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             ( 2007/01/27 )  
            凸踏み跡消失に焦りの色 
             「遺構」といえそうなものは上段の西側で約2,500u(東西60m、南北40mほど)、一段下方の北側では約1,200u(東西30m、南北40mほど)という上下2か所ほどの平場のみでありました。
            人工的に削平されていることは理解できますが、尾根続き部分の「堀切」などについてはほぼ現存していないものと思われ、平場先端部分の「切岸」なども「岡部屋敷」と比べると明らかに不明瞭な印象です。 
              一方尾根下りの途中にて「りゅうがい山」の南東側からの姿をデジカメに納めることに成功。 また下山ルートの関係で北側の林道から直接登る最短コースも明確になりましたが、結論から申せばわざわざ行くほどのものかと問われると、何とも答えようのない「砦跡」なのでありました。
             
             いずれにせよ林道側から這い上がるルートの方が遥かに分かりやすく安全のようです。 大高山から尾根筋に沿って下山してくるコースは踏跡程度の道があるようなないような悪路にて。
            加えて予定通りの地点にて平場を見つけて喜んだ所までは良かったのですが..当然の結果として下山ルートも消失(大汗) 下方の林道までの直線距離が最短で僅か200mであることが頭の中で分かっていても、岩場などが出現しないことを祈りつつ些か焦った心境に陥った次第にて。
            地形図と方位磁石を頼りに、所々荊の生えた尾根筋を忠実に辿りつつ無事林道へ到達して何とか生還。 少しくらい道に迷ってもさほど困らない、平地の城館跡が懐かしいのでありました 
            午前10時30分にスタートし駐車場所の辿り着いたのは午後15時10分。 実態としては、大高山岩尾根難コースハイキングなのでありました。 大高山までのルートは小学生でも歩ける十分に整備されたコース。
            然し多少のアップダウンがあるために、実質的な比高差は400m近くとなる計算。 途中大高山へのハイキングルートでは小学生1名を含む合計3組4人のハイカーと遭遇し、恒例の「ちわーす」との挨拶を交わすことに。
             
             大高山の山頂では、食事も摂らずに地形図と方位磁石を見つめてぶつぶつ独り言を言いながら、薄暗い杉木立の斜面に消えていくという怪しい人物に変身(自分のこと)。
            明らかにハイキングルートから外れた北側の斜面を下ってゆく五十男の姿は、親子連れのハイカーから見るとさぞかし異様な光景であったかも知れず。 
             また 大高山の西側には絶壁の岩場が2ヶ所ほど所在 向かって左側はほぼ垂直に近い20mほどの断崖を形成。 平野砦へ向かう尾根筋でこんな地形に遭遇したら某の膝の状態ではとても突破は不可能にて。
            幸い、踏跡の消失、荊などの棘のある植物の出現程度で済みましたが。 この付近は大高山の標高487mが最高峰あると共に、1時間も歩けば人家に辿り着く低山の領域。
            これが標高1千m前後の山岳地域となると、滝や断崖の存在とともに渓谷自体も深く、無謀かつ遭難の危険性も内在することは必定と肝に銘じて居る次第なのであります。 
             
             
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      平野砦 上の平場 
      ( 2007/01/27 撮影 ) | 
    
    
        
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            凸1 岩尾根 
             大高山の西側の切り立った岩稜で雨天時や霧などが発生したときにはハイキングコースとしてはあまり一般向きとはいえない地形かもしれません。 
             
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            凸2 大高山の山頂 その1 
             大高山山頂の西側部分もこのような岩稜を形成しておりました。心肺機能の問題も含めて標高500m未満の低山とはいえ、些か体のバランスと足元に不安のある当方としては本格的ハイキングとなってしまったことを次第に後悔し始めるのでありました。 | 
           
        
       
       
      
        
          
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            凸3 大高山の山頂 その2 
             大高山の山頂からこの尾根筋がなかなか見つからず、暫し地形図・方位磁石と睨めっこをしておりました。実際問題として尾根筋を下るというよりは薄暗い杉木立の急斜面に消えてゆく怪しい中年男という表現が妥当なのかも知れず。 
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            凸4 「りゅうがい山」 
             テレビ埼玉の放送施設の中継所の所在する辺りからは「りゅうがい山」の南側の様子が一望することも今回のわざわざ遠回りした目的のひとつなのでありました。 
             
