城」(2003年/梅沢太久夫著/岩田書院刊)
「シンポジウム 埼玉の戦国時代」(2005年/史跡を活用した体験と学習の拠点形成事業実行委員会)   

文化財指定
訪城年月日
2005/03/14
訪城の記録

( 2005/03/14 )
花粉症の方はご注意を
 この辺りの一帯はあちこちに丘陵が展開していて、ゴルフ場などの建設ラッシュ以前にはかなりの遺構が残されていたのではないかと思われる地域です。堀切の確認された部分は平安時代の集落跡と共にICや側道の工事によりきれいさっぱりと消滅していますが、丘陵先端部分の中の遺構は現在も残されていました。
 その丘陵自体は標高78.3m、比高20mぐらいのこの辺りではどこにでもありそうな地形であり、この場所に城郭遺構があるのなら、あれも怪しい、こちらも怪しいとキリがなくなりそうな地域ではあります。所有者の方と思われる民家が丘陵の直下にあるので、拝見するのが気が引けましたがせっかくここまで来たもので、遠景の撮影をしてから山林の中に突入させてもらいました。現在遺構として外形的に確認できるものは西側の高さ60cmほどの土塁状の高まりと東西の平場、南東側の二段の切岸ぐらいです。このうち上段の切岸は大変に分かりやすい状態で遺されていました。
 一口に城郭遺構といっても色々とあり、こちらの場合は大きめに見ても南北80m、東西100mという狭い範囲に2か所ほどの連続した郭を配した物見砦のようなものであったのかもしれません。この遺構にもっとも似ている遺構が滑川村の森林公園近くにある「谷城」です。両者共に規模の小ささといい、平地に突き出た形状といい、縄張りの簡素さといい、確かに藤木氏の指摘するような「村の城」の要素を感じます。  しかし、この山林は大部分が杉林で帰りに紺色のズボンのすそが大量の花粉で黄土色に変わっていることに気がつきました。3年前に花粉症を発症してから例年かなり重症でしたが、この分ではこうした逆療法のおかげで、目とのどが少し痛い程度で何とか乗り越えられそうです(^^)

Best Shot?


 発掘調査により確認された平安時代の集落跡も城郭関連遺構と思われる堀切も、このICの建設工事に飲み込まれてしまったようです。正面の黒くみえる杉林が城郭の推定遺構ということです。
 ( 2005/03/14 撮影 晴のち曇 )
交通アクセス

・東武東上線武蔵嵐山駅より徒歩40分、関越自動車道地下道の東松山32号の北側 MapFan Web の案内図です 


( 2005/03/14 撮影 )

■城跡の北側に所在するため池。堀切跡はこのため池の近くまで伸びていたと推定されています。
■上州方面の雪をかぶった山並みが見えるほど、午前中までは良い天気だったのですが、どんどん曇り始めて午後1時ごろには完全にどんよりとした曇り空となってしまいました。
■山頂部分にある平場の南側付近の切岸で、幅は約20m程度、段差にして1mから1.5m程あり、この上が東側の平場になっています。
■同じ切岸を東側から接近して撮影。自分のような素人にはこの遺構が一番分かりやすい。
■東西の平場の間に南北に伸びる低い土塁状の遺構。こちら側から見て高い所でも1mはなさそうで、注意して見ないとたぶん見落とします。
■早春のこの時期にもかかわらず雑草に覆われて全体の形態がつかみ辛い南側の下段の切り落とし部分。大きさは幅20m、高さ2mほどでしょうか。
■このコンクリートの道を利用させていただくと早くいけます。
 自分はわざわざ沼の近くまで降りて西側から登りましたけど。
■南側からの全景で、比高差にして約20mあります。関越地下道の東松山32号を北側に抜けるとこの丘陵が目の前にあります。駐車場所はそこから側道を左に入り左側に寄せて駐車する以外にはなさそうです。30分もあれば用が足ります。
 
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