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■1■県道脇の解説板 画像クリックで拡大
歴史的な経緯と縄張り図が掲載されたステンレス製の立派な解説板が強石橋の東側の袂に建てられています。初めて訪れたものにとっては登口の案内のようなものがあるとなお親切なのですが。
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■2■登口
登口がすぐに見つかるかどうかという懸念がありましたが、千馬山城の場所も含めて予想よりも簡単に登山道を発見。住宅の手前の左の「黄色い矢印」の部分から左手の尾根筋に取り付いて登っていきます。3分ぐらい辛抱して登っていくと次の「3」の個所に到達します。
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■3■「麓の郭」の東側に所在する祠
「麓の郭」とよばれる人為的な平坦地がこの西側の下方に所在し、かつてはその場所から本郭付近まで見通すことができたということのようですが、現在では樹木の生長により現在は見づらくなっていました。
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■4■腰郭の石積み 画像クリックで拡大
数か所ほど石積みが存在しているらしいのですが、残念ながら直接確認できたのはこの腰郭の補強部分ともう一箇所の腰郭のみでした。自然の岩塊と組み合わせて郭を補強している所が奥ゆかしいのですが、剥落した石積みの破片が斜面に見受けられるように年月の経過に伴い大分崩落が進行しているようです。
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■5■「肩の郭」
二の郭と物見郭の分岐となる自然地形に近い印象の平坦地です。
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■6■物見郭(出郭)の堀切
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■7■物見郭(出郭)
東側の三沢方面と西側の皆野方面の両方が見通せるという正に物見台には格好の地形です。
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■8■二の郭を支える岩塊
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■9■二の郭
左側の主郭との間に大分浅くなってしまったような堀が所在し、そのまま東側の尾根筋を堀切る形となって続いています。
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■10■山上の小祠
用土新左衛門を祀ると伝えられている主郭山上の祠。賽銭が26円だけひっそりと置かれていました。
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■11■主郭から伸びる北西の痩せ尾根 画像クリックで拡大
「田野城」方面へと続く北西方向の狭小な痩せ尾根さえにも「12」のような堀切が施されています。「皆野町史」ではこの尾根筋を搦手と推定しています。ちなみにこちら側から登ってくることは可能ですが、両側は50度前後の急斜面であることに加えて、尾根幅は人一人がやっと歩ける程度の尾根幅しかなく相当に攻撃しづらい地形となっています。
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■12■堀切 画像クリックで拡大
堀切の先端部分はそのまま谷底へと落ち込んでいきます。ここを登ってくるのは50度近い急斜面に加え稜線近くは岩が露出し掴まるものがないので相当に骨が折れそうです。
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■13■北西方向から見た主郭 画像クリックで拡大
最高地点である主郭は敢えて堀切を設けなくとも、小規模ながらこのように人を寄せ付けない峻険な岩場なのでありました。
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■14■主郭北側の傾斜 画像クリックで拡大
このままの角度で比高差50mほどの急斜面が続きます。二の郭が見ると2.5mほど上には二つの楕円形がくっついたような小さな主郭で、手前の二の郭寄りには稲荷神社無事到達できたことに山上の竜ヶ谷稲荷・龍神を祀るという小社にて取りあえずお礼の参拝。
簡素で小さな祠ですが俄雨などの時に雨宿りさせてもらうには充分な空きスペースがありました。
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■15■二の郭東端部分
左側の北辺部分は50度ほどの急斜面で、この正面の途切れて先が見えない個所が「16」の堀切部分となります。
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■16■二の郭東側直下の堀切
千馬山城の写真の中でもっともよく見かける構図のひとつで、堀切の堀底道がそのまま二の郭直下の構堀の堀底道に繋がっています。左側の堀切を下るときに股関節が十分に開かず前のめりにバランスを崩しました。
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■17■「16」の撮影位置から西側に20mほど後退して撮影したもの。
左側の斜面が二の郭側で、中央の堀底道の右側に高さ1mほどの土塁が見えます。この位置から更に10mほど西側に後退すると「18」の写真の個所となります。
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■18■折を見せる構堀 画像クリックで拡大
写真としては予想通り訳のわからないものになったものの、二の郭下方の折のつけられた構堀付近は肉眼ではなかなか見ごたえがありました。
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■19■東の尾根二重堀切 画像クリックで拡大
西側の堀切部分で、風化などのため上り下りは慎重な対応が必要です。バランスを崩して画面向こう側の北側に落ちるとどえらいことになる可能性があります。
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■20■東の尾根二重堀切 画像クリックで拡大
東側の堀切
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■21■東の尾根二重堀切 画像クリックで拡大
手前が東側の堀切で、その向こうが西側の堀切。
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■22■
東側の尾根筋北辺は麓の方では緩斜面であるのに、稜線に近づくに従い傾斜を増し稜線付近では比高差50mほどの峻険な断崖を形成し、この方面からの登攀はまず不可能かと思われます。
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■23■「田野城」方面
主郭から北西の尾根沿いに80分ほどアップダウンの激しい岩塊が露出した痩せ尾根を慎重に辿れば多分到着するはずですがそんな元気はありませんでした。
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■24■二の郭南端から見上げた主郭
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■25■腰郭の石積み
資料などによるともっと多くの石積みが遺されているはずですが、この季節特有の枯葉に埋もれて見えない個所が多いようです。もっとも夏場では樹木・草木が叢生して更に酷いことになりそうですが。
「4」の石積みと同様に「新編武蔵風土記稿」の三沢村の項でも「りうかい山 ...今に石壁なども往々にの遺りてあり...」と記されています。
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■26■南東の集落からの眺め
正面のピークが「物見郭」(出郭とも)だと思われ、主郭は右側の稜線の陰に隠れて見えないようです。上りの所要時間は25分から30分で、下りは15分から20分ほどで、山城もこれぐらいの所要時間だと随分と楽なのですが。
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■27■「美の山」から眺めた千馬山城 画像クリックで拡大
千馬山城の遠景を撮影すべく南側の観光地「美の山」(586.9メートル)に出かけたものの肝心の千馬山城の位置がはっきりせず1時間以上も貴重な時間を浪費。また位置は特定できたものの、予想に反してなかなか格好な場所が見つからず、何とかデジカメに収めたものの標高差がありすぎて肝心な城跡が下界に沈降しています (^^ゞ
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■28■西方の国道の歩道から撮影した「千馬山城」遠景 画像クリックで拡大
次に再び国道140号線の三沢集落への入口の交差点まで戻って、よくよく景色を眺めると何と東側の三沢川の谷沿いに三角形をした千馬山の山容がはっきりと見えるではないですか。何もわざわざ時間をかけて「美の山」方面まででかける必要など全くなく、やはり山は下から見上げるものだということのようです。
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