( 2005/02/21 )
■堂山尽くしで 「堂山」とも書くらしいのですが、今回はやたらと似通った名称が多いので「洞山」(どうやま)で統一を。今回の場合遺構らしいものは基本的に殆どないことは予定に織り込み済みでしたが、本当に何もないという感じで。。。。。僅かに市立朝霞一中の南側に本来の崖線の一部のようなものが残っていますが、資料では朝霞市幸町2丁目となっているのでこれは遺構の位置としては少し北側にずれているような感じがします。資料を虫眼鏡でよく見ると、あくまでも西側の崖線の下から見て右側のひな壇状の宅地造成地のあたりのようです。
「埼玉の中世城館跡」などの現地調査が行われたのはもう20年も以前の話ですので、当時ならばいざ知らず現時点で何らかの遺構があればそれはかなり珍しい事例なのかもしれません。あとで確認してみたところ、堂山と呼ばれている地域自体は更にもう少し南の浄水場のあたりということでしたが、いずれにしても遺構は全く存在しないということで。ただし昭和40年代に板碑が複数出土しているようです。
中世の城館跡が所在したとされる洪積台地の崖は目見当でだいたい低地との比高差10m位というところでしょうか。選挙関係のポスターがずいぶんと目立つと思ったら、朝霞市は市長選挙の真っ最中で、このあとで、両陣営の候補者と別々に遭遇してしまった(^^;
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