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関連ページへのリンク  2007/01/22のブログ りゅうがい山 岡部屋敷 小瀬戸城
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態1 探し易さ5 交通利便5 体力消耗5 歴史経緯2 印象1 総合22
所在地
埼玉県飯能市坂石町分
歴史、人物、伝承

岡部氏関係の居館跡か
 「新編武蔵風土記稿」の記述から、「りゅうがい山」「岡部屋敷」とともに岡部氏関係の居館跡のひとつと推定されますが、その時代背景も含めて詳細は不明の模様です。「飯能市史 資料編 地名・姓氏」では、「新編武蔵風土記稿」南村の旧家である名主藤兵衛の屋敷をこの中屋敷である旨を示唆しています。

凸関係する歴史上の人物
  岡部氏は武蔵七党猪俣党の流れを汲み、「武蔵七党系図」によれば猪俣忠謙の子忠綱が岡部の地に来住し岡部六大夫と称したことに始まるようです。この地域は「飯能市史」によればそうした岡部氏の一族が支配していたとされ、そうした屋敷跡のひとつと考えられます。
 なお、天正18年の松山城の攻防の軍勢の配置を示したとされる「天正庚寅松山合戦図」において、古郡・柏崎・今泉方面の城方(後北条方)として岡部越中守忠直という名が見えますが飯能地域の岡部氏との関係は不明です。

確認可能な遺構
なし
地理的特徴

りゅうがい山の北麓に所在
 山城としての可能性が想定される「りゅうがい山」の北側中腹に所在する「岡部屋敷」の北東側約200mほどの平坦な河岸段丘上に位置し高麗川が北側に大きく蛇行しつつ東流しています。村の鎮守である白髭神社に近くかつ坂石町分の集落を見渡せることから近世名主屋敷としても相応しい立地条件であったことが窺えます。

文化財指定
訪城年月日
2007/01/20、01/22、03/31
訪城の記録 記念撮影

( 2007/01/22 )
歴史的な面影はなく
 通称「中屋敷」と呼ばれる場所は白髭神社の前の道路地をそのまま南へと進み西武線のガード下をくぐった右側の平坦地で現在は畑となっておりました。周囲には石垣施されていますが勿論歴史的な存在ではなく、数十年前のセメントで補強されたものであります。下記の画像の黄色い矢印の方向に進み突き当りを左折すると「岡部屋敷」の所在するりゅうがい山の北麓へと続いています。「りゅうがい山」「岡部屋敷」を含む、これらの城館跡が当地の在地勢力である岡部氏に関わりのあることは推測に難くありませんが、「新編武蔵風土記稿」に記された地元の伝承以外には手がかりがありません。
 また同稿「坂石村」の項に記されている岡部忠澄の居住した[上屋敷]と呼ばれる「千坪ばかりの屋敷跡」との相互関連性も不明のようです。

(追記)
 「飯能市史 資料編 地名・姓氏」(1986年/飯能市)によれば、吾野地区の高麗川左岸の現在の吾野小学校の北側三社に「上屋敷」とよばれる小字名が遺されていることから当地を「上屋敷」の比定地としています。また、「東上屋敷」(法光寺の北西側)「下屋敷」(法光寺の西側)並びにこの「上屋敷」と「中屋敷」のすべてについて岡部氏に関係する館跡であろうと推定していますがその具体的な根拠は明示していません。

クリックで拡大します
中屋敷 石垣沿いに進めば「岡部屋敷」への道へ
画像クリックで拡大
( 2007/01/22 撮影 )
訪城アルバム
白髭神社 画像クリックで右側の大岩へ
凸1 白髭神社 (2007/01/20 撮影)
 「新編武蔵風土記稿」によれば坂石町分の鎮守で、現在も社務所兼用の集会所が路地の反対側に所在。こちらの神社には「りゅうがい山」「岡部屋敷」などの探訪の際に幾度となくお世話になったことから、その都度お賽銭を投じさせていただいた次第。
 なお、右手に所在する祠を伴う大岩は「同稿」にもその様子について「社前に高さ1丈5、6尺(約5m弱)の大石あり」と記述されていますので、当時においても特筆すべき存在であった模様です。    画像クリックで大岩へ
凸2 中屋敷 (2007/01/22 撮影)
 中屋敷と呼ばれる個所は現在は石垣で区画された畑となっておりました。「埼玉の中世城館跡」によれば、昭和50年頃まで「岡部姓」の方が居住され代々名主を務めていたとのことです。「りゅうがい山」北側中腹に所在する「岡部屋敷」の北東側約200mほどの地点に相当します。
交通案内

・白髭神社の南側で西武線南側の平坦地
いつもガイド の案内図です 地図サイトいつもガイド 

凸地誌類・史書・古文書などの記述
■新編武蔵風土記稿
 秩父郡南村の項に、「りうがい山 村の南にあり 土人岡部六弥太忠澄が城跡なりと云 ...登ること十町ばかり 頂上平坦五六十坪 松杉及び雑木生茂れり 堀石垣等の形僅存せり 是より東の方谷を阻て 物見山と云える處あり 北の方へ下る事五六町ばかりの所に愛宕社の小祠あり(「岡部屋敷」の個所か) 其下に四五百歩の平地あり是を中屋敷と云」と記されています。また同村の旧家として「里正藤兵衛は..岡部六弥太忠澄が老臣四姓の内にて南を氏とし、その先某南村を草創せしと云..」との家伝を記しています。この「中屋敷」がまさに岡部屋敷の北麓に所在する当地であるともの推定されます。
 ただし、りゅうがい山中腹の大規模な平坦地である「岡部屋敷」について具体的な記述が見えないことが些か気がかりではあります。
■武蔵志
 周辺地域を含めて欠落しているためこの、中屋敷と伝わる場所について具体的な記述はありません。

凸主な参考資料
「埼玉の中世城館跡」(1988/埼玉県教育委員会)・「関東地方の中世城館」2埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)・「埼玉県史 別編4年表・系図」(1991/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣)・「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)・「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など
「飯能市史 通史編」(1988年/飯能市発行)・「飯能市史 資料編 地名・姓氏」(1986年/飯能市)
「飯能市史 資料編 文化財」(1976年/飯能市) 

・2007/05/12 HPアップ
・2007/05/18 記述追加
・2007/05/19 記述追加

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