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関連ページへのリンク  2006/09/17のブログ 浅間山 土井城 小高氏館 三門館 泉福寺館
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態1 探し易さ5 交通利便4 体力消耗4 歴史経緯1 印象3 総合21
所在地
埼玉県比企郡滑川町福田 高根カントリークラブ内の南側
歴史と沿革

とりあえず「山城沼砦」ということで
 「山城沼」と西側の「長沼」の間の舌状丘陵にかつて砦があったという伝承があり、このことから「山城沼」と呼ばれているとのことです。 従って呼称については当サイトの管理人がその便宜上から仮につけたまでのことで勿論正式な名称などではないことをお断りしておきます。
 なお、下記の資料の文面から推察すると四半世紀以前には「土塁・空堀が存在」していたということになるようです。この伝承以外には関連する記録・文書の類も存在していないようなので、その歴史的経緯を具体的に推し量ることは困難であると思われます。
 ただし、周辺には小高氏館および戦国時代の初期の遺構と推定されている泉福寺館、三門館などが所在しているという地理的な条件と両上杉氏の覇権争いである15世紀末の長享年中の大乱の過程で発生した「福田郷での合戦」などの事象を考慮すれば、15世紀末から後北条氏の滅亡するまでのおよそ100年間の間のものと推定することは可能かもしれません。
 
 なお、以下にその伝承の全文を引用させてもらいます。
■「滑川村史 民俗編」(1984/滑川村編集発行)74ページより
 「山城沼 この沼と、西方にある長沼との間に丘陵が舌状に伸びているが、ここに、昔、砦があったので山城沼と呼ぶという。最近まで、長沼と結ぶように土塁・空堀があった。広く深い沼で、かつては水も澄み、この水を沸かしてお茶を飲むと美味しいといわれた」
■「滑川村の沼とその民俗」(1981/滑川村村史編纂室)17ページより
 「山城沼(福田)・・・沼の西側にとりでがあった。長沼と山城沼との間に空堀の跡がある。このため山城沼というらしい。」

確認できる遺構
未確認、ただし恐らく消滅しているものと推察
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

立地条件は申し分なしですが..
 伝承とあわせて、大小4か所の沼池により東西からの進入を拒んだ舌状台地の先端部分に所在していると推定されることから立地条件としては申し分の無い所かと思われます。しかし、肝心の「山城沼」と「長沼」はゴルフ場の敷地内に所在し、堀切や土塁などが所在しそうな辺りには管理事務所などの建物が設置されていることから推察して、現状では遺構としての存在を期待するのは無理があるものと思われます。

文化財指定
訪城年月日
2006/09/17
訪城の記録 記念撮影

( 2006/09/17 )
砦跡はグリーンの向こう側に
 収集した資料などによれば高根カントリークラブというゴルフ場南側の沼池近辺の丘陵が砦の伝承地である模様。 予想通り肝心の沼池も、空堀跡が所在すると伝わる個所もゴルフ場のグリーンの向こう側でまさしくアプローチに失敗。 しつこい性質なので、何としても合法的にアプローチしようと考え、ゴルフ場の中の町道を1kmほど大きく迂回して南側の沼池の脇道から北上してみたものの途中で道が消滅..結局ゴルフ場内を通行しないと接近が難しいことが判明。 仕方が無いので山城沼の南側に所在する新沼から見た砦跡が所在するとの伝承のあると推定される西側の丘陵地帯を撮影して撤収。
 なお、ゴルフ場のど真ん中を幅員4mほどの町道が横断していることもあり、ゴルフ場を横切る横断専用の信号器が設置。 尤も信号の作動はキャディさんのマニュアル操作。 プレーヤーが今まさにドライバースイングをする準備体勢に入っていたので、小走りにコースを横断してプレーのスムーズな続行に協力する仕儀に。 このお蔭で全力疾走はともかくとして、小走り程度ならば数十m程度の短い距離を走ることができる体調であることが検証(笑)


山城沼と砦跡と伝わる丘陵地帯
「新沼」方向から見た山城沼砦跡付近の丘陵地帯
画像クリックで拡大
( 2006/09/17 撮影 )
訪城アルバム
■1■「山城沼」
 正面が「山城沼」で右奥の方に空堀などが所在したということですが、ゴルフ場の建設により地形の改変が激しく..加えて当然グリーン内は立入禁止のため見事アプローチに失敗(笑)
■2■「西沼」
 何とも変哲の無い名称ですが、山城沼の南西方向に所在し正面に見える丘陵地帯がおそらく砦跡の伝承地と推定されます。
画像クリックで拡大します
■3■コスモス 画像クリックで拡大
 食害の影響でもないのに何故か1枚だけ花弁が短いのが気になったので撮影したまでのことです。
-山城沼西側丘陵上の町道脇にて-
■4■山城沼の南側に隣接する「新沼」
 この沼池の東側の小道を進んで何とか左側の丘陵地帯に辿り着こうと試みたものの、道は途中でゴルフ場の中へと続いていたのでありました。 山城沼の堰堤の下側はゴルフ場の区域外のようなのでそこまで行けば何とかなるかも知れないと思ったものの、足元の小道自体が沼池の水により浸食されてオーバーハングしているような箇所もちらほら..
画像クリックで拡大します
■5■同じく「新沼」 画像クリックで拡大
 あとでよくよく考えると、もしかするとこの画像の左端の丘陵地帯の先端部分からアプローチできるかも知れないなどと思い起こすのでありました。 沼池のある風景は静謐な佇まいが感じられるとともに、とりわけ歴史の古いものは「水の手の確保とその防御性」において、中世城館との関連が益々深まってくるような印象でした。。
画像クリックで拡大します
■6■「クレオメ」
 「西洋風蝶草」(セイヨウフウチョウソウ)「スパイダーフラワー」とも呼ばれるアメリカ原産の宿根草。 赤紫色の花はよく目にしますが白色のものを見たのは初めての経験でした。 花弁の細長い柄が特徴的な花で性質は頑健らしく、栽培しているというよりもコスモスに混じって自生しているという印象でした。 -山城沼西側丘陵上の町道脇にて-
■7■公道を通行している筈..
 向かって右側の台地から打ち下ろすコース。 幅員4mの立派な町道ですが、プレーするときにはキャディさんの手押し操作により信号が赤に変わります。 この日も自分のほかにも地元の方の農作業用の軽トラなどが結構通過していました。
交通案内

高根カントリークラブの管理事務所南側の「山城沼と」「長沼」に挟まれた丘陵地帯と推定。
いつもガイド の案内図です 地図サイトいつもガイド 

凸地誌類・史書・古文書などの記述状況
■新編武蔵風土記稿
 記述なし
■武蔵志
 記述なし

凸主な参考資料
「滑川村史 通史編」(1984/滑川村編集発行)・「滑川村史 民俗編」(1984/滑川村編集発行)
「滑川村史調査資料 第4集 旧羽尾村・設楽家・小沢家・小林家・上野家」(1980/滑川村村史編纂室)
「滑川村の沼とその民俗」(1981/滑川村村史編纂室)  

・2006/11/26 HPアップ

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