アクセスありがとうございます。 最初はホームページづくりの日記のようなもので始めたのですが。 時々ネコも出てきます。 もちろん、城跡めぐりも出てきます。 早い話、身辺雑記のようなものです....はい。
 
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・2005年7月30日    行きつけになってきた上福岡市の蕎麦屋
           

 最近やはり歳のせいでしょうか、外食というと蕎麦屋へ行くことが多くなりました。以前でしたら「うなぎ」「焼肉」「ステーキ」「豚カツ」などとカロリーの高いものが好物でしたが、年齢と共に大部食べ物の嗜好が変わってきたようです。
 さて、自宅の近くで美味しい蕎麦屋といえばこの店。すっきりとしたこぎれいな店構えで客席は8テーブルで20人も入れば満員。良く手入れされた小さな中庭などもあり、靴を脱いで上がるのでくつろいだ気分になれます。器もきれいで良いものを使用しているようですし、黙っていてもきちんと「蕎麦湯」が出てきて、天ぷらも大変良くからっと揚っていて食が進みます。最近は月に2回ぐらい昼食時に来ることが多くなりました。

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■「蕎麦大盛+天ぷら盛合せ」、これでたったの1100円はお得。


( 撮影 : 2005年7月30日  撮影場所 : 埼玉県上福岡市の「満寿屋」にて )



・2005年7月28日    更に、まごつきながらながら植物図鑑を更新
           

 ムクゲの花のページをHPに掲載し久しぶりに植物図鑑を更新しましたが、サイトの性格上どうしても後回しとなるのでなかなか収録件数が増えませんが、今年中に何とか100種類ほどは掲載したいものだと思っています。
 ムクゲは白い花びら中央部分に赤い模様のあるものが一般的でよく目にしますが、他に純白のものや八重咲きのものもあり、更には紫色のものもあるということですが、これは残念ながらまだ目にしてはいません。盛夏の到来を告げる夏の代表的な花の一つですが花期は意外に長く10月上旬までは咲いています。
 自宅の近所にある他所の畑の端の方にムクゲの木があったと思いますので週末に見てこようと思っています。そういえばこの春まで春の野草などが咲いていた空き地に住宅が建ち始めています。以前は家庭菜園だったところなので、スミレ、ショカツサイ、菜の花、マーガレット、ホトケノザなどが咲き乱れていたのですが...

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■やや薄いピンク色をした八重咲きのムクゲのアップ。


( 撮影 : 2005年7月23日  撮影場所 : 深谷市宮ヶ戸付近の民家の生垣)



・2005年7月27日    もたもたしながら訪城記録を更新
           

 ここ一週間ほどのゴタゴタ騒ぎで結果的にHPの更新の手順が大きく変わってしまったので、パソコンの作業に慣れるまでには暫く時間が必要なようです。また文字化けの原因もどうやら明確になってきましたし、新しいカウンターも今のところは順調に機能しているようです。
 新しく作成するファイルにはHPビルダーを使用していますが、タグの自動修正機能をはずしたうえで基本的に手打ちでHTLMのソース画面から更新しています。例外的に画像と対比する必要がある場合のみ「ページ編集」の機能を使用しています。ま、要するに使い方が分からないだけなので従来の方法を踏襲しているに過ぎないのですが。また、懸案だったバックアップの日時処理も何とか軌道に乗ってきたようです。これで何時クラッシュしてもとりあえず復旧の見通しが立ちましたので、とりあえず安心して心穏やかに城跡めぐりの蓄積が継続できそうです。
 思い起こせば一年前PCが壊れてしまい結局買い換えることとなったのですが、本格的にHPを開始する前で本当によかった....(^^; 

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■純白の槿(ムクゲ)もまた趣があります...一日花なのでたくさんの蕾を用意しています。


( 撮影 : 2005年7月23日  撮影場所 : 深谷市宮ヶ戸付近の民家の生垣)



