アクセスありがとうございます。  HP日記、訪城記録、猫との平穏な暮らしなどの雑記帳のようなものです。 
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・2006年4月30日    古い画像の整理
           



■生後約50日頃の「あんみつ」

先日バックアップ専用ハードディスクの容量が限界に達してしまいました。主にマイドキュメントとメールのファイルを対象にしていたのですが、それでも10GB近くあるのでさすがに1ヶ月間の履歴は保管できなくなったようです。バックアップの実行頻度を落とすか、画像ファイルを圧縮・整理するかというような選択を迫られています。
 そんな訳で古い画像をチェックし始めていると、3月に行方不明となってしまった「あんみつ」の懐かしい子ネコの時の画像をいくつか発掘。このように腕に抱かれるときには、いつも前足を前に伸ばす癖がありました。

撮影月日:2005年6月4日
撮影場所:埼玉県自宅にて

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・2006年4月29日    畑の根切りか構堀か
           



■加藤氏館の「伝構堀」

宅地とその北西部の畑との境界部分に深さ1m、幅2間、延長40mほどの空堀跡らしいV字状の溝が存在。いわゆる「畑の根切り」との区分が難しいところですが、「北本市史資料編第3巻下」では、所有者宅の伝承を基に「伝構堀」としています。屋敷林の裏手なので何とも微妙な印象ですが、「埼玉の中世城館跡」などでは「幸左衛門屋敷」とも呼ばれています。
 そういえば坂戸市も「畑の根切り」が多く見られ、地元では「畦堀(あぜっぽり)」とよばれているそうで、深いものでは2mほどの規模のものもありました。

■遺構の所在地はこちら■

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撮影月日:2006年4月24日
撮影場所:埼玉県北本市にて

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・2006年4月27日    加納城の空堀と土塁は一部健在
           



■僅かに残る加納城の空堀と土塁

訪城済み且つ未整理の城館跡が増殖しつつあり、とりあえず主なものだけでも先行してHP日記に掲載を敢行していくこととしました。

南西側の民家近くの平地林に幅10m、深さ1.5mから2m、延長40mほどの空堀が現存。更にその北側を良く見ると、空堀に沿って高さ1.5mから2mくらいの規模のL字型土塁も。手持ちの縄張り図などから推測して、加納城の南東部分の遺構であることが判明。私有地のもようですけど、何とか保存整備されるとよいのですが。

■遺構の所在地はこちら■

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撮影月日:2006年4月26日
撮影場所:埼玉県桶川市にて

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・2006年4月26日    体調は絶不調、それでも訪城へ
           

 前日はどえらい絶不調。本日は土日出勤の振替にて以前から予定していた休みの先取り。もっとも現在の体調では論理的思考が停止しているので仕事関係は限りなく不可能。でも訪城は動物的衝動なのでどうにか可能という訳の分からぬへ理屈をつけて北本・桶川方面へ再訪。

上手館(埼玉県北本市)午後1時50分から午後2時05分まで
 一昨日の訪城で遺構が見当たらず落胆していた所、土塁がしっかりと残されている旨の情報があり早速二日酔いで痺れる頭をなんのこれしきと叱咤激励して訪城。前日略図にて説明を受けたとおり、ガス会社敷地内の南西部に道路沿いのネットフェンスに並行する形で高さ約2.5m、延長約100m近くの堂々とした規模の土塁が現存。ネットフェンスの内側にあることと一部造園工事と重なっていたりしているために、前回の時には全く気付くことなく素通りしていました。フェンス沿いの道路も築造の際に水田面より嵩上げされている様なので、土塁の本来の高さは3mを超える規模であったことが窺がえます。また、南東側の住宅との境界部分にも土塁状の連続した地面の起伏が見られるので本来はL字型の遺構であった模様かと思われました。

加納城(埼玉県桶川市)午後2時20分から午後2時50分まで
 加納城趾団地という一戸建ての分譲地が加納城の跡で、遺構は殆ど遺されていないとの情報でした。またもや近くのローソンで軽食を購入し駐車。徒歩にて南側から住宅地に入る道路を北上すると道路の左手に住宅内の案内図。公園の所在地などを予め確認し、何気なく左の道路の突当りの民家の方に目をやると何やら比較的新しい石柱が。目が悪いので近くまで寄っていくと、何と「桶川市指定文化財 加納城跡」と刻まれた立派な石碑が民家の庭先のような所にポツンと鎮座。ま、石碑だけで何もないだろうと西の方角の平地林の中へ進むと保存状態は良好とはいえないもののも幅10m、深さ1.5mから2m、延長40mほどの空堀が現存。更にその北側を良く見ると空堀に沿って高さ1.5mから2mくらいの規模のL字型土塁も。縄張り図などから推測して、南東部分の遺構であることが判明。思いがけない残存遺構との出会いに絶不調の体調もやや回復基調に。

