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2007/03/31のブログ 2005/12/24の日記 大河原城 根古屋城 | ||
おすすめ評価 |
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埼玉県飯能市小瀬戸 | |
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主郭、堀切、腰郭?、竪堀? | |
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なし | |
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2005/12/24、2007/03/31 |
それぞれ東西方向に竪堀が続いているようにも見えなくもないのですが.. ( 2007/03/31 曇天 撮影 ) |
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以下の画像は2005/12/24に訪れた時のものです
以下の画像は2007/03/31に訪れた時のものです
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・大河原城から県道70号線を西に2kmほど進んだ飯能市立第2小学校の北側の裏山で比高差50mほど。 |
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凸地誌類・史書・古文書などの記述
■新編武蔵風土記稿 小瀬戸村の項に「屋敷跡 一段三畝、往昔岡部六弥太忠澄の後胤である岡部小右衛門が此所に居住したが、徳側家光の御代に江戸に屋敷を移した。すなわち今の岡部内期の先祖である..屋敷跡にはその家臣町田市右衛門というものを置いた。同郡赤澤村の名主弥五郎が岡部氏を名乗っている..」との記述があります。 しかし、実に不思議なことにその裏山の比高差50m足らずの小瀬戸城跡については、「古城跡 堀跡残れり」などとの記述を全く見ることができません。このことは当時において全くその存在が忘れられていたのか、敢えて記すほどの必要性を認めなかったのか、あるいは麓の屋敷跡の存在を記すことで恐らく戦国時代までは半ば麓の居館と不可分一体となっていたと推定される根古屋方式の小規模な山城の痕跡をも当然の如く含んでいたのか、いずれにしても今となってはその真相を明らかにすることは難しいようです。 ■武蔵志 同村名のみの記述で具体的内容を伴いません。 |
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凸主な参考資料
「埼玉の中世城館跡」(1988/埼玉県教育委員会)・「関東地方の中世城館」2埼玉・千葉」(2000/東洋書林) 「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)・「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣) 「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)・「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店) 「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など 「飯能の指定文化財」(1991年/飯能市教育委員会) 「飯能市史 通史編」(1988年/飯能市発行)・「飯能市史 資料編 地名・姓氏」(1986年/飯能市) 「飯能市史 資料編 文化財」(1976年/飯能市)・「名栗村史」(1960/名栗村刊行) ・2006/01/03 HPアップ |
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