・2005年7月26日    カウンターを探して漂流
           

 一時復旧したと思われたアクセスカウンターが再び不調となり、この際現在使用中のものをあきらめてネットで色々調べて4種類ほどテストしてしみました。どれも帯に短し、襷に....といった按配でした。要件としてはまず第一に壊れにくいこと。そのほかの要件としては、当日、前日、累計の表示ができること、設定とメンテナンスが容易であること、目立ちすぎないことなどです。
 そうした条件でみていくとまずHPのサーバーの付属カウンターは表示がやたらにでかい。また、無料レンタルカウンターはどうもいまひとつ信頼が....されとて、自作管理するほどの能力、気力、体力は無いのでこの際低価格のアクセス解析つき有料カウンターを導入しようかと考えています。
 価格は月額300円なのでジュース3本分、またはチューハイ2本分と考えれば、それほど高いものではないのではないかと。今現在目を通してなかなか進まない定価9800円の「中世東国の国人領主に関する研究書」に比べれば格安だしはるかに役立つかもしれないということで現在テスト中です。

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■よく見かける種類の槿(ムクゲ)ですが具体的な品種までは...。


( 撮影 : 2005年7月23日  撮影場所 : 深谷市宮ヶ戸付近の民家の生垣)



・2005年7月24日    ネコは無事、しかしアクセスカウンターが変調
           

 家内の実家に預けてあるネコの「ちゃっぴー」はどうやら命に別状はなさそうで、日に日に元気になっているとのことでした。一時は殆ど寝たきりで大変だったらしいのですが、何はともあれよかったよかった。
 さて、そのこととは全く関連がないのですが、数日前からアクセスカウンターの動作が不良となり一時は殆ど作動していない状態になりました。カウンターを複数セットしていたので判明した次第です。ページビューの件数はあくまでも一応の目安ではありますが、やはり気になります。文字セットの制御を変更したことが影響しているのかどうか、原因がはっきりとはしないのですがこれも無料レンタルカウンターの宿命なのでしょうか。このため、再度タグを書き直したのですが10ヶ所以上の訂正が必要なので、ここ両日はそれらの作業に追われていました。

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■槿(ムクゲ)の花にも八重咲きの品種があるようです。「早川白」という園芸品種に似ていますが薄桃色をしていますので別の品種かと。
 フヨウの花と似ていますが、葉の形がこのように尖っていますので何とか区別できました。


( 撮影 : 2005年7月23日  撮影場所 : 深谷市宮ヶ戸付近の民家の生垣)



・2005年7月23日    膝の具合次第の訪城
           

 今月11日以来の訪城へ。行き先はまたしても深谷方面です。深谷城を除いて主な所は大方回り終わっているのですが、一般の資料には掲載されていない所とすでに訪城済みの所の未確認部分が中心です。

凸宮ケ戸堀ノ内
 神社とお寺が近くにあり目印のはず。神社は直ぐに見つかり、いつものように境内に車を駐車させていただいて徒歩にて探索を開始。お寺の方はというと墓地と一部の小さな建物を除いて現在の場所にはなく、ゲートボール場と地区の集会所の建物が建てられていました。
 遺構については地表から見たときには何もないということことは予想していましたが、堀ノ内と思われる場所を1周半してみた所、堀跡の特徴が残されているように見える道路と年代的には後世のものかもしれませんが「堀跡」らしき小さな窪みを目にできました。
 
凸東方城
 東方城の一部と推定されることが多い「一号土塁」と「二号土塁」の確認です。「一号土塁」の方は北側と西側の土塁がよく残されていて、それぞれ80mほどの延長がありました。さてここで時節柄仕方のないことですが「やぶ蚊」の猛烈な攻撃に直面し、速やかな撤退を余儀なくされました。指定文化財の標柱が見当たらないので不思議に思いましたが、そのお宅の道路沿いの入口のブロック塀にそっと立てかけられてありました。外側から見ると「深...」という感じで、僅かに古びた標柱の天辺がブロック塀からそっと頭を出していました。でも、土塁の高さは空堀の位置から見ると2.5m以上のところもあり、北側は比高差3mほどの崖線を形成していますのでしたの水田からは比高にして5メートル以上もの崖を形成していました。
 一方「2号土塁は」道路の反対側にあります。ブロック塀やフェンスなどに囲まれているだけでなく夏草が生い茂りよく見えませんでしたが、標柱はブロック米の上に顔を出しています。ただし文字は古びていて予め何が書かれているか知らないと読めないという状態になっていましたが。高さは2mから2.5mで外側に空堀跡があるようにも見えたのですが、雑草が叢生していて全く見えません。

