( 2006/04/26 )
凸一部だけ遺構が残存
今年の6月からの駐車違反取締りの強化に備えて、例により近くのローソンで軽食を購入してきっちりと駐車場所を確保。最近は城館跡の所在地を探すのと同じくらいの時間をかけて駐車場所の確保をするようになってきました。
さて肝心の城跡は「加納城趾団地」という一戸建ての分譲地で、正にこれ以上分かりやすい名称はないものの、残念ながら1960年代後半の宅地開発により現在では遺構は殆ど遺されていないとの情報も。
徒歩にて南側から住宅地に入る道路を北上すると道路の左手に住宅内の案内図が。説明板があると思われる公園の所在地などをしっかりと確認し、ふと何気なく左の道路の突当りの民家の方に目をやると何やら比較的新しい石柱が。目が悪いので近くまで寄っていくと、何と「桶川市指定文化財 加納城跡」と刻まれた立派な石碑が民家の庭先のような所にポツンと鎮座。ま、あるのは石碑だけで遺構などは何もないだろうと思いつつも西の方角の平地林の中へ進んでいくと、保存状態はけっして良好とはいえないものの、何と。縄張り図などから推測して、内郭に相当する南東部分の遺構であるらしいことが判明。本当に思いがけない残存遺構との出会いに、絶不調の体調もやや回復基調に向かっていくのでありました。
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内郭部分から南側の土塁方向を撮影したものの、草木の新緑に隠れて目立ちませんが、土塁の高さは内郭側でも1mから1.5m程度の規模で遺されていました。L字型土塁の先端部分は「2」の写真のように右側(北側)の宅地造成により切断されています。住宅内の公園内に設置されている解説板にも内郭の空堀と土塁の遺構が一部残存していることが明記されていました。しかし、現状としてはその保存状態は余り良好とは見えませんので、一日も早い保存・活用に向けての整備がなされることを期待します。 画像クリックで現地解説板へ
( 2006/04/26 撮影 曇り )
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■1■内郭の土塁と空堀 画像クリックで拡大
けっして保存状態が良好であるとはいえませんが、幅約10m、深さ1.5mから2m、延長40mほどの規模を有する空堀が現存し、更に加えてその北側の草木の繁っている個所には、空堀に沿って高さ1.5mから2mくらいの規模のL字型土塁も現存していました。
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■2■残存する内郭土塁先端
宅地造成以前にはこの土塁や空堀が概ね内郭部分を取巻く形態で残されていたということからすれば、確かに痛々しい土塁の姿であるには違いありません。しかし、寧ろその後の宅地開発ブームやバブル経済の難局を乗り越え、よくぞ40年間以上も持ち堪えてきたものとある種の感動さえ覚えます。関係者の方々のご尽力にあらためて敬意を表さねばなりません。
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■3■東側の外堀跡付近
桶川市の資料などによれば、1960年代の中頃までは内郭の外側の北辺と東辺には幅3mの空堀と高さ1mほどの土塁が存在していたということですが、現在は農地となりその面影を殆ど見ることはできません。
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■4■城跡の石碑
「1」の空堀と土塁の遺構の手前に所在していますが、民家の庭先のような場所なのでよく観察していないと見落としそうです。また、この奥に所在する残存遺構についても、果たして自由に見学してよいのかどうかやや躊躇うような環境でした。
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・県道12号線沿い、桶川高校入口交差点の北側の城跡団地が目印
・いつもガイド の案内図です
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凸参考資料
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など
「桶川市史 第3巻 古代・中世資料編」(1985/桶川市)
「桶川市史 通史編」(1990/桶川市)
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