( 2006/07/31)
凸久しぶりに説明板も所在、石碑所在、堀跡?も所在
城趾近くのセブンイレブンで「濃い目の伊右衛門500mlとツマミ」を購入。駐車させていただいたコンビニの直ぐ隣の場所には「江ヶ崎城」の看板と立派な石碑も所在。埼玉県知事に就任する以前の参議院議長だった某政治家の揮毫によるもののようでした。しかしその上半分には蔦がかなり頑固に絡んでおり、流石にこれでは一見何の石碑か全く分からない状態。人目を忍んでそっと石碑に絡み付いている数本の蔦を取り除かせていただくことに。
さて、遺構時代は殆ど消滅しているとされているものの、城趾全体の様子を把握するために城跡の外郭部のそのまた外側の道を時計回りに一周して、東側の水田地帯の低地部分からその遠景を撮影したものが下の画像です。それでも、北側の造園業を営んでいると思われるお宅の道路沿いに、見方によっては土塁跡のようにも見えなくもない地形が所在。流石に撮影するのは憚られましたが、脇の方から拝見すると竹林の中に平行して「埼玉の中世城館跡」に掲載されているものと同一のものと推定される堀跡状の溝のような地形も見え隠れしています。外郭部分の遺構にしてはやや北側に寄りすぎているので、近世の名主階層の屋敷の構堀のように年代的には新しいものである可能性もあるような印象もありました。
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東側から眺めた江ヶ崎城の遠景
( 2006/07/31 撮影 ) |
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■1■コンビニ近くの城址の石碑
これでもかなり蔓延っていた蔦を整理させていただいたのですが、それなりに風情が無いわけでもないようにもに思えました。従って石碑の管理者と推定される蓮田市の教育委員会の承諾なしに、勝手に蔓延って石碑を覆い隠している蔦を引き剥がす行為そのものは、厳密に考えれば「器物損壊」の疑いが全く無いわけでもなく、「城跡」の文字が判読できる程度に止めさせていただきました。
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■2■一見土塁跡のようにも見えなくも無い地形も残存
歴史的な経緯などは不明ですが、この右奥に道路に沿って竹林の中に明らかに延長約20m、深さ1m前後の堀跡らしき遺構が存在しています。しかし、完全にこちらのお宅の庭先の一部のため公道上からの「土塁風」の画像で代用することとしました。
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■3■内郭部分は普通の住宅地
城跡が高度成長期に建設された住宅の分譲地となってしまった事例で酷似しているのが 桶川市の「加納城」ですが、未だあちらの方が辛うじてもう少し明確な堀跡と土塁が遺されているという印象でした。しかし、その分東側の水田の所在する低地部分からの光景は、中世城館跡としての名残りを十分に感じさせてくれました。
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■4■キバナコスモス
コスモスの時期には些か早かったようですが、こ早咲きの「キバナコスモス」は八重咲の品種で花径は約6センチほどですが、群を抜いて目立つ存在でオレンジ色の花びらを各所に開花させていました。
本来はメキシコ原産のキク科コスモス属で花期は6月から9月頃とされています。別名を「キバナアキザクラ」とも。
江ヶ崎城東側の休耕田に大量に群生していました。
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・県道154号線の北側の瑞穂団地が内郭跡で、県道沿いのセブンイレブンが目印。
・いつもガイド の案内図です
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凸地誌類・史書・古文書などの記述状況
■新編武蔵風土記稿
埼玉郡江ヶ崎村の小名堀ノ内の項に僅かに、 「土居及堀の蹟のこれり、城蹟なりと傳り」と記されているのみで、伝承を含むその詳細な歴史的経緯などについては具体的な記述が見られません。
■武蔵志
埼玉郡南部の記述が欠落しています。
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凸主な参考資料
「埼玉の中世城館跡」(1988/埼玉県教育委員会)・「関東地方の中世城館」2埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)・「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)・「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など
「蓮田市史 通史編T」(2002/蓮田市)・「蓮田市史 考古資料・古代中世編」(1999/蓮田市)
・2006/09/02 HPアップ
・2006/09/03 誤字訂正、一部記述追加。
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