凸木之本塁
 東方城の西端から約300mほど西側に位置していることから、その関連性が浮かび上がりますが深谷市の発掘調査報告書などでは歴史的背景については不明であるとしているようです。一応深谷市の史跡として指定文化財になっていることなどもあるのかもしれませんが、この時期にもかかわらず雑草なども少なくよく整備されていると感心することしきり。最初に目に付いたのは高さ4mほどのどう見ても古墳としか見えない小山で、それが延長80mほどの土塁の北側部分と合体していました。
 念のため古墳かどうかを確認するためによっこらしょと痛む左足をかばいつつ天辺に登らせていただくと、やっぱりどうみても円墳のような。反対側に比較的きれいな標柱が目に入ったので下りていくと「木之本古墳群3号墳」と記されてありました。保存状態のよう古墳が残されていることは知っていましたが、この場所に同居しているとは思いもよらず (^^;

凸庁鼻和城
 外郭部分の起点と推定されている3か所ほどの場所を確認。北西部の起点には土塁跡が残されているかと期待しましたが国道17号線沿いの場所で、現在はきれいに砂利敷き駐車場のが整備されていました。ただ、まだ新しく整備したようですので、つい最近までは多少の盛り土が残されていたのかも知れません。とりあえず、土塁跡かどうかの信憑性が全くありませんが近くの少しだけ高くなっている道路沿いの小さな叢を記念撮影して遅めの昼食を。
 そのときの「とろろ蕎麦」が下記の写真です。値段も味も器も、注文から商品が運ばれてくるまでの時間も、店の雰囲気も従業員のサービスも、黙っていても蕎麦湯が出てくることも十分及第点の深谷市の「増田屋」さんでした。食べながらメニューを見ていて朝食を殆ど摂ってこなかったことを思い出し、150円増の大盛にすればよかったとあとから気がつきました。
 さて、食事のあとは国道17号線の反対側の物見櫓跡という伝承のある場所を確認し、ここにも「深谷上杉氏顕彰会」の丁寧な説明版が設置されていて大いに助かりました。現地は隣に残土置き場などがあったりして幾分ゴミなどが散乱する幾分周辺よりも地面が高いかなという程度の叢ではありました。そのあと北東部分の起点の場所を確認し、もののついでに内郭付近の堀跡も探索しましたが宅地開発のため現在は殆ど消失していることが分かりました。

 このあと、一応資料も揃えて予定していた「深谷城」に寄ってみようとも思いましたが、左の膝の様子も気になり、また未整理の訪城資料も少なくなく、さらに深谷市の図書館で時間をかけて調べたいこともあり、後日再度再訪することにして帰途につきました。

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■昼食の「とろろ蕎麦」750円。 「うどん」もあり、カツどん、うな丼、一品料理等々とメニューが多彩。
 食事の時間が午後2時過ぎということもあり、パートの従業員の食事時間と重なってしまった。ただし、客席では召し上がらないほうがよいような...古い人間なもので (^^;


( 撮影 : 2005年7月23日  撮影場所 : 深谷市国済寺「増田屋」にて)



・2005年7月21日    作業に慣れるまで
           

 文字化け対策とバックアップの効率化のためにHP作成ソフトのダグ打ち画面から編集しているのですが、手順に慣れていないことなどもあり今のところやたらに時間がかかります。 そのうちに慣れてくれば多少は能率が上がるとは思うのですが、PC側のディレクトリとHPサーバー側のディレクトリの構造がやや異なっていることもあり本当に四苦八苦しながらの更新作業です。
 基本的な部分を疎かにしていると後になってから大変な目にあうことは人生経験からも熟知しているつもりなのですが、「そのうちに...」などど先送りしていたツケが回ってきただけのことと観念して日々作業に没頭しております。
 仕事の帰りに轢かれたてのネコの死骸が道路に残っていて、思わず「ちゃっぴー」のことが頭に浮かんでしまいました。「ちゃっぴー」の方は、今のところ命に別状はなさそうなのですが、顔面の裂傷が酷かったらしく血だらけだったと聞いていましたのでイメージがタブってしまいました。