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            凸5 痩せ尾根北側の絶壁 
             大高山から続く尾根筋は削平地の少手前辺りで南北方向からそれぞれ高麗川の支流となる深い谷が迫り、谷沿いからの登攀を事実上困難なものにしていました。仮に滑り落ちたとしても、再び這いあがってくることはほぼ不可能な地形です。 | 
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            凸6 削平地直前の痩せ尾根 
             この辺りに堀切などの形跡が無いか暫く確認したもののそう都合良く見つかるはずも無く概ね平坦な痩せ尾根が続いておりました。 
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            凸7 西側の削平地 
             尾根筋上から俯瞰した上段の西側の削平地で約2,500uほどの広さを有し、東西60m、南北40mほどの長さを測ります。 
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            凸8 残された尾根筋部分 
             物見のために残されたとも考えられる大高山から続く尾根筋ですが、「16」の画像が示すように削平地自体が標高390m近い高所であるため積極的な役割があるようには思えないのでありました。 
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            凸9 残された地山の尾根筋 
             西側の削平地の先端部分より南側の地山である尾根筋を見上げたもの。 
             「新編武蔵風土記稿」に記された「物見山」がこの「平野砦」だとすると、確かに眺望自体は優れているものの高麗川の集落までの比高差が約200m近くあること及び坂石の町並みまでの距離の長いことが欠点であるように思われます。 
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            凸10 北側の削平地 その1 
             尾根筋から見下ろした北側の削平地の様子ですが、この辺りから踏み跡が不鮮明となり些か慌てることに。 
             しかし、よく考えてみれば200mほど先には林道が走っており、何処へ降りても林道の近くまでは行けるはずなのでありました。 
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            凸11 北側の削平地 その2 
             下方の北側では幾分狭く、約1,200uほどの広さでで歩測によれば東西30m、南北40mほどの規模を有していました。 
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            凸12 北側の削平地 その3 
             右手の北東方向に進めば「小字鎌倉坂」を経て鎌倉峠の古道へと向かうはずです。 
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            凸13 平野砦への登り口 
             このコンクリートの擁壁の間から直登すれば比高差90m足らずなので20分前後で下の平場へと到達するはずです。 ただし、道はさほど良好ではなく踏み跡程度ですが、ひたすら真直ぐ尾根筋を進めば迷うことはありません。ただし荊が所々に繁殖しているので要注意です。 
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            凸14 もうひとつの「物見山」の比定地 
             りゅうがい山から見て東側の谷を隔てた地形で物見山と称すべき地点は「平野砦」以外には、「平野砦」の北側約400mの地点に所在する、この画像の左側の尾根筋先端部の標高280m( 比高差100mで坂石の町並みまでは半分以下の距離 )のピークも想定できるものと考えられます。 
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            凸15 平野砦の遠望 
             「城逢人」管理人である史進どのとの帰路の途中にて、この冬些かローカルな話題を集めたイノシシ型の薪ストーブを製造直売している工場の近辺からあらためて「りゅうがい山」と「岡部屋敷」の姿を確認していると、偶然にも「平野砦」の所在する平坦地が国道299号線から明瞭に望めるのでありました。何度もこの道を往復しつつも、いままで気づかなかった某のまさに不徳の致す所にて候也。 
             今まではこのルートを走行しても急カーブの多いこともあり精々「りゅうがい山」方面を一瞥する程度にて。結論から言えば、この地域のイメージが未だ頭の中で混沌としているということを再認識した次第なのであります。 
               ( 2007/03/31 撮影 ) 
             
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      ・大高山北東約400mの尾根筋に所在 
      ・いつもガイド の案内図です    
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      凸地誌類・史書・古文書などの記述
      ■新編武蔵風土記稿
       秩父郡南村の項に、「りうがい山 村の南にあり 土人岡部六弥太忠澄が城跡なりと云 ...登ること十町ばかり 頂上平坦五六十坪 松杉及び雑木生茂れり 堀石垣等の形僅存せり  是より東の方谷を阻て 物見山と云える處あり 北の方へ下る事五六町ばかりの所に愛宕社の小祠あり 其下に四五百歩の平地あり是を中屋敷と云」と記されています。
      
       ■武蔵志 
       周辺地域を含めて欠落しているため具体的な記述はありません。  
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      凸主な参考資料 
      「埼玉の中世城館跡」(1988/埼玉県教育委員会)・「関東地方の中世城館」2埼玉・千葉」(2000/東洋書林) 
      「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)・「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣) 
      「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)・「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店) 
      「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など 
      「飯能市史 通史編」(1988年/飯能市発行)・「飯能市史 資料編 地名・姓氏」(1986年/飯能市) 
      「飯能市史 資料編 文化財」(1976年/飯能市)  
       
       
      ・2007/05/19 HPアップし同日訂正・追加 
       
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