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杉山城址
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所在地
埼玉県比企郡嵐山町杉山字雁城645 
歴史と沿革

 江戸時代に編纂された「新編武蔵風土記稿」には「金子十郎家忠あるいは庄(杉山)主水と伝へる」とある。梅沢太久夫によれば遺構の状況から見て、松山城主上田能登守の家臣ではないかと推論されている。しかし、他に文献などもほとんどなくその真偽のぼどは分からない。今となってはこれだけの遺構がほとんど破壊もされず、関越自動車道の工事の時も計画変更により北側を迂回し、廃棄物の不法投棄場所となることもなく残されたことにひたすら感謝。

確認できる遺構
本郭、南2の郭、南3の郭、出郭、馬出郭、東2の郭、東3の郭、北2の郭、北3の郭、井戸郭、腰郭、土塁、空堀
構造的な特徴および周辺の地理的特徴


 梅沢氏によれば「中世の築城理念を入念に再現し、今に残る中世の築城教本」であるとのことであり、規模は小さいが複雑な縄張りが施されている。最高地点は標高100mに満たず、比高約50m北西から南東に向けて約500m北東から南西が200mの長さを有するが遺構全体の面積は大手口周辺を含めても5万平方mに満たない小規模な城域である。縄張りの弱点はやはり緩斜面が続く北の郭のある搦め手方面であろう。本郭南側などの複雑な縄張りと比べるとかなり単純なつくりになっているように思われるが。

参考資料、古文書、記録

「新編埼玉県史 通史編2」 (埼玉県/1988編集発行) 
「嵐山の中世」(嵐山町博物誌第五巻 嵐山町1997年発行)この本はビジュアルで特に中世城址に関心がなくても読みやすい内容です。
「杉山城保存管理計画書」(1992年嵐山町教育委員会発行)
「新編埼玉県史 資料編中世3記録1」(埼玉県/1985編集発行) 
「新編埼玉県史 資料編中世4記録1」(埼玉県/1986編集発行) 
「嵐山町史」(1983年嵐山町編集発行)

文化財指定
埼玉県指定史跡
訪城年月日
2004/09/15
訪城の記録

 事前に確認しておいたので玉の岡中学校の駐車場に車を止めさせていただき、天台宗積善寺の墓地のを目指すと墓地の裏側の大手口にたどりつく。と、いっても全体としては玉の岡中学に向かって緩い傾斜がかかった開けた場所といった感じ。特に順路があるわけではないので本郭に向かって右側、つまり東郭方面から本郭を目指した。通路から見える東の郭は二段になっており手前が東2の郭、先端の一段低いところが東3の郭で、このあたりは見通しもよく快適なハキングコース風。すぐに本郭の下に出るので少し上ったところが小口となっている。
 本郭は写真のとおり発掘作業継続中のため、足の踏み場の選択に躊躇する状態。本郭から見て東側の眺望は良く東郭の両脇の溺れ谷は標高からすると意外と深く防御性は高そうに思える。しかし、北側は名称どおりの杉林の緩斜面で眺望は全くない。西側は急斜面で要害度は高いが見通しは悪い。
 そのまま北の郭方面に足を伸ばしたら、伸ばしすぎて足が止まらず舗装された切り通しの町道まで出てしまった。ま、途中でこの辺は単なる丘陵の斜面だとは思ってましたが(^_^;.........というくらいに全体として小粒な構成になっている。大手口付近の規模がはっきりとしないものの、短期間であっても1000人の城兵がたてこもれるかどうかという程度の小規模な城域である。再び本郭方向を目指して斜面を登り井戸址付近から腰郭から南の郭、井戸郭を見て終了。約1時間の訪城でした。
 夏場でも伐採などをこまめにやっていただいている様で歩くには支障はないのですが、郭や土塁、空堀、竪堀などの様子が雑草の伸びが良いのであまりよく分からないというのが実情です。そのあたりのことを頭にメモして、やはり11月あたりに再訪城するつもりです。
 帰路に、嵐山町立図書館により、嵐山町史を閲覧し必要個所をコピー(210円)。さらについでに、菅谷の県立歴史資料館により冊子数冊を購入(1450円)。ふと、受付カウンターの奥の棚を眺めたら嵐山町史の中世編があり、流通に乗っている本ならばA4版240頁オールカラーだと5000円から8000円ぐらいしても不思議ではないのに、なんと2800円という赤字必至の価格のため給料前にもかかわらず即購入。あまり出版物の売行きは芳しくないらしく、どういう訳か随分と感謝されてしまった。川越街道を自宅に向かう途中、冷房が弱めであるにもかかわらずよく効くので冷房を止め車の窓を開けたら、外は初秋の涼しい風が渡っていた。<<2004/09/15>> 

 



 城域の北東側の道から本郭へむかうこの道が写真中央で、左側の本郭の小口に登っているのが見える。右側が東の郭で展望が開けているが、晴天にもかかわらず東の郭の両側の谷は谷底に竹や杉が密集し暗くよく見えないほど深く感じる。本郭と南2の郭の中間地点あたりから撮影。<<2004/09/15 撮影 晴れ>>
交通アクセス