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■あちこちでよく見るのですが、不勉強で樹木名が.....(^^;。
 後日、「ノウゼンカズラ」ということが判明しました。中国原産の平安時代に渡来したつる性の落葉樹で、自立せずに他の木に巻きついて成長、大きなものは10mに達するそうです。他力本願のなかなか抜け目のない性格のようですが、道理で花の咲いている部分と木全体がマッチしていないと思いました。
 あ、今思い出したのですが、ここで余り暑さにのどが渇きジュースを買おうとしたところ、自動販売機のコインの投入口が詰まっていて、返却レバーも作動しなければ商品も出てこない。返せ、戻せ120円!


( 撮影 : 2005年7月11日  撮影場所 : 深谷市人見の昌福寺境内にて)



・2005年7月20日    祝HP開設1周年
           

 早いもので手探り状態でHPを始めてから丁度1年を経過しました。お蔭様で最近でこそ、HPをご覧いただける方が増えましたが、昨年の11月頃は自分以外のアクセスは限りなくゼロに近いという日も少なくなく、一日あたりのアクセス件数2桁が大きな目標であったこともありました。それが今月の19日などには、何と重複分を除くアクセス件数が延べ人数で123人に達しました。大きな驚きと共に皆様のご支援に改めて感謝申し上げます。またこの間メールを通じて励ましをいただいたことも大変大きな励みとなりました。厚くお礼申し上げます。
 さて、山積しているHP運営上の課題の中で、とりわけ大きな問題が2点ありました。一つは「エンコード」の制御不良に伴う「文字化け」で、特にWin2000で発生することが多かったのではないかと思われます。HP開設1周年の節目ということで現在根本的改善を実施しています。個別の城跡めぐりのファイルは未処理ですが、メインメニューなどのHTMLファイルについては改善済みです。
 もう一つはバックアップ対策です。プロバイダ側のサーバーの不良や事故は珍しいことではなく、この1年間定期的で簡単なバックアップの方法を模索していました。プロバイダ側のオンラインエディタの幾つかの不具合の発生(送信エラー、プレビュー機能の不具合など)を契機として毎日バックアップを行うようにしました。この間に投資した費用はホームページ作成ソフトと250GB外付けハードディスクの〆て2万円。というようなわけでこの間はHPの更新は中止してそのあたりの作業をコツコツとやっていました。

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■荏原氏館跡といわれる摩利支天の堂宇にはまだ紫陽花が咲いていました。

( 撮影 : 2005年7月11日  撮影場所 : 深谷市荏原地区の集落にて)



・2005年7月17日    ちゃっぴーの事故
           

 家内の実家に預けてある長男の元飼いネコの「ちゃっぴー」が自転車かバイクとぶつかったらしく大怪我をしたらしい。伝聞でしかないので詳細が分からないのですが、何とか無事でいて欲しいと願うことしかできない状態です。その外見に似ずやたらと人懐こいの性格ですが、左目があまりよく見えていないことから事故にあったのかも知れません。実家のお隣の親切な方にいつも面倒を見ていただいているのですが、殆ど動けないということのようです。したがって、いっそのこと自宅に連れ帰ってもとも考えるのですが、現在でも娘の3匹のネコがいるので共存できるかどうかも心配です。とりあえず子どもたちが様子を見に行くようなのでその結果待ちということに。

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■荏原氏館の場所を探していたら畑の中で出会ったネコ。経験的におおむね5m以内に近づかなければ逃げられないようです。


( 撮影 : 2005年7月11日  撮影場所 : 深谷市荏原地区の集落にて)



・2005年7月16日    深谷のネコ
           

 娘のネコを構っているせいか外出しても時々ネコの様子が気になります。目の前から逃亡しなかったネコはこのようにデジカメに収めています。このネコは深谷市の仙元山山頂の浅間神社境内にホームレスと思われる方と同居しているようでした。一定の距離に近づくと脱兎の如く逃げだすネコもいれば、このようにじっとこちらを眺めている猫もいます。

