( 2006/02/09 )
凸見当をつけた場所が違っていたようで
毎度のことながら資料不足のため、根岸山砦に向う前に「五輪塔」を目印にして金崎神社付近の該当しそうな場所を探したものの見つからず、先に根岸山砦の方を探索。午前中に長瀞町の天神山城を訪城していたため最早足元がふらふら。おぼつかない両足を叱咤激励しながら、下山後ふたたび金崎神社西側の長興寺付近を探索するもそれらしい個所が見当たらず当惑。
一応念のため、更に西側に200mほど進んでいくと道路右側のカーブミラー脇に小さな案内標識を発見。矢印に沿って道を右折(北上)すると立派な構えの屋敷門があり、その手前右側(東)に伸びる細い道の先になにやら存在する気配が漂っているよう印象。目が余り良くないので、よくよく近寄ってよく見てみると「五輪塔」の存在を示す小さな文化財の標識の中に、確かに「金崎殿館」の文字が...。文化財標識の説明によればこの付近一帯が「金崎殿館跡」ということのようで先ずはめでたしめでたし。
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目指す五輪塔はこの生垣の内側に所在していました。また、冬枯れの木立の間からは丁度先ほど訪れたばかりの根岸山砦のある十二天山の山頂がが見えました。
金崎氏と伝わる在地領主とのかかわりも推定されているようですがその詳細は不明です。
( 2006/02/09 撮影 晴れ )
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■1■金崎神社の社殿
館跡の東方に所在する金崎神社の神明造の拝殿。切妻屋根の平入りで棟持柱が外壁の外側に立てられる伊勢神宮に代表される建築様式のひとつ。(「神社の見方」小学館より)
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■2■天神塚古墳
金崎神社の社殿のすぐ西側に所在する金崎古墳群に含まれる6世紀第3四半期頃と推定される円墳。大きさは高さ2m強、直径13mで別名を「氷雨塚」とも。
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■3■五輪塔6体と宝篋印塔
「中世の秩父」(2001/秩父地区文化財保護協会)掲載の所在地情報によると、この五輪塔の西側の屋敷門のあるお宅付近を中心とする山裾の平地が幾分広くなっている一帯が館跡と推定されている模様です。「皆野町史通史編」によれば、写真の五輪塔などは室町時代中期以降とされています。
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・国道140号線金崎の信号を西へ約500m道路の右(北)側
・いつもガイド の案内図です
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凸参考資料
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)、「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)、
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)、「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「秩父郡誌」 (1972/秩父郡教育会編)大正13年出版の復刻本、)、「中世の秩父」(2001/秩父地区文化財保護協会)
「秩父志」(「埼玉叢書」の国書刊行会より出版された復刻本より)、「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「皆野町史 通史編」(1988/皆野町)、「皆野町史 資料編3」(1981/皆野町)「増補秩父風土記」を所収
「皆野町史 資料編4」(1983/皆野町)
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