( 2006/02/09 )
凸またしても岩山登りに
秩父市の図書館へ立寄ることも本日の重要な目的なので、時計の針とにらめっこをしながらの訪城。こうした事情にも拘らず「美の山」への南側からの道路の入口を間違えるなど更に時間を浪費。それに加えて結局は瑞岩寺側からしか登れそうもないことが分かり夕方の寒風吹きすさぶ小さな岩山をよじ登ることに。
登口には危険個所を改修するための工事予告の看板が設置されてはいましたが、足回りさえしっかりしていれば全く問題もなさそうでした。肝心の城跡はゴルフ練習場の建設などにより消滅している模様で、詰の城となる背後の岩山だけが屏風のような地形で残されていました。
さほど標高があるとは思えない山頂からの眺望は視界をさえぎる樹木などが少ないこともあり思いのほかの絶景で、城峰山、両神山、武甲山方面がよく見通せます。また眼下の荒川沿いの街道を監視する役割としてはまさにうってつけの立地条件かと。こういうことは登ってみないと体感できないことで、時間が余りない状態でしたが比高差80m足らずの岩山に残り少ないエネルギーを消費して大正解でした。
( 2006/02/13 )
凸消滅したとされる辺り
前回北側からの遠景を撮影し忘れたため天神山城(長瀞町)から根岸城(秩父市)に向う途中に寄り道を。最近「城館跡の遠景」も表現手法の大事な要素かと思いはじめ少しだけ拘っています。
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どうも見ても低山ハイキングガイド風のページになってきたような感じが。遺構があったとされる場所は「秩父志」に掲載されている絵図によればこの左側(北側)の部分ですが、現在はゴルフ練習場となっていてその面影は全くありません。遺されている岩尾根の頂上のひとつは物見台として利用されていたのかとも考えられますが、その詳細は不明です。
( 2006/02/09 撮影 晴れ )
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■1■曹洞宗瑞岩寺 画像クリックで解説板へ
現地の解説板によれば、享禄元年(1528年)に上杉顕実の家老である長尾四郎左衛門昭国(長尾景春との関係不明)が開基となったとされているとのことです。寺は岩山の南面の暖かな場所に所在していますので、かりに何某の居館が所在するとすればこちら側でなくては不自然ではないかと思われました。 |
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■2■西側の尾根筋先端部分 画像クリックで拡大
岩山の細い尾根筋は必要以上に見通しがよく、「新編武蔵風土記稿」などに記されている通り標高の割には本当に足のすくむほどの絶景でした。
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■3■山頂より城峰山方面を望む
全山が堅い岩山なので大きな木が育つことなく360度の絶景です。荒川沿いの南北に細長い印象が強い秩父盆地もこの大野原から影森辺りまでの地域は秩父市の中心地でもあり東西3km前後の広さがあります。
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■4■消滅したと推定される辺り
明治初期に編纂された「秩父志」所収の絵図によれば、岩山の北側に三か所ほどの郭が存在していたとされていますが現在はゴルフ練習場となっているようです。左側の黒く影になっている岩山が上の「記念撮影」の山頂の山です。なお、絵図に従うと強いて言えば手前の枯れ草の繁る付近が三の郭あたりとなるのかもしれません。
2/9の時にうっかり撮影し忘れたため、秩父市の根岸城に向う途中に寄り道をして美の山へ向う道路から撮影したものです。なお、中央の鋸状の山並みは標高1723mの名峰両神山。(2006/02/13撮影)
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・岩ツツジの名所でもある。比高差は約80メートル。所要時間は上りに15分、下りに10分程度ですが切り立った岩尾根なので慎重な行動とハイキングの装備が不可欠。
・いつもガイド の案内図です
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凸参考資料
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)、「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)、
「埼玉県史 資料編6中世2古文書2」(1985/埼玉県)、「埼玉県史 資料編8中世4記録2」(1986/埼玉県)、
「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)、「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)、「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「秩父郡誌」 (1972/秩父郡教育会編)大正13年出版の復刻本、)、「中世の秩父」(2001/秩父地区文化財保護協会)
「秩父志」(「埼玉叢書」の国書刊行会より出版された復刻本より)、「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「皆野町史 通史編」(1988/皆野町)、「皆野町史 資料編3」(1981/皆野町)「増補秩父風土記」を所収
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