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■家ネコか野良猫か、どちらともつかないたいへん「微妙」な存在ですがなかなか毛並みがよいようで。

( 撮影 : 2005年7月11日  撮影場所 : 深谷市総合体育館の所在する仙元山の山頂にて)



・2005年7月15日    ジオシティズのファイルマネージャー その3
           

 相変わらずジオシティズのファイルマネージャーのプレビューの機能が正常に作動しませんが、スタイルシートに関する記述のみが反映していないことが確認できました。それ以外の部分では概ね正しく表示されているようですが、勿論それではどうしようもなく依然として不便な状態が続いています。おそらく文字セットの制御が一部変更になっているのかもしれないなどと勝手な推測をしています。
 現在トップ頁の模様替えをしている最中ですが、理想である所のバランスの取れた簡潔なイメージには程遠く、やたらカラフルなコテコテとした印象となってしまいます。やはり、ホームページ作成ソフトなどの力を借りないといけないのかなどと最近少し思い始めています。

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■またもや槿の花ですが今回は少し引いた構図で、撮影から4日経過しましたが梅雨明けを催促するように本当にあちこちで槿の花を目にします。


( 撮影 : 2005年7月11日  撮影場所 : 深谷市曲田地区にて)



・2005年7月14日    ジオシティズのファイルマネージャー その2
           

 相変わらずジオシティズのファイルマネージャーのプレビューの機能がどうも正常に作動しません。全く別のPCからファイルマネージャーを開いても同じ結果になりますので、ますますPCの設定、セキュリティの設定などが原因でないことは明らかなようですが、如何せん解決方法が見つからずプレビューの機能を使用せずにHPの更新をしていますので、大きな間違いをしでかしたときに復旧が困難となることが予想されます。もっとも次男のHPも同じジオシティズを利用していますが、以前から不具合が多かったそうで、自分の場合にたまたま不具合が少なかっただけなのかもしれませんが。

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■こちらが純白の槿の花。

( 撮影 : 2005年7月11日  撮影場所 : 深谷市曲田地区にて)



・2005年7月13日    ジオシティズのファイルマネージャー
           

 ジオシティズのファイルマネージャーのプレビューの機能がどうも正常に作動しないようで困っています。ジオシティズのカスタマサービスにメールを送り幾つかの対処方法を試してみましたが結局改善されず、仕方がないので今後はファイルマネージャーのプレビューを使用しないでHP更新をしていくことにしました。更新の手順などが若干異なるので戸惑いを覚えていますが、それはそれとして原因がはっきりしないというのが非常に気になります。6月のジオシティズのサーバー不良トラブルもあったことですのでどうもすっきりしません。HPの更新中に突然プレビュー機能がおかしくなり、それが全てのHTMLファイルに共通して発生しているので、こちらのパソコンの設定の問題ではないような気がするのですが。

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■盛夏の訪れを感じさせる槿の花。アオイ科フヨウ属中国原産の落葉低木で、5枚の花弁の中心に赤く丸い模様があるものが多いのですが、完全に純白のものもあります。
 花そのものはたった一日の寿命ですが、次から次へと咲くものでそうした特性を感じさせず、花期も意外に長く7月から10月上旬まで咲いています。別名ハチス、キハチスとも。


( 撮影 : 2005年7月11日  撮影場所 : 深谷市曲田地区にて)



