( 2006/07/31)
凸中世城館跡の佇まいが残された地形
蓮田市立黒浜小学校の南側の谷津を挟んだ対岸に所在するとされている城館跡。近くのファミリーマートに駐車して、「午後の紅茶レモンティー500ml」と「ジューシーハムサンド」を購入。 徒歩にて黒浜小学校の南側の細い公道を西へと向かい、途中で舗装道路と別れを告げて照りつける日差しの中を城館跡の北側に続く水田のある低地へ向かう細道をすすみます。
すると目の前にいかにもそれらしい比高差にして約5mほどの差鬱蒼とした平地林の台地が出現し、いかにも中世城館跡のイメージに合致した光景が展開。さらに堀跡かどうかは現状を観察した限りでは全く定かではありませんが、規模の大きな堀跡とも思えるような水路跡も台地の右手に現存していました。これで土塁跡の痕跡でも確認できれば喜び倍増なのですが、残念ながらそれほどものごとは都合よく展開するには至らず、土塁の存在を確認するには至りませんでした。
この時点で早くも確実に夏バテ気味となり、次の目標へと移動すべく僅か600mほどの道程を息遣いは「はあはあ」足元は「よたよた」しながら戻ることに。台地手前には近年のものと思われる盛り土が気になるものの、周辺の低湿地の状況などからいかにも中世初期頃の館跡の立地条件には相応しい環境を備えているというような印象が滲み出ていました。何れ季節が変わったときには再訪してみるだけの価値はありそうです。
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中世城館跡の存在を想起させる「馬場堀の内」遠景
( 2006/07/31 撮影 晴れ) |
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■1■堀跡か水路跡か
下記の「3」の写真の右手の方向に広がる深さ約1m、幅数mに及ぶ帯状の低地が少なくとも延長にして40mほど続いています。「3」の部分の用水路よりもよりも、さらに自然地形を利用したと思われる堀跡らしく見える地形す。
しかし、以前は水田で地盤が軟弱そうな場所のため地面に減り込んだり水路に落ちる恐れもあるようで、いたずらにこの時期に踏み込むのは無謀かと思い安全な所から眺めたに留まりました。
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■2■ただの里道にしては...
下記の「3」の写真の道を南へ進むと、このちょっとした切通のような山道に出くわします。長期にわたる雨水の流路や自然に踏み固められたものか、それとも人工的に掘り込んだものかとても気になるやや不自然な地形です。深さは約1mから1.5mほど幅は上面で2間ほどの広さ。ついでにいえば両側には土塁のように見えなくもない僅かに人為的に掘り上げられたような形跡とも思われる部分が....いずれにしても判断がつきかねる地形でした。
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■3■深い用水路も現存
土橋状の細道の両側の草叢の中には深さ深さ1m、幅1.5mほどの用水路が隠れたような状態となっています。余り通行する人は無いとは思いますが、特に夜間は真っ暗となり間違いなく転落することは必至な「要害」が形成。自然の水路を利用したかつての堀跡のようにも見えるのですが。
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■4■これも「槿」
蕾に見覚えがあったものの、まさかこれも「槿」(ムクゲ)の一種とは思わず、時々お世話になっているネットの掲示板にでご教示いただきました。
改良された園芸品種のようで葉のつき方や形もやや異なり樹高も1mほどと低いので、自分の乏しい知識では最後まで気付かず...中世城館めぐりも、植物も中途半端で弱ったものです。
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・県道154号線の西、蓮田市立黒浜小学校の南側の台地上の平地林付近
・いつもガイド の案内図です
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凸地誌類・史書・古文書などの記述状況
■新編武蔵風土記稿
埼玉郡黒浜村の小名として 「馬場」「堀ノ内」などの中世城館と関わりの想定される地名が記されています。
■武蔵志
埼玉郡南部地域については記載自体が欠落しています。
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凸主な参考資料
「埼玉の中世城館跡」(1988/埼玉県教育委員会)・「関東地方の中世城館」2埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣)・「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など
「蓮田市史 通史編T」(2002/蓮田市)・「蓮田市史 考古資料・古代中世編」(1999/蓮田市)
・2006/08/26 HPアップ
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