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■1■合角ダム
合角ダムの堰堤の上から日尾城方面が望めるかなと思ってダムのの東側の方まで歩いてみました。しかし、写真左側に所在する標高698mの観音山のその特徴のある岩尾根を望むことができるものの、肝心の日尾城は手前の尾根筋の影になってしまい殆ど眺望することができませんでした。
また日尾城の山上からも上吉田の中心である塚越地区方面を望むことはできないようです。したがって、女部田城の土坂峠からの往還を監視するというその役割がより明確となります。
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■2■吉田川の上流に架かる橋の上から
右側のやや標高の低い山が標高567mの日尾城。左側の高い山は観音山で右奥に少し霞んで見える山は鷹谷砦からみえた赤平川沿いの標高998mま白石山(毘沙門山)から東へ続く標高700mを超える岩尾根の迷路と難路が続く尾根筋。したがって、赤平川の三山地区から山越えで攻め寄せることはなかなか難しそうですので、あくまでも北側の土坂峠方面の防衛拠点であるという印象がします。
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■3■殿谷戸の集落へ
日尾城には群馬県境の矢久峠へと向かう県道282号線と別れて、倉尾デイサービスセンターのあるバス停の所から吉田川に架かる橋を渡って30戸程の殿谷戸の集落に向います。左側の標識には「カタクリの里、牛首峠」と書かれています。
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■4■日尾城への標識
「山野草の里・カタクリの自生地」「牛首峠・日尾城」と記されたこの牛首沢沿いの細い道を南東の方角へむかって上っていきます。
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■5■よく整備されたルート
城跡へは麓の集落から牛首沢沿いの程よく整備された山道を登っていきます。一昨年に開催された「彩の国国体」の登山道となっていたようで、全体としてルートが大変良く整備されていますのでまず間違えようがない登り道だと思いました。
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■6■巨岩
さて、あちこちに砂岩と思われる巨大な岩壁が点在するダイナミックな光景を見ながらどんどん高度を上げていくと30分ほどで、地殻変動の断層後といわれている大きな岩の割目が特徴の牛首峠に到着します。どこの山城もこのくらい道が整備されていると楽なのですが。この砂岩質の巨岩の脇を左側から回りこんでルートは次第に高度を上げていきます
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■7■両側から迫る巨岩
地元の倉尾中学の生徒が設置した自然保護の立て札が各所に配置され色々と工夫がなされていて飽きません。
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■8■牛首峠から西へのびる岩尾根
念のため耐加重800sの60mのロープとヘルメットは持参したものの、両膝に疾患を抱えている身では自重するのが妥当なようです。この光景はロッククライミングあるいはフリークライミングの世界ですので、ため息をついて眺めただけでこの岩尾根を踏破してまで200mほど西側に所在する出郭を探しに行こうという気持ちには全くなりませんでした。
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■9■モアイ像?
一瞥しただけでイースター島のモアイ像のイメージが浮かぶようなオブジェも存在している牛首峠直下の奇岩群。
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■10■土坂峠方面
城峰山と両神山の中間に所在する標高700mほどの、永禄12年から元亀年間に武田勢の秩父侵攻のルートとなった土坂峠方面の眺望はたいへん優れているようです。
しかし、日尾城の山上からもこの牛首峠からも上吉田の中心である塚越地区方面を望むことはできないようです。このため、女部田城の土坂峠からの往還を監視するというその役割がより明確となります。このため現在でも国土地理院の2万5千分の1の地形図に一部記されているように、当時は女部田城から観音山を経て直接日尾城へと向う山道が存在したものと思われます。
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■11■牛首峠の断層
田戦争を下方から見上げた構図です。日尾城は麓からの比高差が220メートルほどあるにも拘らず、道がたいへんしっかりしているので体力的にも余り負担にはなりません。また峠の稜線部分の位置が概ね見当をつけられるので心理的にもプレッシャーがありません。やはり道のしっかりしている山城はだいぶ気が楽なようです。
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■12■牛首峠の階段
この階段を登り左手の岩の上から日尾城へと進んでいきます。太古の地殻変動による断層とはいえ、垂直な5mほどの岩壁なので人工的な堀切以上の要害となっています。
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■13■牛首峠岩壁の上部
写真「12」の左側の岩塊上部の様子で長さはおよそ10mほどありましたが先端部分の幅は2mもないような狭さです。この上に陣取って攻撃されたら全く防御のしようがない鉄壁の防御ラインです。
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■14■小口?