・2005年7月11日    深谷市内の無名城館めぐり
           

 天候が危ぶまれましたが、左足の具合もそれほど悪くなく深谷市内の無名城館めぐりに出発。この方面もかなり道筋が分かるようになってきたため家を出たのは午前9時30分という遅さ。それでも第一目標の到着予定時刻は午前11時過ぎ頃と凡その予定が立てられるようになってきました。無名に近い所ばかりで、しかも遺構も殆ど残されていないところが多いので、最低でも新たに5か所ほどは回れるのではないかと胸算用を。さて、自宅から深谷方面への比較的混雑することの少ない道路を覚えたので、片側通行止めでの道路改修工事が行われていたものの、もともと車の通行量が以上に少ない県道なので予定通り第一目標の「押切遺跡」に到着。時間はぴったりの午前11時ちょうど。
凸押切遺跡
 先日訪れた人見氏館の北東に所在する浅間山とその麓が目的地です。ビッグタートルという深谷市の体育施設などの所在する運動公園で、浅間山は市民の散歩コースなどの憩いの場となっています。
 深谷市の「発掘調査報告書」などによれば、その体育施設の建設に伴う発掘調査により、3か所の郭や掘立建物跡、井戸跡などが確認され出土した遺物から15世紀中のものと推定されています。また浅間山南麓の人見山昌福寺が、深谷上杉氏第5代当主の上杉房憲の開基によるものとの伝承があることから深谷上杉氏との関わりが指摘されています。
 とはいうものの、そのような遺構は当然のことながら地面の下にあり地表で確認できるようなものは全く残されてはいません。寧ろ浅間山の散策路や浅間神社のある丘陵そのものの方が中世城館との関連を示しているように思える雰囲気があり、かつ後世かなりの人手が加わっているようにも思いますがそうした地形を形成していました。
凸割山遺跡ほか
 こちらの場合はさらに当時の面影は殆どなくその上に建設されている東京電力深谷支店の建物やコンビニの店を見てきただけの話です。唯一の収穫は「発掘」により、その堀跡などの中世城館の存在を示唆する場所が「押切遺跡」の所在する浅間山の北側の微高地で東側で約2m、北側で約1.5mの台地を形成していることがわかったというぐらいですが、今のところ3か所の遺構の相互関係や「押切遺跡」との関係も不明のようです。
凸大沼弾正忠館
 幾つか確認したいことがあり再訪。東西南北の規模を歩測すると共に西側の堀跡を検証し、弾正忠の墓石を確認のうえ撮影しました。
凸桜田馬場
 岡谷氏の重臣とされる小内氏の屋敷を確認。当時のものかどうかは判断できませんが一応北側と東側に堀跡が残っています。近くの集会所にあった五輪塔風のものも撮影。
凸曲田城
 前回葬儀準備中のため境内への立入りを遠慮したことと、城跡の位置の問題があったので再訪を。この城跡は「伊勢方仮城」などともいわれ「新編武蔵風土記稿」「埼玉の中世城館跡」などで旧伊勢方村に所在することになっているにもかかわらず、説明版は皎心寺にあり事情がよく分からず、何はともあれ現地確認ということで。さて、旧伊勢方村の集落の北側には現在も堀跡らしき用水路が残され西側はまさに曲田ともいうべき水田地形が現在も確認できます。今のところこのことが何を意味するものか判断に苦しんでます。
凸内ヶ島館
 ここまできたら通りすがりのついでなので前回見過ごした北側の堀跡と推定される道路のカーブでも確認しようということで再訪。
凸新開氏館
 道路沿いの東雲寺と大林寺に新開氏関係の五輪塔が残されているだけのところですが、現地に説明版も設置されていて誰にでもと中世の城館跡であることが分かるようにされています。意外だったのは東雲寺の境内に第一次世界大戦の当時の魚形水雷と口径10センチほどの艦砲と思われる短身砲を慰霊碑にしたモニュメントのあったことでしょうか。
凸荏原氏館
 真言宗の摩利支天の堂宇の所在する場所が館跡とされていて、堂宇の壁面に大きく荏原氏館と記されているので本当に誰も間違いようのない場所です。ただその場所に行くのにやや勘違いをしたため地元の年配の方に伺ったところ、「神社」があるから直ぐに分かりますよということで、まさに神仏習合とはこのことのようで。おそらくはこの地域の事情から推測すると、利根川の氾濫から生命財産を守る水難除けの「神」のようです。
凸蓮沼氏館
 国道17号線パイパスの北側の淡島神社が目印という情報ですが、水田地帯の中に民家が一軒だけポツリと所在するだけで、例によってまたしても場所を間違えたのかと。しかし場所は正解で神社とはいうものの、その民家の敷地の中にある社が淡島神社となっていて、遠目には民家の一部のようにしか見えないのですが近くに行けば確かに鳥居があり...隣の道路沿いの場所には高さ40mほどのNTTドコモの携帯電話の電波中継塔が聳えていました。
凸堀米堀ノ内
 詳細は不祥の場所ですが、その名の通りまさに堀ノ内ともいうべき複雑に屈曲した堀跡の形状そののままの集落の道路が残されていました。
 また、撮影は敢えて差し控えさせていただきましたが、21世紀の現代とは思えない古めかしい少し軒が傾きかかった内部の薄暗い駄菓子屋さんが一軒あり、50年ほどタイムスリップしたような気持ちになりました。ひょっとするとまだ「びっくりマンチョコレート」とか「初代ウルトラマンのシール」とか、いや鉄腕アトムがアニメ化される以前のキャラクター商品が残されているのではなどと勝手な想像をさせていただきました。もう駄菓子屋さんというよりも「民俗学」研究的対象のような...(^^;
凸増田氏館
 こちらも水田の中の民家らしい場所が館跡ということで。現地の近くの歯科医院の隣のかなり広々とした空き地に駐車して徒歩にて周辺を観察しながら接近。するとどう見ても北側の屋敷林の様子がそれらしい印象を醸しだしている一帯を確認。近くまで進むと明らかに屋敷の周り北側と東側には土塁というよりも盛り土された郭跡がそのまま残っていました。また北側には堀跡と推定される曲折した道路があり、おなじみの「深谷上杉顕彰会」作成の現地説明版も設置されていて、本日の訪城の最後に相応しい充実した内容となりました。

