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城館跡の名称
関連ページのリンク  2006/02/09の日記 田野城 皆野館 設楽氏館 千馬山城 高松城
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態5 探し易さ4 交通利便4 体力消耗5 歴史経緯1 印象3 総合25
所在地
埼玉県皆野町金崎根岸山
歴史と沿革

戦国時代の砦跡か
 「埼玉の中世城館跡」などでは「伝承地」としているだけで近世から明治・大正期に編纂された地誌類にも見当たらない城館跡ですが、「中世の秩父」(2001/秩父地区文化財保護協会)によれば戦国時代の城跡としています。また、鉢形城主北条氏邦の家臣団の一覧と伝わる「鉢形分限録」によれば皆野村の根岸藤八、三沢村の根岸軍八という名が見えますが直接の関わりがあるかどうかは定かではありません。なお、「皆野町史通史編」では高松城の解説の中で「根岸山砦(金崎十二天山)」を天神山城・虎ヶ岡城(円良田城)へのつなぎの役割を果たすものとして記載しています。

確認できる遺構
郭、腰郭?、石塁? 
※なお、「中世の秩父」によれば空堀と郭が遺されているとされています。
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■宝登山から荒川方面に向かい西側に張出した尾根筋の先端部分に相当しますが、岩壁の存在が示すようにその南側の峻険な地形と比べると北側は緩やかな斜面となっていることが対照的な山容です。したがって遺構かどうかの判断がつかないものの、腰郭状の平坦地などは緩やかな地形となる北側の谷沿いに所在しています。

文化財指定
訪城年月日
2006/02/09
訪城の記録

( 2006/02/09 )
郭と石塁があるにはあるのですが
 宝登山山頂から東へ荒川に向って張出す尾根筋の先端部分が戦国時代の砦跡と推定されているようで。岩壁の存在が示すようにその南側の峻険な地形と比べ北側は緩やかな斜面となっていることが対照的な山容です。
 さて肝心の遺構はどうかというと、400年以上も前のものかどうかというとそれほど古いものではなさそうな石塁が1ヶ所、腰郭状の平坦地が2か所ほど東側の谷沿いに遺されていました。状態から見て時代背景がかなり新しいように思えるものばかりなのですが、新しいものと考えると自分の乏しい知識では何のために普請されたのかがよく分からない「遺構」でした。
 ことによると木材や石材の切出しのために構築されたものかもしれません。素人が見てもすぐに分かるような状態ですので、これが歴史的な遺構ならば当然近世の地誌などに掲載され、最近の城館関係の書物などにも掲載されていて良いはずかとも思われるのでした。

記念撮影


 南側から眺めた根岸山砦の様子で、こちらの南側に鍵ってはは垂直に近い岩壁が露出している個所も多く比高差がない割には極めて峻険な地形となっています。

( 2006/02/09 撮影 晴れ )
訪城アルバム
■1■対岸の荒川右岸からの遠景
 この辺りの荒川は断崖の高さも10mから15mほどとそれほど高くはありません。
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■2■同様の遠景 画像クリックで拡大
■3■山上の十二社大神への登口
 この場所から向って左手の尾根筋を登っていきます。するとすぐに尾根筋の上でます。そこから堀跡のようにも見えなくもない山道を過ぎ、次に廃屋となった小さな物置小屋を過ぎると、右手の谷沿いに「4」から「8」までの「遺構」らしきものが所在しているのが目に入ります。
■4■腰郭の上段部分
 奥行き6m×長さ20mほどくらいの広さ。
■5■腰郭の下段部分
 規模は上記とほぼ同様。
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■6■階段状に築かれた腰郭風の平坦地 画像クリックで拡大
 外見上は尾根筋と谷筋に跨る比較的規模の大きな腰郭なのですが。二段ないし三段の階段状の平坦地が存在しますが、やや広すぎることもあり遺構かどうかについてはどうも確信が持てません。
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■7■腰郭状の平坦地から撮影した石塁?画像クリックで拡大
 高さ1mから2m、長さ10mほどの石積みが谷の左岸に構築されていました。シシ垣にしては位置的に不自然で、どことなく全体的に比較的新しそうな印象があります。石材や木材などの搬出のための施設の一部のようにも思え遺構かどうかは分かりません。
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■8■石塁?画像クリックで拡大
 同じものを接近して西側から撮影したもの。
■9■主郭直下東側の腰郭のような平坦地?
 空堀状の溝や切落としの地形が見られる5m×15mほどの広さを有する谷沿いの平坦地。
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■10■主郭 画像クリックで拡大
 十二大神を祀る祠の所在する山頂は直径20メートルほどの平坦な楕円形をしています。ここが砦跡とすればまさに主郭に相当する地形ではないかと考えられます。
■11■主郭西側の緩やかな尾根筋
 右手の南側は比高80メートルの程の断崖に近い地形のため特に防御施設の構築を必要とはしません。これに対して西側は緩やかな尾根続きの地形のため堀切などの遺構の有無を確認したものの、残念ながらそれらしい形跡は見当たりませんでした。
■12■長興寺山門前から見上げた砦跡
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■13■荒川対岸の田野城から
 正面の山は有名な標高497.1メートルの宝登山でその手前の低い山が「根岸山砦」辺り。高松城や城峰山(城郭遺構であるという説と遺構ではないという二つの説があるようです)の方角もはっきりと見えます。
この眼下に所在する根岸山砦はその相互の位置関係からみて、千馬山城や天神山城との間を繋ぐ物見台や狼煙台或のような役割が感じられます。   画像クリックで拡大
交通案内

・金崎神社東側100mほどの丁字路を北西に180m進むと「3」の石碑のある場所にでます。
・比高差約90メートル、所要時間は上り20分・下り15分程度で神社の参道なので歩きやすい。
いつもガイド の案内図です 地図サイトいつもガイド 

凸参考資料
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)、「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)、
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)、「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「秩父郡誌」 (1972/秩父郡教育会編)大正13年出版の復刻本、)、「中世の秩父」(2001/秩父地区文化財保護協会)
「秩父志」(「埼玉叢書」の国書刊行会より出版された復刻本より)、「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「皆野町史 通史編」(1988/皆野町)、「皆野町史 資料編3」(1981/皆野町)「増補秩父風土記」を所収 

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