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泉福寺館
関連ページのリンク  2005/03/21の日記  谷津城    
おすすめ評価
訪城季節2 遺構状態5 探し易さ4 交通利便2 体力消耗5 歴史経緯1 印象1 総合20
所在地
埼玉県比企郡滑川町和泉1675
歴史と沿革

■すぐ東隣に所在する「三門館」との何らかの関連が推定されるものの、その詳細は不明のようである。「新編武蔵風土記稿」の和泉村の条は泉福寺に関する以外の目ぼしい記述はない。
 しかし、市野川を挟んだ南側の「勝田村」の条に建久2年(1193年)2月毛呂太郎須季綱が恩賞として武蔵国泉勝田の地を与えられたと「東鏡」の記述を紹介し、「泉」とは「和泉村」であろうと推定している。

確認できる遺構
土塁、堀切
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■周囲の水田との比高差は5mから10m程度の南北に伸びる舌状台地の南端に所在し、細長い谷津を挟んで200mほど東の台地上に三門館がある。市野川支流の滑川が数十メートル南西側を流れている。

参考資料、古文書、
記録

「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「滑川村史」(1984/滑川村編集発行)   

文化財指定
訪城年月日
2005/03/21
訪城の記録

( 2005/03/21 )
 舌状台地の先端にぽつんとお寺が一軒
 真言宗泉福寺の境内裏の北側竹林付近に土塁・堀切などが残っていますが、彼岸の最中のためなのでしょうか住職の方も常住されていないように見受けられました。人家と思しきものはこの台地上ではこの寺院だけしかないようで、竹林の中は晴れた日でも鬱蒼として暗くやや不気味な雰囲気を漂わせています。寺院の庭園となっている池もこの季節であるにもかかわらずプランクトンや藻の類が繁殖し深さ不祥のエメラルドグリーンの澱んだ水を湛えていました。また、泉福寺自体が比高数mの低い舌状台地の先端に位置していますが、どこからどこまでが元来の館跡の遺構であるのかの判断がつきかねます。

Best Shot?



 館跡は北側から伸びる低い舌状台地の先端に所在する泉福寺の境内にあり、遺構らしきものがよく確認できるのは裏側に見える竹林の中です。
 ( 2005/03/21 撮影 晴 )
交通アクセス

・東武東上線武蔵嵐山駅より徒歩60分なので車でないと不便 MapFan Web の案内図です


( 2005/03/21 撮影 )

■真言宗八幡山泉福寺の境内の裏山の竹林の中に土塁と堀切などの遺構が残されています。
■泉福寺の墓地の一角にある4基の板碑。大型の板碑は鎌倉時代の元弘期のものと推定される阿弥陀三尊形式のもの。
■泉福寺には国の重要文化財に指定されている木製の阿弥陀如来坐像があり、これはその収蔵庫の脇にある説明版。
■境内裏の竹林の西側にある土塁跡のように思われる切通状の地形。
■もっとも明確なものは、東側の竹林の斜面に所在するこの深さ1.5m前後の堀切または竪堀状の遺構。
 西側の方は右上の写真のように、土塁跡のような遺構が道に沿ってほぼ南北に残されていますが、そちら側には空堀のようなものは確認できません。
■人工的な腰郭のような段築があるような無いような地形になっています。いずれにしても竹林の中は竹が密生しているので地形を確認することが難しい状態にあります。
■新義真言宗八幡山無量院泉福寺の本堂。開山については不祥ですが、「新編武蔵風土記稿」によれば、17世紀後半の寛文年間に僧覺盛が中興したとのこと。
■南側から眺めた泉福寺の所在する舌状台地。
 
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