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■1■要害山遠望(第1の関門)
赤平川に架かる皆本橋の上から撮影したもので、以前は国土地理院発行の2万5千分の1の地図にも掲載されている三山と薄地区を繋ぐ古い峠(戸蓋峠)道が所在していたはずなのですが。一応「新編武蔵風土記稿」では「とふだ峠 村の南の方登り18町、絶嶺村界にして、薄村に至れる峰なり」と記されていましたので古い峠道であったと推測されます。
国土地理院の地図によれば古い峠道は赤平川の支流であるミナモト(皆本)沢を越えるように記されています。しかし、土石流のために消失したのかその付近には渡るべき橋がどうしても見当たりません。
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■2■土石流の爪跡(第2の関門) 崩壊規模はおよそ幅20m高さ50mほど
しかたなく鷹谷砦に向う登口からミナモト沢の林道に沿って遡上すると、対岸の道路に渡るコンクリート製の橋を見つけました。しかし目の前には崩壊して間もない斜面と流れ落ちた土石流の一部がミナモト沢の下流に残されていると云う光景が。けっして能天気にして崩壊した斜面をのんびりと撮影していたのではなく、撮影中にも細かい砂礫や土がパラパラと...とりあえずヘルメット着用してから足早に危険個所を退避して先へとすすんでいきました。
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■3■林道は通行止め(第3の関門)
崩壊した斜面を東側へと回りこむと峠の方向にむかってこの林道が築造されていたので一安心したのもつかの間で、この先で林道は通行止めに。迂回路も、踏み跡さえも全く見当たりません。周囲を見渡すと左下のあたりに墓地が所在するのでその付近からの道をあらためて探してみたものの全て途中消滅行き止まりに。
このあと林道の通行止めを迂回して正面の杉林を抜けて、戸蓋峠へとつづく小さな谷筋を横断する個所まではルートを確認。しかしこの辺りでは既に踏み跡は殆ど確認できず、現状の天候やこの後の塩沢城での時間配分を考慮してやむなく要害山訪城を中断を決定。
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■4■国道299からの要害山
正面に見える樹林帯の左側から谷筋に沿って戸蓋峠方面に這い上がるのが一つのルートであるかもしれません。岩場は外見上からは確認できませんが全く道が無いので、比高差にして150m分くらいは生茂る潅木の枝とに摑まりながらの急斜面との壮絶なバトルが予想されます。なお、写真左下の「12.4」という標識は「国道299号線志賀坂峠まであと12.4km」という意味のようです。
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■5■古鷹神社
要害山北西の赤平川対岸の間明平(まみょうだいら)地区に所在する神社で
、境内の樹齢400年から500年と推定されている大杉は小鹿野町の指定天然記念物(1973/01/10指定)。かつては向って右側にも目通り6m以上の大杉があったようですが現在は左手のものを含めて3本が残されていました。
高さ40メートルを超えるこれらの大杉は、450年ほど昔に行われたこの三山谷での北条氏と武田氏の戦いを見つめていたのでしょうか。「新編武蔵風土記稿」では「諏訪社 小名間明平の鎮守」と記されているものがこの神社に相当するのかもしれません。 |
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■5■要害山
小鹿野町役場や国土地理院の2万5千分の1などの情報を総合すると、どうやらこの送電線の鉄塔が建てられている山が要害山のようです。(追記 鉄塔部分は要害山手前の尾根筋の一部で、山頂はさらに比高差100の個所でこちら側からは直接眺めることはできないようです -2007/05/29- )北側の斜面には垂直に近く切り立った岩場があちこちに見え隠れしています。登口は多分右手の峠となった方からアプローチするのが良さそうなのですが、土石流の跡や通行止めやらで進路を阻まれ最終的に断念しました。
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