( 2005/03/07 撮影 )
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■南西側の高見城に向かって真直ぐに伸びる町道より撮影。南西側からの山容は間違えようの無い特徴のある台形状で、季節と天候次第ですが杉山城、越畑城、武田信俊館からも同様の山容を望むことができます。
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■地元では別名四津山(四ツ山)城。頂上が小さく4ヶ所に分かれて見えるそうためにそう呼ばれていますが、その形態は元々からある自然の尾根筋の地形とこれに加えた郭と堀切の構築によるものです。
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■高見城へ上る峠部分に通じる十字路。この道を直進すると四津山神社の参道のある眺めの開けた峠にでます。自分は向かって右側の方向から来ましたが、この十字路にも丁寧な指道標がたて建てられています。 |
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■四津山神社への参道入口。ここが高見城への登口で、車を止める場所は白いガードレールのある場所左側の山側辺りが適当かと。 |
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■近年建立された四津山神社の再建記念碑ですが、城跡関連の事項についても若干触れられています。 この碑文によれば、主祭神は火遇突智命であり、神社としての歴史は新しく、宝暦9年(1759年)北側の山麓に今も所在する高見山明王寺境内に祀られていた愛宕神社をこの山頂に遷座したことが起源のようです。その後明治の末年になり全国的な神社合祀の潮流のなかで地元の八幡神社など二ヶ所の村社を含む11社を合祀し18祭神となり、明治40年にその山容に因んで四津山神社と命名したとのことです。 |
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■戦後間もない時代の昭和24年(1949年)に建立された石造の鳥居で、形式的には靖国鳥居のようですがある意味で時代の背景を感じます。 「鳥居の語源」は「鳥が居る」「通り入る」などといわれており、天空に舞う鳥を神の使いとしたことによるとも考えられます。右脇の石碑も含めて歴史の新しい割には地元の方々の篤い信仰に支えられて様々な神社関係の建造物が配置されています。 |
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■犬走りと呼ばれている帯郭。本郭の東側から南側を廻っていますが、腰郭を過ぎた辺りから途中ではっきりとしなくなっていました。 太陽が当たっている部分が幅広になっていますが、これが本郭下の南東部分にある腰郭で、標高160mから170mに位置しています。 |
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■左の写真の犬走りへの道と本郭(参道)との分岐点。右側の石段をハアハアいって登り詰めた後、コンクリートで舗装された急斜面を登ると、視界が開けて本郭北東部の腰郭と呼ばれている削平地にでます。 |
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■これがその腰郭部分でここから石段の男坂と迂回路の女道に分かれますが、登るなら女坂を進んだほうが楽です。日頃の運動不足と太りすぎのため、だいたいこの辺りですでに息切れしていましたから。左側の祠が不動明王の石像、右側の石碑が大黒天...と、ここまで平日のせいか誰一人として人間に遭っていない。標高約178m。 |
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■女坂といっても急斜面に設けられた小道で、途中から斜面を一気に上り詰めます。それにしてもご覧の通りの急斜面ですが、本郭の真北に当たりますので未だ雪も融けずに残っています。 |
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■後ろを振り返ると、先ほどの分岐のある半月形の腰郭がこんな感じで見えます。 |
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■ジクザグの登りも少しあり、またもや次第に息切れしてきてもうだめだと思うと、そこが郭が並ぶ稜線でやれやれと一安心をするという次第(^^; なお、この現地での標識が本郭跡と明記されていますが、本郭そのものはこの50mほど南東にすすんだ四津山神社の社殿の所在する地点であり、この標識の場所は右側の二の郭と本郭の北西側の小郭との間の堀切部分です。標高202m。 |
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■同じ場所を南西側から撮影。堀切とか空堀は順光よりも幾分逆光の場合の方が立体感が出るようです。 |
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■社殿が所在する本郭の小口ということらしいのですが、言われなければ単なる土塁の切れ目のようにも見えてしまいます。天然の地形と堀切だけでもある程度の防御性を発揮できると考えられますので、元々土塁の構築は大規模ではなかったのかもしれません。この本郭北側の土塁の一番高い所で標高は206.5m、調査により南側には土塁が元から築かれてはいなかったということです。 |
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■四津山神社の社殿。再建されてから余り年月が経過していないこともあるかも知れませんが、風雨に晒され通常無人となる山上の社殿としては綺麗に維持管理がされているようです。 |
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■二の郭とその土塁。土塁は北側と北東側、南西側のみに確認できますが内部での高さは高い所でも1m程度です。左側の喰い違いとなっている個所が三の郭側の小口部分。 |
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■二の郭の南西側の土塁と標識。この辺りの土塁の高さは内側で1m未満です。 |
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■上記写真の二の郭小口部分の拡大。三の郭側から見ると進入路は90度左に曲がっています。 手前の方にある土塁がもう少しこちら側に張出していると枡形状となるのですが。下の堀切部分との比高差は最大10mほど。「小川町の歴史」では物見櫓の存在を示唆している |
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■三の郭の標識。城跡全体も日常的な清掃が行き届いているようで、落ちているゴミは殆どありませんでした。 関係者の方々のご努力にひたすら感謝を。 |
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■三の郭の南側にはこのような土塁が確認できます。内側の高さを補うために、土塁の手前の部分が幾分掘り下げられているのが分かります。 |
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■次の写真の堀切から見た三の郭の北側にある高見城の最高地点。標高208.4m。南側の水田との比高差は約100m、四津山神社の入口の峠部分でも比高差85mがあります。 |
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■三の郭北西側の堀切。写真手前には細長い人工的な尾根筋が続きますが30メートルも行かないうちに消滅しています。この堀切の辺りが城域北西部の先端です。 |
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■三の郭の東側から見た二の郭へ続く尾根筋の括れ部分。 |
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■本郭の北西側、二の郭の南東側にある200平方メートル程度の小郭。「小川町の歴史」では「つなぎの郭」としている。 |
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■男坂の石段の途中にある腰郭。3ヶ所腰郭のうちでもっとも小規模なものです。確認できる本郭からの帰りはこの男坂の石段を利用したほうが早い。でも登りは避けたほうが....元気な人は別にして。 |
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■右側の水路は荒川の支流の市野川の支流の後谷津川という小河川ですが、ご覧の通り境目にガードレールなどというものは存在していません。 幸いにして行き帰り共にすれ違う車も全く無く難儀はしませんでしたが...。 |
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