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薬師堂山
関連ページのリンク  2005/02/24の日記    台の城山  洞山館  広沢堂山  岡城  浜崎陣屋  堂山城
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態1 探し易さ4 交通利便4 体力消耗5 歴史経緯1 総合18
所在地
埼玉県朝霞市宮戸三丁目15、16、17、18付近
歴史と沿革

■ 「朝霞市史通史編」によれば、現在の宝蔵寺の故地、そして地名の謂れでもあるかつて堂山に所在したとされる薬師堂について、詳しいことは分かっていない模様である。かつて建物のものと思われる数個の礎石も存在したとの話も伝わっているが耕作のため撤去されたとのことであるが、周辺の出土遺物から奈良時代から平安時代に小規模な堂宇が建立されていたものと推定している。また付近では2例の経塚が確認され、出土した平安時代と推定される経塔などは埼玉県指定の考古資料とされており、非常に歴史のある宗教的な色彩の濃い地帯である。
 さて、中世城館については、これまた記録はおろか伝承の類もなく、辛うじて「郷土史朝霞2」所収の「朝霞の城館址」(1985年)に、かつて存在していた堀切と思われる遺構の貴重な写真が掲載され、そのことが唯一城館跡としての可能性を示しているに過ぎない。
 これによれば、その堀切は「野火止用水路」として利用され、「字切通」の地名の存在と記録などから近世以前のものと推定をしている。新河岸川水面からの比高15m、幅30m、長さ150mの地形が鍵の手状に広がり、地続きの西側の狭まった部分が上部で10m、深さ7mで掘り切られていたということであるが、もちろん現在では見ることはできない。なお著者の森氏は、天平宝字2年(758年)に新羅郡が置かれたことから、古代新羅郡時代の城地を想定されているが、残念ながら推測の域を出てはいないと思われる。

確認できる遺構
新河岸川沿いの台地の崖線のみで、現在遺構は存在しない。
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■薬師堂山は堂山とも呼ばれ、、宝蔵寺の北西500mに位置する新河岸川南岸標高15mほどの台地である。北東側は新河岸川に面し、北西側は志木市本町との間に浅い谷が形成されている。

参考資料、古文書、
記録

「あさかの歴史」(1997年朝霞市発行)
「朝霞市史通史編」(1989年朝霞市発行)
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「朝霞の文化財 第一集」(1962年/朝霞市教育委員会発行)
「岡の城山 朝霞市文化財調査報告書台10集」(1983年/朝霞市教育委員会発行)
「郷土史朝霞1」(1983年/森春男編/朝霞市郷土史研究会発行)
「郷土史朝霞2」(1988年/森春男編/朝霞市郷土史研究会発行)
「朝霞の石造物3 市史調査報告書第11集」(1994年/朝霞市教育委員会発行)
「朝霞むかしむかし」(1986年/子どもの本を読む会編/朝霞市立図書館発行)    

文化財指定
訪城年月日
2005/02/24
訪城の記録

( 2005/02/24 )
如何にもかなりの歴史の重みを感じさせる地形が眼前に....
 朝霞市の郷土史に関する資料を読んでいたら、新河岸川沿いの宮戸地区の北のはずれ辺りに薬師堂山と呼ばれる中世城館らしき遺構があるとの記述を発見し直ちに訪城へ。とはいえ、時間休をとっての探索でおまけに、自宅の部屋の片付けも急ぐので、日も暮れるしあまり時間が.....しかし予想外に川越街道が空いていて三十分もかからずに現地に到着し、前回夕暮れ時のためどれほど修正しても画像がはっきりしなかった堂山城関係を撮りなおし、地図とにらめっこをしながら宮戸の薬師堂山へと向かいました。
 現地に行ってみれば、思ったよりも分かりやすい場所にあり、古い資料に出ていた僅かな期待をしていた堀切は当然消滅していたものの、新河岸川沿いの崖線はゴミなども少なく綺麗に管理されていて、中世城館がかつて存在しても不思議はないような情景を浮かび上がらせていました。もっともしつこい性質なので、堀切の痕跡を求めてかなりうろうろしましたが(^^; 
 対岸の北側の河川敷では堤防の工事が行われているために、かなり雑然とした光景でしたが、こちら側は既に整備済みのためか夕暮れ時ということもあり、たいへん落ち着いた佇まいを感じさせてくれます。また、台地の中腹には散策路のような小道もあったりして、「台の城山」に比べれば台地もしっかりと残っているし、これは予定外の成果ということで満足を(^^)

Best Shot?



 新河岸川右岸の堤防の上から見た薬師堂山の全景。
 雲も多く夕暮れ時だったので、詳細は不明なものの歴史の長さを感じさせるような落ち着いた風情を辺りに醸しだしていました。
 ( 2005/02/24 撮影 晴 )
交通アクセス

・東武東上線志木駅・朝霞台駅、JR武蔵野線北朝霞駅より徒歩25分MapFan Web の案内図です


( 2005/02/24 撮影 )

■真義真言宗宝蔵寺の山門。
 「新編武蔵風土記稿」所収の「法蔵寺元起書(弘治元年)」によれば、宝蔵寺は以前は薬師堂山に所在したとされている。
■志木市に近い北西側の台地の中腹にはこのような小道が通っていてなかなかいい感じですが、中腹をめぐる道そのものは途中で消滅してしまいます。
■右上の場所よりも北側の新河岸川に近い辺り。
■台地下の公道から。
■右上の場所を反対側から撮影。白い看板は朝霞市が設置した環境保護地区の標識。ついでに古地名を表示してくれると嬉しいのですが...歴史・由緒などの文化的価値を包括することで環境保護の意味もより重要性を帯びてくるものと考えますが...
■薬師堂山の全景。左側の小さな小屋は農業用水用のポンプ小屋。
 
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