原の堀跡(埼玉県桶川市)午後3時00分から午後3時15分まで
 加納城に向かう前に車から見えた県道12号線の東側の堀跡らしき溝の探索。屋敷倫の北西側に3ヶ所以上の折と1ヶ所の喰い違い部分を有し、幅3.6から5.4m、深さ1mから1.5m、延長にして200mほどの空堀乃至は水堀と思われる遺構です。年代については不明なものの名主などの豪農階層の屋敷に付随する構堀の類かと思われました。

小高屋敷(埼玉県桶川市)午後3時30分から午後4時00分まで
 国道17号線の加納交差点の角が屋敷跡。もっとも交差点近くにはレストランの「馬車道」が所在。屋敷跡の大部分は産業廃棄物を埋め立てたと思われるような跡が残っているものの、北東部分には明らかに堀跡とわかる幅の広い溝が残されていました。もっともその場所も家電の不法投棄やらでゴミだらけの状態ではありましたが。

 さて帰路は、風邪と花粉症と二日酔いのぶり返しに加えて低気圧が近づいていることから新たに偏頭痛が加わることに。このため自分でもものすごい形相と思うほどの表情で車を運転し、対向車の人はさぞかし世の中には危ない人がいるものだと吃驚したかもしれないのでありました。




■上手館の土塁

一昨日の訪城の際、左の「上手館」の土塁には全く気付かず、もはや体調に関係なく動物的感覚さえも低下の一途を辿っているようで嘆かわしいのでありました。余りに綺麗な状態のため植込みの造園工事の一部かと誤解をしていた始末。立入厳禁の表示が余りに目立っていたもので、大人しく従順な性格なのでそっと門前から拝見しました。

■遺構の所在地はこちら■

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撮影月日:2006年4月26日
撮影場所:埼玉県北本市にて

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・2006年4月25日    体調は絶不調、アクセスは順調
           



■桶川市の殿山付近の平地林

このところ度重なる夕方からの宴会で絶不調に陥りました。元々風邪と花粉症が復活していた所でしたので何とも形容できない体調に。この日記も翌日になってようやく記したもの。

一方HPのアクセスの方は昨年の12月にどん底を記録した後、今年に入ってからは今のところいたって順調に推移。最近の2週間に限れば1日あたりのユニークアクセスが連続して100件を超過。このため2ヶ月ほど以前に5万件に達した累計アセス件数が、4月24日の時点で累計6万件の大台に。元来が1日あたり60件前後のユニークアクセスなので、季節変動による一時的な傾向とは思いつつも、無名のサイトに多くのアクセスいただき深謝。

撮影月日:2006年4月24日
撮影場所:埼玉県北本市にて

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・2006年4月24日    再び平地に戻る
           

 風邪と花粉症を併発して大人しくしている間に、山城方面が草木の芽吹きの季節を迎えてしまいました。このため県内の山城で未訪城の個所は、「根古屋城」「古御嶽城」「金鑚御嶽城」「比丘尼城」「室山城」などを始めとして数ヶ所ほどを残してしまいました。しかし、これからの季節はせっかく汗をかき息を切らして登っても遺構の大半は藪の中という事態に陥る次第。このような訳で、残された山城は今年の11月以降に持ち越しすることとして、ふたたび半年ほどの間は平地の城館跡を目指すこととしました。
 さて、平地の城館廻りは6月からの駐車違反取締りの形態が変更されることもあり、まず車の駐車場所を探すのが優先課題となり、結果的にコンビニでお茶などを購入する機会がが増えそうです。そうしたことを除けば、やはり平地はいたって気が楽かと。道に迷っても遭難する心配はないし、害獣と遭遇する危険もないし、重い装備を背負って歩く必要もないし、風邪と花粉症の後遺症のため目が痒く時々咳が出るというようなことを除けばやや緊張感に欠ける訪城ではあります。

榎戸館(埼玉県北本市)午前11時50分から午後0時30分まで
 北本団地の近くのローソンに駐車。「トロピカルりんご何とか」というジュースとチーズあられ各1点ずつを購入して徒歩にて北本団地東側の館跡を訪城。館跡の西側には水質の良くなさそうなコンクリートで囲まれた川が南へ流れています。館跡の所在する場所は宅地開発で取り残されたような平地林の一角ですが、比較的最近に砂利敷きの駐車場などが開設されたため、遺構の一部を含む微高地の丘陵の一部が削り取られているのがはっきりと分かります。
 さて、肝心の館跡とされるあたりは大半が柵で囲まれていることと全体的に雑木林、笹薮、雑草などが生茂り地表の形状を観察することが事実上困難な状況です。このため持参した資料を基にしてコの字型の空堀や土塁があるとされる個所を何度か確認してみましたが、残念ながらそうした遺構を現在の地表の状況から見出すことはできませんでした。それにしても不法投棄された多種多様のゴミがやたらに目立ち、遺構が見つからなかったこととあわせて1ヶ所目からがくんとテンションが下がりました。かなり草が伸び始めているとはいえあの、笹薮と潅木の状況では地表の観察はかなり難しそうで、厳冬期以外には確認することはできないのではないかと思いました。

