工事中 工事中PAGEの先頭
PAGEの最後 管理人へmail 工事中

アクセスありがとうございます。     素人の趣味ですので不備や間違いなどが相当にあると思います。     もしお気づきの点がございましたらご指摘ください。  
台の城山
関連ページのリンク  2005/02/26の日記  2005/02/21の日記  洞山館  広沢堂山  岡城  浜崎陣屋  堂山城
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態1 探し易さ3 交通利便3 体力消耗5 歴史経緯2 総合17
所在地
埼玉県朝霞市根岸台8−10付近
歴史と沿革

■宅地開発に先立って行われた昭和46年の朝霞市の発掘調査では弥生時代の住居跡は確認されているが、中世の城館に関する遺物は出土していないとのことである。また、「郷土史朝霞2」では中世の早い時期に極めて小規模の物見の砦として利用されたのではないかとの推定がされているが、そのほかの詳細については不明なようである。
 記録もなく、遺物もなく、遺構もなく、台地それ自体もなく手がかりは全く存在しないが、南北朝から16世紀半ば頃の戦国時代位の間に利用された砦であったのだろうか。あるいは規模や遺物の出土の有無から考えて郷村城の規模に相応しいようにも思えるのだが。なお、朝霞市内にはもう一つの城山(岡の城山=岡城)があるため、これと区別するために「台の城山」と呼ばれた。

確認できる遺構
完全に消失
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■越戸川の対岸に現在も存在している和光市の氷川八幡神社と対峙する形で存在していた独立台地が消失した「台の城山」であった。その旧城山の規模は台地の頂上部分で20m×30mほどの極めて小規模の独立した舌状台地であり、北側の洪積台地と繋がる部分には二重の堀切が存在したということである。 ( 「郷土史朝霞2」より )

参考資料、古文書、
記録

「あさかの歴史」(1997年朝霞市発行)
「朝霞市史通史編」(1989年朝霞市発行)
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「朝霞の文化財 第一集」(1962年/朝霞市教育委員会発行)
「岡の城山 朝霞市文化財調査報告書台10集」(1983年/朝霞市教育委員会発行)
「郷土史朝霞1」(1983年/森春男編/朝霞市郷土史研究会発行)
「郷土史朝霞2」(1988年/森春男編/朝霞市郷土史研究会発行)
「朝霞の石造物3 市史調査報告書第11集」(1994年/朝霞市教育委員会発行)
「朝霞むかしむかし」(1986年/子どもの本を読む会編/朝霞市立図書館発行)   

文化財指定
訪城年月日
200/02/21、24、26
訪城の記録

( 2005/02/26 )
消失した砦跡
 堂山城と昭和四十年代に消滅したといわれる台の城山との位置関係を確認するために再訪。一昨日降雪がなく、かつ足のふくらはぎの痙攣がなければ比企郡方面の山城を探索する予定でしたが、大事をとってなどといいながらまた手近なところでお茶を濁す次第となり....(^^;
 資料などによれば消滅した台の城山は、南側の堂山城と呼ばれる台地の北側にある谷津を挟んだ反対の位置に別の北側の台地から南へ張り出したほぼ独立した地形の台地だったそうです。うーむ、われながらややこしい表現です。北側の台地からは、かなりの急な下り坂でかつて台の城山があったとされる住宅地と繋がっています。台地ごとそっくり土取をしたそうで、今となっては前もって知らされていなければ、外形的にはその場所に台地そのものが存在したというようなことさえ全く窺い知ることができません。30年ほど前に開発された住宅地が、やや変則的な道路と共に存在しているだけです。元々の洪積台地とは城山町内会館の場所辺りで馬の背中のようなやせ尾根で繋がっていたようです。かつて、二重の堀切があったとされる場所には、大きな欅の木があったということですが、それさえも現在は見当たりません。

Best Shot?



 台の堂山の東の端の方からかつて北側にあったはずの「台の城山」のあとに建てられた住宅地。昭和40年代に来訪していれば、興味深い光景が眼前に展開していたはずですが....
 ( 2005/02/26 撮影 晴 )
交通アクセス

・東武東上線朝霞駅東口下車徒歩17分MapFan Web の案内図です 


( 2005/02/26 撮影 )

■木立の正面に見える台地からこちらの南側に「台の城山」の独立した小台地が張出していたそうです。
■「市史」によれば「台の城山」からは昭和46年の宅地開発のための発掘調査により、22軒の弥生時代の住居跡を確認している。台地の規模は東西50m、南北80m、標高22m、比高17mであったという。「市史」の212ページに掲載されている「台の城山遺跡推定復元図」は弥生時代の住居跡について推定の上作図したものであるが、今となっては台の城山自体の形状を具体的に描いた復元図でもある。
■城山町内会館と児童公園。かつて「城山」と呼ばれたものが存在していたことを伝えている名称がとても分かりやすい。
 
工事中 工事中PAGEの先頭 PAGEの最後 ご感想はこちらへ 工事中