アクセスありがとうございます。 最初はホームページづくりの日記のようなもので始めたのですが。 時々ネコも出てきます。 もちろん、城跡めぐりも出てきます。 早い話、身辺雑記のようなものです....はい。
 
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・2005年3月28    小雨に煙る花園城と花園御嶽城
           

(まえがき)
 前日から入念に資料に目を通し、道路地図も飽きるぐらいに何度も確認し最低3か所程度は訪城しようと企んでいたのですが、残念ながら天気予報を見る限り降水確率は70%前後となっていました。休みの日にもかかわらず珍しく7時前に目を覚まし、新聞を取りに外へと出ると、予報どおり小雨がパラパラ。ひどく濡れるというほどではありませんでしたが、市町村別の予報を幾つか確認してもやはり降水確率は70%前後。しかし、念のため東京電力の雨量観測のページを確認すると、花園城のある寄居周辺は少なくとも午前中ぐらいは纏まった雨はなさそうな期待が持てることが分かり、とっとと訪城の支度を。前日に手配して置けばよかったのですが、かなりの急斜面がありそうなので出掛けに近所のホームセンターで安全作業用の手袋を1980円で購入。これがあとで非常に役立ったのでありました。
 さて、お彼岸の渋滞もなく目的地の花園城の麓に着いたのは、途中コンビニで買い物をしたにもかかわらず予想通りの午前10時30分。ここまで全て順調。経路の関係で途中鉢形城を縦断する県道を通過すると「北条祭」の関係でしょうか、スポンサー名の入った雪洞が県道沿いにプラスチック製のさくらの枝と共に立てられていました。鉢形城はと見ると東の端にある笹曲輪の辺りも大分整備されたようで、城址公園化も着々と進行しているようです。また、県道から馬出の辺りをふと見上げたら黄色いノボリバタが翩翻と翻っていました。
 荒川にかかる鉄橋の「おりはら橋」を渡って国道140号線を横断すると目の前に花園城のあるはずの山が、存在感を漂わせて小雨に煙っていました。秩父鉄道の踏切を渡り線路沿いに行き止まりの道路の突き当たりの左端に車を止め登り口を物色。この辺りからもいけそうな感じですが、確実に諏訪神社の裏側辺りから頂上を目指すことに。

■花園城
 諏訪神社の境内は、南側に少林寺川の小河川を配して更に二段構えの平場が形成されており、もう少し広ければ居館などの根古谷などの存在を想定できそうな地形となっています。神社の向かって右手にある稲荷神社の祠の脇から山腹を左斜めに登っていく道が見えますので、ここから花園城へ向かいました。10分も進まない内に樹木枝と藪のために視界がさえぎられ、南側斜面に相当数存在すると思われる大小の腰郭はその殆どを確認することができません。更に西側に向かい登って行くとたぶん最大規模の竪堀と思われる遺構に直角にぶつかりました。道はそのまま竪堀を横断しているようですが、その竪堀の少し手前を右に登っていく踏み跡がありましたので、こちら側から二の郭南側の石積目立つ腰郭の上部に到達。
 そのあと稜線を目指して二の郭に這い上がり、とりあえず現在位置を確認するために土橋状の狭い道を通り本郭へ進みましたが、やはり花園城のメインは何といってもこの堀切でしょう。荒削りの岩肌が露出する堀切にひたすら感動しながら、本郭の西側の石碑の所で記念撮影を。西側にある本郭の位置をつかめたので、県の埋文センターで作成した最新の縄張り図のコピーを参照しながら、以下二の郭、三の郭、東郭と堀切を横断し東側の城跡の縄張り先端部の堀切を確認してひと段落。
 しかしそのあと性懲りもなくまた本郭まで戻りよりによってもっとも急斜面の西側斜面を駆け下りました。この時に足備えのトレッキングシューズと出掛けに近くのホームセンターで購入した作業用の安全手袋が大いに役立つことになりました。小雨の降りしきる状態ですので、滑らないように木の枝に掴まりながら駆け下りるのですが、腰郭群を過ぎた辺りから道というより只の急斜面となり、止まるにとまれずスピードは上がる一方で県道予定地の平坦地まで転がるように勝手に足が進んでいきました。ちなみに参考に持参した縄張り図のコピーはこの県道建設に伴う発掘調査の時のもののようです。
 縄張り図から周辺の地形を含めて比高差80m程度と分かりきっているからできる芸当で、地形不明の上に比高差が300m以上あったらかなり危険です。さてここで眼前に少林寺川の小さな流れがありましたが、渇水期で水深も殆どなく苔むした石で滑らないように注意しながら、前に通った方と同様に背丈ほどの高さの土手を這い上がって公道へと戻り昼食に向かいました。といっても車の中で途中ローソンで購入したサンドイッチと自宅から持参した特売59円の「おーいお茶」で済ましただけですけど。