 東武東上線武蔵嵐山駅より徒歩30分。関越自動車道嵐山小川ICの南側直線で500mの位置にある。
 国道254線東京方面からは、東武東上線月の輪駅入り口の交差点の次の上唐子北の交差点を右折。そのまま1.5km直進すると、東武東上線の踏み切りに出るのでこれを横断。そのまま1km直進すると右側にセーブオンのコンビにがあるのが、そこの駐車場から進行方向右側の直線で800m先の小高い丘陵が杉山城。中学校の建物も見えている。そのまま玉の岡中学校南入り口の丁字路の信号を右折して市野川にかかる相生橋をわたり緩いのぼりとなるが、その峠部分の左側に玉の岡中学校がある。
 些細なことですが、徒歩の場合だったらコンビニの角の砂利道を右折して、突き当たりの舗装道路を左折するコースを取ったほうが、距離も変わらず眺めがいいのでハイキングとしては楽しい。いずれにしても目印は嵐山町立玉の岡中学校。


<<2004/08/21撮影>>
 上の説明にもあるコンビニの角を右折し突き当たりの舗装道路まで行くと格好の遠景となる。正面の木の茂った小高い岡が杉山城そのもの。丘陵の右側に玉の岡中学校の建物が見える。
 よその方の田んぼでも、このようなお米の豊かな実りを目の当たりにすると幸せな気持ちになってしまうのは年のせいだろうか.........。
 同じ道路から畑の脇に植えられた秋の花々を近景にして撮影。
 旧鎌倉街道上道沿いの市野川の南側にあるこの農道は車のとおりも少なく、展望の開けた気持ちのよい場所なので、時間があれば散策するには格好のお勧めコース。
 コスモスの花越しの杉山城。トリミングしようとも思ったが.......ありのままの風景を尊重して。
 大手口にある説明版と表示板。この他の郭にも要所要所に設置されている。目立ちすぎもせず簡潔な表示。予算の関係や所有者の方の了承も必要とは思いますが、小口の周辺に郭ごとに名称・役割・広さなどの解説とともに設置されているともっと分かりやすいなどと勝手なことを考えたりして........それくらい複雑な縄張りなので。
 広い意味の文化財として後世に伝承していくには限られた人々だけではなく、より多くの人々に対しても理解を普及させることにあるのかと。もっとも観光化されすぎて、あまり大勢の人が訪れるようになると、結果的に土塁が崩されたり、ごみが捨てられたりと問題は増えますけど.........そのあたりが保存・活用の難しいところらしいです。
 大手口を中学校側まで戻って遠景で撮影。出郭の小口、土塁が見え、その奥に南2の郭も見える。手前の撮影場所に向かってゆるいスロープとなっているが、この辺りからは、なかなかその郭群の複雑な配置を想像することはできない。
 中央やや上の平らな部分が東2の郭。このあたりを歩いていると標高100mにも満たないということを忘れてしまうくらいに眺望が良い。
 本郭の中央部分にある埼玉県の史跡指定の石碑。奥の方に見えるのが本郭の北の郭側の土塁。
 南2の郭の北東側の回廊右側の土塁の高さは空堀の底部からだと3m以上はある。とにかく複雑な縄張りのため知識と表現能力の不足も相俟って写真の説明が大変........。
 本郭の北西部分
 正面が本郭だとは思いますが.......記憶が。
 堀切により隔てられた左側北2の郭と右本郭、本郭の傾斜角度は60度ぐらいあり事実上上れません.......高さも7メートルぐらいはありそうな。堀切の先は東郭の深い溺れ谷となっている.......この部分は現状でもなかなかの防御力を感じさせます。
 北3の郭をそのまま下った先の町道にある馬頭観世音と庚申供養塔
 北3の郭の小口部分だが、この辺りの土塁の状態はあまりよくないように見えた。
 右側が北2の郭、左側が北3の郭。
 北2の郭の小口周辺あたり
 本郭南西部の竪堀から本郭を撮影
 井戸址(雑草の元気が良いので見当たらず)あたりから右側が井戸郭、左側が本郭。本郭の高さは6メートルぐらいはあるのだが写真で見るとそうは見えない。
 正面が本郭左側が井戸郭、右側が南2の郭。
 南3の郭の中央にある表示板
 南2の郭から本郭を撮影。
 正面が本郭左側が井戸郭、右側が南2の郭。
 南2の郭から本郭の南東部の張り出した部分を撮影。
 馬出から南3の郭の外周りにある回廊で人一人がやっとと折れる幅しかない。回廊の外側は傾斜が急で登るのは難しい........どちらに落ちても這い上がるのには骨が折れる.........よく崩壊しないものだと、そっと静かに歩く。
 同じく馬出から南3の郭の外周りにある回廊。手前の空堀は深さ3m程度、右端に見えるのが南3の郭。
 馬出の手前腰郭の土塁、竹の根が蔓延っているので滅多なことでは崩れる心配は無い。
 出郭から馬出にかかっている仮の橋 ?構造材は太目の竹、踏み板は古ぼけたコンパネという至って簡素なつくり。立ち入り禁止の意味だと思うが簡単な柵が施されていたが、進入禁止とは書かれていなかったので自己責任ということで渡らせていただいた。バウンドしてよく揺れるので自然と早足に........。
 正面が南2の郭、左側が南3の郭
 出郭あたりから南2の郭を望む
 標識の裏側に日光を燦々と浴びて咲いていた。
 出郭あたりから南2の郭方面を望む
 積善寺の境内に咲いていたコスモスが初秋の風に揺れていた。
 

 
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