対馬屋敷(埼玉県北本市)午後0時50分から午後1時15分まで
 さて、以前小鹿野町の館跡の資料を調べていたら深井対馬守についての記述があり、意外な所で繋がりがあることを見つけて感動したという経緯が。屋敷跡は寿命院の境内およびその南側付近とのこと。しかし地表上の遺構は確認されておらず、「新編武蔵風土記稿」深井村の堀之内として記述している場所として比定しているに過ぎないようです。なお、本堂前の境内の一角には建治3年と刻まれた13世紀中頃の板碑などが歴史資料として文化財の解説板とともにまとめて保管されていました。

上手館(埼玉県北本市)午後1時30分から午後1時55分まで
 県立北本高校近くのかつては雑木林だった場所ですが、現在は某大手企業の社有地の一部となり立ち入ることができません。また、雑木林自体もかなりの部分が伐採・整地されているようで、現実に遺構自体が存在しているかどうかも分かりかねる状態でした。

加藤氏館(埼玉県北本市)午後2時10分から2時50分まで
 資料によれば真言宗智山派安養院の南西側に所在する民家の北西側に構堀が残されているとのこと。今までのこともあるので余り当てにしないで該当個所を眺めると、確かに宅地と畑との境界部分に深さ1mほどの空堀跡らしいV字状の溝が存在していました。いわゆる「畑の根切り」との区分が難しいところですが、「北本市史資料編第3巻下」では「伝構堀」としています。何はともあれ、訪城4ヶ所目にして本日はじめての遺構とのご対面に成功。しかし、少し離れた西側のほうの孟宗竹の竹林のなかに所在すると思われる堀跡については明確にその位置を確認するには至りませんでした。

八幡館(埼玉県北本市)午後15時から15時20分まで
 大手ゼネコンの資材センターの構内の一角となっていて、影も形も見えないことから中山道に跨る歩道橋の上から様子を俯瞰したものの余り代わり映えはしませんでした。

 今回は国道17号線沿いの宅地化が進行している地域なので、資料に掲載されていた遺構の殆どが消滅あるいはそれに近いような状態となっていることにあらためて十数年の時の流れを感じた次第です。




■民家の庭先のハナミズキ

自動車の排気ガスなどにも強いようで歩道の街路樹として植樹されている光景を良く目にすることがあります。花色は乳白色、やや緑がかった白色、薄紅色、濃い紅色など様々のようです。
 別名を「アメリカヤマボウシ」ともいい、明治45年当時の東京市長がワシントンに市に桜を贈り、その返礼としてアメリカから贈られたのがこのハナミズキであるという著名なエピソードがあります。外来種とはいうものの、それから約100年が経過して日本の風景に溶け込んできたように思われます。

撮影月日:2006年4月24日
撮影場所:埼玉県北本市にて

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・2006年4月18日    シバザクラも盛りを迎えました
           



■職場のシバザクラ

職場の植込みの隙間に根付いた小さなシバザクラの株が今年も満開の時期を迎えました。入館者のアプローチの脇の2株ほどのものですが毎年この時期になると花を咲かせます。有名な秩父の羊山公園ではあたり一面がシバザクラとなるようですが、こうした小さな株もまた愛らしさがあります。シャガといいシバザクラといい草花に限っては順調に生育しているようです。

撮影月日:2006年4月18日
撮影場所:埼玉県三芳町にて

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・2006年4月17日    依然として行方知れずの「あんみつ」
           



■ネコの「あんみつ」(生後8ヶ月頃)

今月の14日に誕生日を迎えた娘の飼猫ですが、依然として消息不明のままです。先日通勤の際に近所によく似たネコが、こちらをじっと見ていたので、もしやと思いましたが残念ながら全く別のネコでした。2匹仲良く誕生ケーキを買ってあげようなどと考えていた「親ばか(ねこばか)」ですが、いちばん懐いていた「あんみつ」はいなくなるし、本人は風邪と花粉症が治らないし、全くそれどころではない状態です。

撮影月日:2005年12月3日
撮影場所:埼玉県三芳町にて

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・2006年4月16日    今年も咲いたシャガ
           



■シャガ(射干)

昨年と同様に3日前頃からシャガの花が順調に咲き始めました。コブシの花と違い、1月、2月期の寒波にもめげず草花の方は順調に春を迎えているようです。北風を防ぐ位置に集会所の建物が所在しているので寒さの影響を受けにくいのかもしれません。
 しかし一方人間の方はというと、このところ風邪と花粉症が併発して絶不調です。このため4月の日記がすでに月の半ばを過ぎても更新されないという事態に陥り、なんとか頑張って本日やっと更新した始末。

■撮影場所はこちら■

地図サイトいつもガイド

撮影月日:2006年4月16日
撮影場所:埼玉県三芳町にて

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