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関連ページへのリンク  2006/06/19のブログ 閏戸足利遺跡 閏戸堀ノ内 井沼堀の内 伊奈城
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態2 探し易さ5 交通利便5 体力消耗5 歴史経緯1 印象3 総合24
所在地
埼玉県蓮田市城482付近
歴史と沿革

伝承のみの城館跡
 「新編武蔵風土記稿」に「丸城」として漠然とした伝承が記されているだけで、その歴史的な経緯や城主などの人物については全く不明とされる城館跡伝承地。
 しかし村名の「城」(じょう)や小名の「丸城」という地名が伝わることから、地理的に見れば戦国時代の頃には岩付太田氏、あるいはそれ以前の古河公方関連の城館であった可能性は推定できそうに思われますが何分に史料が無いようです。

確認できる遺構
なし
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

独立した台地状の地形
 地理的には元荒川東岸に位置する独立した台地上に所在し、その対岸には「閏戸堀ノ内」「閏戸足利遺跡」「閏戸吹上遺跡」などがあり、東方面には「江ヶ崎城」「馬場堀の内」なども所在していることから、その地形的な特徴と合わせて何らかの城館関連遺構であったことは否定できないと思われます。

文化財指定
訪城年月日
2006/06/19
訪城の記録 記念撮影

( 2006/06/19 )
確かに城跡のような地形が所在
 「新編武蔵風土記稿」の城村の個所に伝承として記述されていることから城館跡と推定されている場所で「城」という地名もまさにずばりそのもの。東西2か所の広い沼とその周辺には台地の先端部分と思われる地形や独立した台地が所在。おそらく城沼公園通に南側を接し北側を東城沼により守られている独立台地がとりあえずの城館跡にもっとも相応しいという印象です。これとは別に西城沼公園の西側の台地付近も何やら如何にも城館関係の歴史を感じさせる地形が残存していました。
 何時ものことながら、相変わらず資料不足・準備不足の城館めぐりが続くのでありました。この日は暑さと異常な咽頭部の閉塞感のため、時間には大分余裕があったもののこれにて訪城終了。なおこの後、翌々日から10年来の持病が急激に悪化し
、症状の安定まで1ヶ月以上を要することになろうとは...以後神社仏閣参拝に際しては取り敢えずは「無病息災」を最優先としなくては(^^;

「丸城」付近と東城沼
( 2006/06/19 撮影 晴れ時々曇り)
訪城アルバム
■1■西城沼公園
 西城沼公園の入口付近ですが、公園の造成に伴う地形の改変が甚だしいようですが、せめて「城」という地名の由来などの説明板(「新編武蔵風土記稿」からの引用でもいいので)が欲しいところです。
 例えそれが歴史的な史料などの裏づけを欠く伝承のようなものであったとしても、地域の歴史・文化に関心を寄せる契機となれば一定の意義を有するはずですが、ざっと見渡した限りではそのような説明の記された設備は見当たりませんでした。
■2■城沼公園通り沿いの台地
 蓮田市役所に通じている城沼公園通りの北側の台地はご覧のように最大比高差にして6m以上あり、この台地の北側には「記念撮影」の画像に写っている東城沼の湿地帯が広がり天然の大きな壕のような役割を果たしていたように思われました。
■3■西城沼公園の最高地点
 昔結構流行っていたフィールドアスレチック風の高さ6mほどの丸太で組み立てられた櫓の頂上に登って周囲の地形を確認。すると、近くにいた幼稚園ぐらいの子に「おじちゃん、なにしてんの」と訪ねられたので、詳しい説明をしても始まらないと思い、「お写真とってるの」と返答。その子はやや不思議そうな顔をして母親に手を引かれて遠ざかっていきました。正直に言えば、こういう施設を見ると必ず攀じ登る習慣があるというだけのことですが...
■4■「城」発見
 近くの丁字路の信号器の所にも「城(jou)」と記された表示がなされていました。しかし、それでは余りにも味気ないので地名の証拠になるものを探していると、公園近くの地元の集会所にこのような看板が...確かに間違いなく「城」なのでありました。ただし読み方としては「じょう」と読むようです。
■5■西城沼公園の西側に所在している旧家
 遠くから拝見する限りではどうやら立派な屋敷門を構えたお宅のようで、この切通のような地形の道路が100m以上も続いていました。
 なお、この場所がことによると「新編武蔵風土記稿」の小名「向山屋鋪」と呼ばれている個所に相当するのかどうかについては勉強不足で分かりません。
■6■丸城近くの道端に咲いていた「ムラサキカタバミ」
 「イモカタバミ」とよく似ているのですが、その識別方法で一番分かりやすいのは花の中心の色が薄くなるのが「ムラサキカタバミ」で、その逆に濃い紫色となるのが「イモカタバミ」ということのようです。
 繁殖力の強靭なカタバミ科の南米原産の多年草の帰化植物で、そういえば今年から自宅の玄関脇にも咲いていました。一般のカタバミはの花は黄色ですが、こちらの場合は明るい紫色に縦縞の模様なのでよく観察するとなかなか味わいのある「雑草」です。
■7■スイレン
 西城沼公園の池に咲きはじめていた「睡蓮」。和名は「ヒツジグサ」。朝になると開花して夕方には閉じるという習性があり、3日ないし4日ほど繰り返した後には萎れて水没し水中で結実するとのこと。
 睡蓮の植物図鑑へ
交通案内

・西城沼公園の南側の台地付近。
いつもガイド の案内図です 地図サイトいつもガイド 

凸地誌類・史書・古文書などの記述状況
■新編武蔵風土記稿
 埼玉郡城村の項に「小名 丸城 一に城と云、四方沼田なり、古は城ありし處なるべし、されど何人の居し事を伝えず、此辺に広さ八反程の所水殊に深き沼あり」と記されているのみで、昔日の地形については描写されているものの、その歴史的な背景や城館の存在に関わる事実関係等については触れられてはいません。
■武蔵志
 城村の記述自体が欠落しています。

凸主な参考資料
「埼玉の中世城館跡」(1988/埼玉県教育委員会)・「関東地方の中世城館」2埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣)・「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など
「蓮田市史 通史編T」(2002/蓮田市)・「蓮田市史 考古資料・古代中世編」(1999/蓮田市) 

・2006/08/20 HPアップ

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