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■「睡蓮(スイレン)」原種は「未の刻の午後2時」に開花することからヒツジグサともいわれます。写真のものは改良品種の「アトラクション」という種類かもしれません。スイレン科スイレン属の多年草。


( 撮影 : 2005年7月11日  撮影場所 : 深谷市内の曹洞宗人見山昌福寺にて)



・2005年7月10日    ミニコンサートと里帰り
           

 今日は新座市の音楽教室の2階でフルートのミニコンサートに行ってきました。出演者兼観客の総勢13人ですが、それ以上は狭くて入れません。内訳は音楽教室の講師が5名、経営者夫妻2名、自分を含む生徒が4名、元生徒2名。ホールなどの会場の発表会よりもはるかにやりにくい環境です。音は狭い部屋に13人もいるのでデッドになっているし、目の前に講師が5人もいるし間違えたら最後ごまかしようのない環境です。
 さて、かねての予想通り大小合わせて10回は間違えましたが、なんとか立て直す余裕も持てるようになったというのが唯一の収穫でした。曲目は演奏順に「のへ長調のメロディ」(ルビンシュタイン)「野ばら」(ウェルナー)以上2重奏、「金婚式」(マリー)「タイスの瞑想曲」(マスネ)以上4曲のお粗末でした。
 近所の娘の友達の家に貰われていったネコが1ヶ月ぶりに里帰りしたのですが、同じ兄妹と入ってももう忘れてしまっているのでしょうか、敵意丸出しで威嚇していたようです。とはいっても威嚇していたのは貰われていった方で、家に残っているほうは尻尾などを舐めようとしたりしてコミュニケーションを図っていましたが、完全に一方通行のようでした。
 というのが昨日の話しで、今日は仲良く遊んでいたようです。実は母親のポミは動物病院で1泊2日で避妊手術を受けに行って不在でした。さて病院から戻ってくると、家にいた子どもたちは授乳をせがむのですが、ポミはそれど頃ではないという顔をして余所余所しい態度に。里帰りしていた方のネコに至ってはお互いに近づこうともしません。もはや親子であることを失念しているのでしょうか。

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■「あんみつ」、生後3ヶ月

( 撮影 : 2005年7月8日  撮影場所 : 自宅)



・2005年7月8日    ネコの「あんみつ」
           

 娘がいい加減に名づけた「あんみつ」はやたら人懐こい性格で、すくに仰向けになってお腹を見せて構われようとします。お腹やのどを撫でていると恍惚状態に陥るらしく全身の力が抜けています。親父の足の指先がとても何故か気に入っているようでざらざらした舌先で嘗め回すこともあります。3匹はとても面倒は見切れないとネコ嫌いの母親に宣言されていますが、娘も最近はやたら聞き分けがよく、また部屋をきれいに片付けるようになり、何とかして現状の追認されるよう目論んでいるようです。