■花園御嶽城
 花園城の北西の少林寺の裏山ですが、尾根筋で繋がってはいませんので一度麓まで下山しますが、車で少林寺の駐車場まで行けるというお気楽なコースです。花園御嶽城の方が花園城よりも40メートルほど高いのですが、車で途中までいけますし、五百羅漢の石像に挨拶してるうちに円良田湖へ抜ける峠に到着しますので20分程度の登りですがあっという間の時間です。
 この峠の所から一旦西側に進み円良田湖への道はそのまま北へ向かいますが、花園御嶽城へは真直ぐ西側の山頂を目指します。一見遠くに見えるようですが、この場所からの比高差は40メートルぐらいですので10分足らずで東側の二の郭に到着します。途中の道は思ったよりも踏み跡もしっかりとしており、夏場でもなければ道に迷うこともないでしょう。また途中に山頂の本郭に向かって左側の山腹に人工的な細い帯郭状の多数の段築が見えますが、この場所からの写真撮影は単なる藪の写真になりますのでここは自重して、二の郭のところに別の所から上ってくる神社の参道を少し下った辺りで、左側の山腹を観察すると石積みのある段築がはっきりと見えます。
 本郭へは神社の石段を登っていきますが、途中の眷属の狐の表情が大変印象的です。本郭のある山頂は御嶽山信仰石碑が所狭しと並んでいます。石碑自体の年代は明治期から昭和30年代のもので比較的新しいのですが、全体として苔むしたように見えることもあり、入口の所の二体の眷属の狐の表情と相俟ってなかなか凄みのある気配が辺りを漂っていました。なお、本郭の北側と西側には腰郭や竪堀、構堀などが思いのほかよく遺されていることに間道を覚えつつ、そのままもと来た道を引き返しました。

(おしまい)
 一般に山城だけでなく山道の登りに要する時間は比高差100mにつき20分前後だと思います。また下りの場合には勾配の程度にもよりますがだいたいその六割前後と考えれば良さそうです。ただ登りの場合で比高差が300m以上の場合には、体力の消耗を考えると少なくとも10分程度の小休止が必要です。この時は大して影響を感じませんでしたが、この花園城の12分間の下りがかなり後になってからじわじわと影響。花園御嶽城からの帰路の五百羅漢の下り坂の階段状の山道で明らかに膝に違和感と疲労を感じ、雨も予想通り少し強くなってきましたので、時間に未だ余裕はあるものの三ヶ所目の訪城を断念することに。やはり体重の相当な減量が必要なようです。



花園城の堀切



・2005年3月27日    蕎麦打ち体験教室
           

 仕事先で本日は2回目の蕎麦打ち体験教室を開催。参加者の年代はどう見ても自分より年下の方は1名ほど。多分平均年齢にして60歳台の半ばぐらいの模様。参加料実費試食込みでお一人様500円という格安料金。参加者の総数は1回につき12人なので合計6000円で運営できるはずも無く、ご指導いただいた団体には公費の補填でで赤字の出ない程度の収支バランスに。午前10時から始めて、蕎麦打ちの実演約20分、水まわしから蕎麦切りまでの一連の実技指導に手取り足取りの80分、道具片づけを行ってから、このあと薪で沸かした大釜で茹でて試食に20分。
 全員無事に麺の太さにばらつきはあったものの、それぞれ自分の打った蕎麦を試食し3人前分のお土産を持ち帰り完了しめでたしめでたし。民家前のこぶしと木蓮が満開寸前になり、春到来。





