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アクセスありがとうございます。 学術的な城館遺構ではなく主に「素人の思い込みと勘違い」によるものです。
関連ページへのリンク 2006/11/25のブログ 羽尾千躰地蔵裏山 五厘沼の遺構 羽尾堀の内 羽尾城 城原城 愛宕山
所在地
埼玉県比企郡滑川町羽尾裏郷、羽尾表
遺構まがいの地形
平場?
城館遺構の可能性
0%
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

付近には「羽尾館(羽尾堀の内)」が所在
 羽尾館(羽尾堀の内)の南南東約400m付近に所在し、羽尾千躰地蔵の裏山から西へ尾根続きとなる丘陵地帯で、北側に向かって「Uの字状」の稜線を形成するという、なにやら些か気になる地形であることから稜線を中心に探索を実施。 しかし、北側の大半は篠竹の物凄い藪に阻まれ侵入不可能で細かい地形の確認も儘ならない、周囲の集落との比高差は最大20mほどの緩やかな丘陵地帯でありました。 

訪城年月日
2006/11/25、2007/01/08
訪城の記録 記念撮影

( 2006/11/25 )
見事な空振りもまた楽し
 地図上では、丘陵の西側からはかなり明瞭な里道がありそうな表記が。 しかし、元来が「へそ曲がり」のために敢えて道の良くない謎の地形の目だった「千躰地蔵堂」の裏山伝いから西へと進路をとることに。 始めは木の枝などに進路を遮られた見通しの全く無いないような里道を蜘蛛の巣を払いつつトボトボと西進。 やがて「ザルガヤ戸沼」の谷津の奥に相当すると思われる現源頭部の個所に到達。
 思いのほか開けた地形であるものの、丘陵の北側に面していることから明らかに居館を配置する場合の適性条件を欠くものと判断して一安心を(笑) 途中何か所も南側に所在する集落に関連すると思われる墓所が数多く所在。 墓石の中で最も古そうなものでは、18世紀半ばの宝暦年間のものなどが所在することを確認。
 このほか人工地形とも自然地形とも判断できない平場が南側に所在するものの、当然のことながら、そうそう中世城館跡と関連しそうな地形らしきものとは遭遇せず。 というよりも北側部分はこの地域特有の篠竹の密生のため地形の確認自体がほぼ不可能な状況なのであります。
 一般的には、このように「やはり何にもない」という事例が至極当たり前かと。 そう簡単に「謎の溝状地形」や「小口らしき地形」に遭遇していたら、とても2006年中には滑川町の丘陵地帯から脱却できなくなる見通しにて。 また、何も確認できないということも「城館遺構」を識別する上では大切な経験の積み重ねのひとつに相違なく。


( 2007/01/08 )
性懲りも無く
 前回は南側の稜線から探訪し、篠竹の余りに頑強な総構の前にすごすごと撤退した経緯が。 肝心のU字型の凹み部分には特別養護老人ホーム「森林園」が大規模な造成工事を伴い所在。 このため従前の地形の様子については最早推定することさえ困難な状態に。 東側の稜線を探索してみようとも思ったものの、またしてもあらゆる者の侵入を阻む例の篠竹が目に付いたので早々に断念を。
 さて、滑川町の「沼地」自体を探訪することも目的の一つなので「沼、沼、沼」とブツブツと呟きながら「ザルガヤト沼」を捜索。 10分ほどを要して、職員の方々の駐車場の奥にやっと発見。 
 かくて羽尾地域で中世城館跡の可能性のありそうな個所はについてはほぼ確認完了を。 老人ホームが所在する場所は北側を除く三方を丘陵に囲まれた地理的条件なので、これが南側に面していれば中世城館の所在地としては格好の条件かと。 しかし、生憎と北側に開口した地形のためそうした可能性は僅少であると結論付けた次第であります。

