工事中
PAGEの先頭PAGEの最後管理人へmail工事中

アクセスありがとうございます。     素人の趣味ですので不備や間違いなどが相当にあると思います。     もしお気づきの点がございましたらご指摘ください。  
伊勢方仮城(上杉仮城)
関連ページのリンク  2005/07/11の日記  曲田城  秋元氏館  人見氏館  東方城   庁鼻和城  皿沼城    
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態4 探し易さ5 交通利便4 体力消耗5 歴史経緯2 印象2 総合25
所在地
埼玉県深谷市伊勢方
歴史と沿革

深谷城への移転のための仮城
 深谷上杉氏は14世紀後半に、庁鼻和(こばなわ)に城を構えた上杉憲英(のりふさ)に始まります。始祖である憲英は、上野国守護、蔵人大夫、奥州管領などに任ぜられ、河越氏や高坂氏を中心とする平一揆の討伐や上野国の南朝方新田一族の平定になど活躍したとのことです。その後、憲光、憲信と3代にわたり庁鼻和を本拠地としましたが、康正2年(1456年)第4代の房憲の時、より防御性の高い深谷城を築城して移り住みましたが、「新編武蔵風土記稿」にはその際に一時的に築いたと伝えられている城が伊勢方仮城(上杉仮城)であるとの伝承が記されています。
 当時の状況から考えると、関東管領上杉氏と古河公方の争いのさなか管領方に属し古河公方足利成氏の勢力の圧力をまともに受ける地理的環境にありますので、小河川の福川などにより北側と西側が守られたより安全な西側地域への一時撤退を意味することになるのでしょうか。
 なお、100年ほど後に深谷上杉家重臣岡谷氏がこの城跡の東側を改修して曲田城を築城したと考えられています。  

確認できる遺構
堀跡か
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■庁鼻和城から見ると約3キロメートル西側、深谷城からは西北西約1.8キロメートルに所在し周辺は水田地帯が一面に広がるの平坦地です。
 「埼玉の中世城館跡の調査」などによれば、伊勢方、谷之、曲田の西側に跨る大規模なもので、後に改修されたとされる曲田城の部分を含み東西約450m以上、南北約200m以上という広大な領域が推定されています。

参考資料、古文書、
記録

「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)
「埼玉県史 別編4年表・系図」(1991/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「埋蔵文化財発掘調査報告書第59集 庁鼻和城跡 第4次」(1999/深谷市教育委員会)
「深谷市の文化財」(1974/深谷市教育委員会)
「目で見る深谷の歴史」(1981/深谷市教育委員会)
「深谷市史 追補編」(1980/深谷市)
「深谷市のHP」
「角川日本地名大辞典 11 埼玉県」(1980/角川書店)      

文化財指定
訪城年月日
2005/07/11
訪城の記録

( 2005/07/11 )
城跡に城を築く
 曲田城が前回葬儀準備中のため境内への立入りを遠慮したことと、伊勢方城跡の位置との相互確認などの問題があったので再訪を。この城跡は全体としてみると曲田城のある場所を含めて「伊勢方仮城」あるいは「上杉仮城」などとも伝えられ「新編武蔵風土記稿」「埼玉の中世城館跡」などでは旧伊勢方村に所在することになっています。しかし、曲田城の説明版そのものは旧谷之村の皎心寺境内にあります。
 しかし、旧曲田村には曲田城そのものは所在せず桜田馬場と呼ばれる別の遺構が所在し非常にややこしい状態です。さて、旧伊勢方村の集落の北側には現在も堀跡らしき用水路が残され、しかも西側はまさに曲田ともいうべき湾曲した水田地形が現在でもはっきりと確認できますので、1個所で2か所の訪城ができたりして少し得をした気持ちになりました(^^)

Best Shot?

 「伊勢方仮城」はあくまでも伝承に基づくものですが、旧伊勢方村の集落の北側にはこの写真のように400年以上前の当時の城跡の名残をとどめると思われるような長大な堀跡が東西方向に約二百メートル以上にわたって続いていました。
 なお、現在は水田の用水路などとして利用されている模様で、ご近所の方がいらしたので取りあえず水田のある風景を撮影しているという説明をしてご挨拶を。ご覧のとおり、まさしく水田のある風景なので..(^^;
( 2005/07/11 撮影 曇 伊勢方の集落の北側の水田の畦道にて )
交通アクセス

・JR深谷駅より徒歩約40分ほど MapFan Web の案内図です  


( 2005/07/11 撮影 )

■西側のかつての堀跡と思われる個所には細いU字溝の水路が敷設されていますが、写真のとおり現在は道路となっている部分だけを見てもはっきりと湾曲していることが確認できます。
 しかし残念ながらこの場所は「曲田」ではなくて「伊勢方」。
■上の写真の右側方向の様子(西側部分)で、いずれにしても百年ほど後に岡谷氏によって築かれたとされている曲田城は、この地域より200m以上東側に所在していると考えられますのでこの場所は伊勢方城の跡ということになります。
 
工事中PAGEの先頭 PAGEの最後 ご感想はこちらへ 工事中