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城館跡の名称
関連ページのリンク  2006/01/15の日記 阿左美氏館 小池氏館 浦山城
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態7 探し易さ3 交通利便4 体力消耗4 歴史経緯2 印象3 総合26
所在地
埼玉県秩父郡皆野町金沢小塚沢
歴史と沿革

設楽金太夫の館跡か
 北条氏邦の家臣団を記録した「鉢形分限録」によれば、「金崎住 設楽金太夫」と記されているのみでその事蹟などは不明のようです。 

確認できる遺構
平場、石垣
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■宝登山北西の標高315メートルほどの尾根筋の南側斜面に石垣を築いて館跡と推定される平坦地を形成しています。なお、この地域は石材の豊富な産地ではありますが、石垣自体については阿左美氏館の場合と同様に戦国時代のものではなく近世のものということになるのでしょうか。

文化財指定
訪城年月日
2006/01/15
訪城の記録

( 2006/01/15 )
山中をしばし彷徨
 設楽氏館と推定される場所は多少有名な観光名所の宝登山西側の裏山。しかし特にハイキングコースでもないので、当然のことながら登口もふくめて案内標識など一切なし。地図と磁石を頼りに大体の見当を付け、多分この谷筋を辿れば間違いないだろうと谷筋右岸の里道を25分ほどかけて尾根筋目指してまっしぐら。尾根筋までの道は殆ど一本道なので、まず迷うようなことはなさそう。道路左手の斜面に所在する数件の集落を過ぎると、道幅は人間一人が通行できる程度のやや本格的な山道となります。このあと山道は小さな尾根の東側を越えてやや広い谷を渡って行きます。
 あとから推定してみますと、どうやらこの谷を北側に上り詰めた南側の緩斜面辺りが館跡の模様です。広い桑畑の斜面の西側に所在するはずですので、踏みあとはもちろんありませんが冬季ならば近道も可能かと思えたのですが。また、先ほどの集落から登ってくる別の道も存在しているようです。およその位置は宝登山近くのミッションヒルズカントリークラブ北側の長瀞町との境界付近であることは間違いなさそうで、尾根筋の道は茸栽培などの山仕事の関係でびっくりするほど状態が良好。
 ところが、いくら尾根筋を進めども谷あいからの里道も少なくなく、遺構を求めてしばし南西斜面を20分ほど彷徨。それでも予め歩測しながら移動していたので、明らかに行き過ぎたことを察し幾つかの里道付近の探索に切り替え。しかる後、標高300mほどの尾根筋の南側斜面でめでたく遺構に遭遇。桑畑の近くに長さにして最大長40mほどの三段構えの石垣と500uほどの平坦地が残存していることに感動。また、石垣の遺構が所在する真上の尾根筋には物見台風の地形のあることも確認。しかし、この時点ですでに午後1時過ぎになり日没や路面の凍結などの事情を考慮して、あと精々1個所から2か所をまわれればという残り時間に。

記念撮影

 石垣は東西方向で約40mほどの長さがあり南側に向けて二段構えで普請されていました。ただし、手前の部分は崩落が激しく高さは1mから2mほどの高さとなっています。また、桑畑の中には崩落した石垣の破片が数多く散乱していました。
 時代背景や築造者など不明な点が多いものの、桑畑の下方から見上げた光景はまさに城郭そのもののような印象でした。

( 2006/01/15 撮影 晴れ )
訪城アルバム
画像クリックで五輪塔へ
■1■福田山西光密寺 画像クリックで五輪塔
 麓の県道44号線西側に所在するこのお寺が登口の目印。
■2■登口
 西光寺の北より50mほどのところに県道と平行して流れている日野沢川支流となる金沢川の小さな橋をわたると、そのまま車が通行できるような舗装道路が数件の集落の先まで続いています。
 しかし、途中で駐車できるようなスペースは殆ど存在しないので、西光寺奥の高台の所に止めさせてもらいました。もちろん往路は浄財と共にきちんと参詣し、帰りにも館跡に無事たどり着いたことをお礼。
■3■狩戸大明神の祠
 「よだれかけ」が奉納されていましたので、おそらく子育てにご利益のあるらしい明神様のようでした。子育ての年代はあっという間に過ぎ去っていきましたが、効き目のほどはともかくとして「館跡がどうか見つかりますように」とお参りを。
 ここから尾根筋までは目と鼻の先ぐらいの近さです。
画像クリックで裏側から見た宝登山
■4■尾根筋 画像クリックで宝登山
 見通しの良い尾根筋は皆野町と長瀞町の境界部分となっていますが、ここまでの所要時間はおよそ20分ほどで登口からの距離は僅か600mほどしかありません。
 この道を右方向(南)へ進むと標高497mの宝登山の方角へと向いますが、多分少し行けば長瀞町から登ってきている車が通行できる道路に行き当たるはずです。
■5■稲荷神社
 尾根筋を50mほど北へすすむとこの稲荷神社の祠があります。
画像クリックで拡大します
■6■物見台のような 画像クリックで拡大
 さらに200mほど進むと左手の南側に緩斜面がひろがり広い桑畑が見えます。そのさきが館跡となるのですが、尾根筋から見た限りでは非常に分かりにくい地形です。この右側には高さ3mほどの塚のような高台がありますが、ちょうど館跡の頭上付近に当たることから物見台などの役割でもあったのでしょうか。
■7■尾根筋の分岐と稲荷神社
 宝登山の方向へ戻るような感じのはっきりとした道がありますので、これを少し下っていくと約100mほどで画像「8」「12」の館跡と推定される面積にして500平方メートルほどのひろさの人工的な平坦地に出ます。
 でも実際にはこのあたりの斜面で20分ほどウロウロしていました。
画像クリックで拡大します
■8■平坦地 画像クリックで拡大
 始めは石垣であることがよく分かりませんでしたが、近くでよくよく見ると確かに立派な石垣でした。
画像クリックで拡大します
■9■早くも咲いていたオオイヌフグリ
 南側の日当たりのよい暖かな館跡の斜面で咲いていました。早春から初夏にかけて咲く生命力の強い植物です。
画像クリックで拡大します
■10■石垣 画像クリックで拡大
館跡と推定される平坦地の基礎を支えている石垣を下の方から撮影したもの
■11■石垣 同じ場所
 左端の最も高いところで高さ3mほどになります。
■12■館跡の平坦地
 26メートル×16メートルほどの広さの平坦地ですが、写真の通り人工的に形成されたものであることは明確。
交通案内

・県道44号線西光寺東側の谷を登りつめた稜線の南側斜面
いつもガイド の案内図です 地図

凸参考資料
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)、「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)、「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「皆野町史 通史編」(1988/皆野町) 

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