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貞享4年の絵図には「とうてう沼」と記され
ている「高屋敷沼」(ザルガヤト沼西側)
( 2006/11/25 撮影 )
訪城アルバム
以下の画像は2006/11/25に撮影したものです。
「ザルガヤト沼」の源頭部 画像クリックで拡大
■1■ザルガヤト沼の源頭部付近 画像クリックで拡大
 やや湿地帯気味の土壌ですが、谷津の深奥部であるにも関わらず事前の予想通りに大きく開けた地形が眼前に広がります。 しかし、丘陵の北側斜面に所在するため「居館」などの立地条件としては不向きな印象です。 
 この個所を下っていけば僅か100mほどで「ザルガヤト沼」と特別擁護老人ホーム「森林園」へと辿り着き、更にその北側の丘陵には羽尾神社(「羽尾館=羽尾堀の内)が所在しています。
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■2■丘陵上の里道にて 画像クリックで拡大
 西進していく中で唯一遭遇した高低差のある地形ですが、「土塁」などというよりは元来の自然地形と考えるほうが妥当な模様です。 左側の平場状の部分とは3.5mほどの比高差があるので、何かの「遺構」にこじつけようと、あれこれ思案したものの「妙案」はありませんでした(苦笑)
■3■時折見かける「平場」状の地形
 里道の両脇にはこのような光景の平場が多く見かけられます。 しかし、その多くは近世以降の地元民家の方々の先祖伝来の墓所である事例が大半なのでありました。 判読できる範囲でざっと拝見した所では、宝暦年間が最も古く次いで安永、寛政年間から19世紀前半のものが多いようでした。
■4■丘陵の西端
 この辺りまで来ると軽トラックが走行できそうな立派な公道のような道になりますが、本来は山仕事や墓参などのための里道だったものと推察いたします。
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■5■南側からの遠望 画像クリックで拡大
 北側に向かってUの字状の稜線を形成する比高差は最大20mほどの丘陵地帯でありました。

以下の画像は2007/01/08に撮影したものです。
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■6■ザルガヤ戸沼 画像クリックで拡大
 前回目にすることができなかった沼池は特別擁護老人ホームの敷地の西側の片隅に深い緑色の水を湛えておりました。
 地名の謂れは「昔、浅間様信仰の人々が、この沼の近くに、浅間社を建てるため、ザルで土を運び小山を築き、その上に祠を建て浅間様をお祀りした」ことによるものとのこと。このために別名「浅間沼」とも呼ばれるそうです。(「滑川村史 民俗編」より)
■7■谷津の開口部
 南側の丘陵の稜線からは全く想像できない光景で、気になっていたUの字状の稜線を形成する比高差は最大20mほどの丘陵地帯の開口部には、ご覧のような老人ホームの施設がどっかりと所在。
 周辺の樹木がものの見事に伐採されているため北側斜面であるにもかかわらず、日当たりは思いのほか良好なのでありました。
 然し何分にも北側には比高差15mから20mの「羽尾堀の内」南側の台地が所在するために殆ど眺望がありません。
■8■東側の丘陵地帯
 東側に向かって細長く伸びる比高差10mほどの比較的眺望の良さそうな丘陵に新たな興味が沸いてきましたが、いかにも篠竹の藪が叢生している状況が目に入りあっけなく探査を断念いたしました。
交通案内

・羽尾千躰地蔵西側の丘陵地帯
いつもガイド の案内図です 地図サイトいつもガイド 


凸主な参考資料
「埼玉の中世城館跡」(1988/埼玉県教育委員会)・「関東地方の中世城館」2埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)「埼玉県史 別編4年表・系図」(1991/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣)・「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など
「滑川村史 通史編」(1984/滑川村編集発行)・「滑川村史 民俗編」(1984/滑川村編集発行)
「滑川村史調査資料 第4集 旧羽尾村・設楽家・小沢家・小林家・上野家」(1980/滑川村村史編纂室)
「滑川村の沼とその民俗」(1981/滑川村村史編纂室) 

・2007/01/03 HPアップ
・2007/03/20 画像・記述の追加

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