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関連ページへのリンク  2006/07/31のブログ 伊奈城 閏戸堀ノ内 閏戸足利遺跡
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態1 探し易さ5 交通利便4 体力消耗5 歴史経緯1 印象3 総合22
所在地
埼玉県蓮田市閏戸吹上
歴史と沿革

詳細不詳の館跡
 資料不足と勉強不足のためその時代背景・歴史的経緯は不明ですが、施設建設による発掘調査により井戸跡、堀跡などの検出により中世城館跡の可能性があるとされているようです。周辺に所在する「閏戸堀ノ内」「閏戸足利遺跡」と同様に古河公方、岩付太田氏の勢力範囲であることから、戦国時代にはその支配下にあった在地領主の館跡であったのかもしれません。
■追記(2006/12/16)
 なお「閏戸吹上遺跡」(1993/蓮田市教育委員会)では、概ね16世紀頃の館跡と推定し、出土品の類似性から騎西城との関係を示唆しています。

確認できる遺構
なし
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

蓮田台地の西端付近
 「閏戸堀ノ内」「閏戸足利遺跡」などととも近接する東北新幹線の高架橋の西側の沿線地域で、見沼代用水や綾瀬川の低地をのぞむ蓮田台地の西端に所在しています。現在の台地と水田面の所在する低地までは緩やかな斜面となっていますが、それでも目測で最大5mほどの比高差がありそうです。
 発掘調査により薬研堀状の構堀が確認されています。

文化財指定
訪城年月日
2006/07/31、2006/11/07
訪城の記録 記念撮影

( 2006/07/31) --ここの部分は勘違いした場所です--
水田の景色が絶景
 蓮田市のHPの文化財に関する資料などによれば、近年の老人介護保健施設建設に伴い堀跡や井戸跡などが発掘により確認された中世城館跡とのことのようで、「埼玉の中世城館跡」などにも掲載されていない遺構です。 この場所も「閏戸堀ノ内」などと同様に東北新幹線の高架橋から僅か150メートルも離れていない沿線地域で、見沼代用水が直ぐ西側を流れる綾瀬川の低地をのぞむ台地の西端に所在しています。こうした遺構はこの地域にはまだまだ数多く潜在しているのかもしれませんが、遺憾ながら不勉強のためこれ以上の詳細な情報は入手していません。
 施設の南側に続く訪城アルバム「2」の平地林の中が気になり、至る所に張り巡らされた蜘蛛の巣をかき分けて何らかの人工的な地形の有無を確認しようとしたものの、土砂を採掘したような形跡がある窪地のほかには特にこれといった成果は得られず仕舞いに訪城終了。 近世の見沼代用水の開削による地形の改変、近年の側道の整備などの諸要素があるため遺構としての要素は地面の下以外には存在しない模様です。また、この付近は古墳時代中期の住居跡も検出された複合遺跡らしく、下記の写真のように西側に広がる低地の見晴らしは頗るよろしいものがあります。東北新幹線の列車が時折猛スピードで走り去っていく光景と実に対照的でのどかな田園風景が展開していたのでありました。


閏戸吹上遺跡からの眺め
「閏戸吹上遺跡」から水田地帯の低地を眺望
( 2006/07/31 撮影 晴れ)
------------------------------     ここまでの部分は勘違いした場所です    -----------------------

( 2006/11/07)
完全なる勘違いにて
 以前の訪城にて、明らかに所在地を勘違いしていたことに気づき再訪。
東北新幹線の高架橋の西側が正解で以前のときは東側と勝手に目星をつけていたことが原因。 「電話にて所在地を確認していた」し、「吹上橋」などという名称も所在」し、目印となる老人介護施設も所在していた」ので...くどくど...  などと往生際の悪い言い訳を自分自身に語りかける始末にて(大汗)
 さて、正しい所在地には、老人介護施設と並んで由緒の有りそうな風格のある門構えの旧家が所在。 しかし、発掘により中世の館跡と見られる堀跡が検出されている程度で地表上から判断できるような遺構は殆んど存在していない模様。 見沼代用水の土木事業や耕地の整理により、当時の地形は大きく改変されていることは疑いようの無い事実かと。
 ところで付近の沼地では平日にもかかわらず、のんびりと釣り糸をたれている人々が十数人ほど。 一体どういう人たちなのだろうなどと詮索する以前に、当方も殆んど遺構のなさそうな無名の中世城館跡をうろついている暇人なのであります。


閏戸吹上遺跡付近の沼池 画像クリックで拡大します
 正しい「閏戸吹上遺跡」付近の沼池
( 2006/11/07 撮影 晴れ)

訪城アルバム
■1■蓮田ナーシングホーム付近の台地
 この施設の建設に伴う発掘調査により、中世城館跡の存在が明らかとなったようです。現在水田地帯からは緩やかな傾斜のある蓮田台地の中央付近の西端に所在しています。施設では時節柄夏祭りの納涼祭の提灯などが準備され、時折吹き渡る風に揺らいでいました。
 しかし、300mも離れていない新幹線の西側にも同種の施設が所在。そちらの方も気になりましたが、夏バテしないうちに次の目的に経速やかな移動することに。 --ここの部分は勘違いした場所です--
■2■曰くありげな見沼代用水沿いの平地林
 近年の側道整備のためでしょうか、平地林の側道沿いは目測で高さ2mほどの崖状の地形が形成されていました。しかし、本来は手前左側のややなだらかな斜面ではなかったのかと思われます。
 
--ここの部分は勘違いした場所です--
--------------------  ここから正しい場所です --------------------
■3■新幹線の高架橋の西側が正しい所在地
 距離にすれば僅かに300mほどの誤差にて...と、未だ己の間違いを素直に認めない頑固な性格。
■4■
 特別養護老人ホーム「吾亦紅」の周辺が正しい所在地にて。平地林の印象としては誤認した個所の方が如何にもそれらしいなどと、この期に及んで未だ負け惜しみを...
■5■「土塁発見!」
 「閏戸運動場」の脇に何やら土塁状の地面の盛り上がりが...って、勿論冗談にて候。
冷静かつ常識的に考えれば、造成の際の残土のようなものかと推察いたします。
交通案内

・国道122号線バイパスと東北新幹線が交差する地点の南西側300m付近、新幹線西側の台地辺縁部周辺
いつもガイド の案内図です 間違えた場所間違えた場所 地図サイトいつもガイド 正しい所在地正しい所在地 地図サイトいつもガイド 

凸地誌類・史書・古文書などの記述状況
■新編武蔵風土記稿
 「閏戸堀の内」に関連する記述はありますが、直接この遺跡に関する記述はありません。従って幕末の時点において、既に地表上には遺構を見出すことができなかったという可能性も推定されます。

■武蔵志
 閏戸村自体の記述が欠落しています。

凸主な参考資料
「埼玉の中世城館跡」(1988/埼玉県教育委員会)・「関東地方の中世城館」2埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣)・「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など
「蓮田市史 通史編T」(2002/蓮田市)・「蓮田市史 考古資料・古代中世編」(1999/蓮田市)
「閏戸吹上遺跡」(1993/蓮田市教育委員会)
 

・2006/08/24 HPアップ
・2006/12/16 所在地誤認のため追加訂正。(ただし、誤認した部分もそのまま掲載)

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