狭い尾根筋を少し上っていくと転落防止の柵が左側に設置され、道が右に折れるとこの坂小口状の個所に到達します。
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■15■石積みではなく炭焼き窯
更に幾分平坦な山道を進むと、こ炭焼き窯の跡に到達します。左手前の上方の尾根筋には樹木のために隠れて見えませんが、3段の腰郭がこのルートを見下ろしています。正面の左奥が主郭方向で、右手前方にも腰郭のような整形地が確認できます。
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■16■出郭
主郭との比高差は最大で20mほどもあり、北側の八幡郭と共に南側から主郭を挟み込むような位置に所在します。
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■17■出郭の先端部分
出郭の規模は幅約10m、長さやく45mほどの長方形で概ね平坦な地形をしています。また、この数メートルほど下方に直径6mほどの半円形の腰郭が所在しています。
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■18■物見台から眺めた根古屋方面の様子
樹木が多いの現状ではそれほどの絶景とはなりませんが麓の根古屋方面だけは見下ろせます。しかし、元々合角ダム方面も手前の山があって見えませんし、東側は観音山のために全く眺望が利きません。また南側には150mほど標高の高い尾根筋が続いているので、そちらの方も見通しはそれほどにはよくありません。
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■19■物見台の土塁
手前の出郭へと続く腰郭部分からの比高は3、4mほどの高さのある壁を形成しています。
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■20■主郭部分 画像クリックで拡大
4段ほどの小郭から構成される主郭部分で、よく見てみると上段にすすむほど郭の幅が広がっていきます。およその大きさは下方から、@幅10m×長さ20m、A幅12m×長さ100m、B幅15m×長さ4m、C幅20m×長さ16mという規模で各郭の比高差は約1.5mほどでした。3段目を除いてそれぞれに小屋掛けされていてもよいような環境です。
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■21■南側から見上げた八幡郭
主郭最上部の通路部分からでも4mほどの比高差を有しますので、主郭の所在する辺りは西方を除いて三方が高い壁に囲まれているような構造となっています。この八幡郭の右手の方から「倉尾ふるさと館」の谷筋に向かって下るルートもありました。
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■22■八幡郭の土塁 画像クリックで拡大
北側部分に物見台のような高さ2m、長さ15mほどの細長い土塁が築かれています。この先に堀切があるのですが、岩のルートがよく分からず膝の具合もそろそろ限界に達していましたので今回はパスしてしまいました。
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■23■八幡郭 画像クリックで拡大
広さは平坦部分で幅約8m、長さ約20mほどで西側の先端がやや飛び出しており、また樹木のためにやや分かりにくくなっていますが、その下方に三段の腰郭が形成されています。
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■24■日尾城山八幡
八幡郭の名称の元と思われる「」の石祠ですが、気のせいかも知れませんが全体的にやや向かって右側に傾いているように見えました。
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■25■「北国の春」
すぐ麓にさしかかろうとしたとき、何故か突然「北国の春」が流れました。よくある役場の「防災無線 夕方のお知らせ」かと思いきや、実は生活用品販売の1.5トンほどの移動巡回車なのでありました。横目で積載している商品を見ると漬物、菓子、飲み物、調味料、洗剤、雑貨に至るまで少量多品種な商品を積載していました。
余り珍しいので、少しはなれたところから記念撮影させてもらいました。居住されている方の平均年齢も高いようで集まってきたお客さん数名も全員が70歳台。「北国」ではないにしても、山間の集落にはぴったりの音楽と移動販売車なのでありました。
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■26■幕末の絵図と寸分違わぬ光景が 画像クリックで拡大
日尾村絵地図(天保7年加藤漢山筆/関口和夫家所蔵)にも村境の南端部分に「古城跡」として記されてますが、まさにこの光景とほぼ一致していましたので概ね同じような位置から描いたものと思われます。
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