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■行水させる前の「あんみつ」、生後3ヶ月

( 撮影 : 2005年7月8日  撮影場所 : 自宅)



・2005年7月7日    セキュリティソフト
           

 一昨日さて一昨日のことですが、生憎の天候の下早めの夏休みを取って、せっせと自宅でHPの更新でもと思いましたが、そうは問屋が...ダウンロードしたセキュリティソフトの設定更新に手間取りなんと5時間のロスタイムに。 S社の電話が繋がるまで1時間...連絡はついたが即解決とは行かず、何とかバージョンアップできたものの設定作業その他諸々で4時間(^^; お蔭で半日つぶれましたが.....
 さてその原因はというと旧バージョンのセキュリティソフトを一時停止させないと、新しいほうのバージョンの「SEtup.exe」が正しくダウンロードされないということでした。そんなことはHPのどこにも表示されていなかったと思うのですが、まずは作業が完了してめでたしめでたし。

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■人見氏の墓所がある時宗一乗寺の山門前の少しピークを過ぎた感のある紫陽花。

( 撮影 : 2005年6月27日  撮影場所 : 埼玉県深谷市人見)



・2005年7月6日    ひさびさ登場のネコの「いちごみるく」
           

 愛嬌があるので貰い手が直ぐ見つかると思っていたのですが、やはりネコはなかなか....というわけで娘が勝手にいい加減な名前をつけた一匹がこの「いちごみるく」。どちらかというと元々余り人に構ってほしくないようで、滅多に自分から近づこうとはしません。しかし、シャンプー洗面台の行水は気持ちがよいらしく大人しく洗われていました。
 そのあと調子に乗って古いバスタオルに包んで娘と少しふざけてキャッチボールをしたのがいけなかったのか、近づくとものすごい勢いで逃げ出しました。結局そのあとは「下の写真」のようにカーテンの陰に隠れ顔だけ覗かせてけっして出てこようとはしませんでした。(^^;

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■シャンプー好きな「いちごみるく」ですが、あまり構いすぎて嫌われました。

( 2005年7月6日 撮影 )



・2005年7月4日    植物の名称調べに四苦八苦
           

 訪城記録もさることながら、植物の画像もそろそろ整理をしておかないと確実に記憶が薄れていくのが怖い、ということで何とか3件分を整理完了。まだ、あと100種類以上は撮りだめの画像があるのですが、手持ちの図鑑と先輩方のHPの情報で当たりをつけながら作業しているのですが、野草も分からないし、園芸品種はもっと分からないし...。最後の手段として有名サイトの画像掲示板で助けていただいたりして、どうにかこうにか少しずつ進行し始めています。

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■庄小太郎頼家の墓所が所在する宥勝寺の山門前に群落を形成して咲いていたバーベナの園芸品種のタピアンかと。
 どう見ても種をまいたというよりも勝手に生えてきてしまったというような野性味があったので、 てっきり野草だと思いこんだために暫く名称が分かりませんでした。


( 2005年6月21日 撮影 )



・2005年7月3日    今年も、もう半分終わった...人生も残り1/3くらいで
           

 早いもので今年も半分が経過しました。さて肝心の足元の方は両膝のうち特に最近は左膝の屈伸が思うにまかせず、城跡めぐりも毎月2回から3回が限度のようです。それも、なるべく高低さ、斜面の少ない、歩行距離の短い所を中心にしています。
 もちろん全く歩けないわけではないのでリハビリも兼ねて出かけていますが、続けて30分ほど歩くと鈍痛や浮腫み脱力感が発生することが多いのですが、原因については全くはっきりしていません。整形、循環器、脳神経と想定される範囲の所で受診検査はしてみたのですが明確な診断が出ていません。
 もっとも歩かなくても同じような現象が発生するので、なるべく少しは動くようにしているのですが。いずれにしても、今週は暫く天候不良のようですのでHPの更新に重点を置くことになりそうです。

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■人見氏の墓所が所在する時宗一乗寺の境内に咲いていた蓮 ( ハス )

( 2005年6月27日 撮影 )


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