・2005年3月25日    とうとうアクセスが1万件に
           

 昨年の秋ごろの状況では、桜の花が咲く前にアクセス件数が1万件に到達するとは思いもよりませんでした。重複カウントを制御しトップ頁および城跡めぐりのコンテンツのみの集計ですので、そろそろネット社会におけるそれなりの責任を感じていかなくてはなりません。簡易アクセス解析によれば、今年の2月の7日以来約1800人の方にご覧いただき、そのうち約700人の方が2回以上ご覧いただいているようですので、これはもうひたすら感謝感激で平身低頭しなくてはなりません。こんな間違いだらけのマニアックでマイナーな頁をご覧頂き本当にありがとうございます。
 一応100ヶ所を訪城してHPに掲載することを目標としていましたので、これで近々当面の目標が概ね達成できそうです。ちょうど季節も変わり目に入りますので、訪城の計画なども新たに練り直して、少しは世の中の役に立ちそうなコンテンツにしていくように無い知恵を絞っていきたいと考えています(^^;




・2005年3月21日    大築城制覇の勢いでほか4ヶ所まとめて訪城
           

(導入部)
 毎年3月から4月にかけてこの辺りの地域は下記の写真のような畑の砂埃に悩まされます。この辺りは以前からこうした状況だったかというと必ずしもそうではなく、状態が酷くなってきたのはここ30年位前からの傾向です。一方同じ川越市内でも田の多い地域や歴史の古い元来肥沃な坂戸市、毛呂山町、越生町などの畑の地域ではこれほどの砂埃は立っていませんでした。科学的かつ詳細な資料が手元に無いので断定的なことはいえませんが、17世紀の後半から18世紀にかけて徳川幕府の主導により新田開拓された畑作地域に共通する現象のようです。
 分かりやすい共通する特徴の一つとして、こうした畑ではミミズ類が殆どいません。つまり、ミミズの餌となるようなバクテリアなどの微生物類も存在せず、雨が降っても保水力を欠き直ぐに乾いてしまいます。近郊農業地帯として野菜の効率的な生産に化学肥料は現実的に欠かすことができず、そのことは300年以上かかつて築き上げてきた土地本来の肥沃性を減じさせていったのではないかと考えられます。
 また相続税や固定資産税などの土地税制の問題もあり、雑草などを生やしておくことができないこともあり、除草剤を散布した結果がこの通りです。風で吹き飛ばされた砂状の土が如何に無機質かということは、その土で植物を育ててみれば分かりますが、適応できるのはサボテンなどの多肉質の植物のみでした。
 以前にはこの時期青々とした麦畑が一面に広がり麦の畝の間に人参などの野菜が植えられていましたので、多少の風が吹いたとしても砂塵を巻き上げるようなことにはなりませんでした。昭和30年代の後半当時の家屋ははアルミサッシュなどという気密性の高い建具などは無く、窓などは木製のフレームに薄いガラスがはめ込まれた簡単なつくりでした。それでも家の中がざらざらになるというようなことは無く、窓枠とか敷居の部分に砂埃が目立つ程度でした。それが今や気密性の高いアルミサッシュでも板の間などは床中がざらざら、洗濯物は二度洗いといった状況です。...(^^;

■大築城
 一昨日は渋滞を避けるために遅く出発したのが裏目に出て、登口に到着するまで何と2時間30分もかかってしまい、焦って訪城したのが全ての失敗の元凶ということです。
 従って今回は、前日に国道254線と川越市内を通らない複数の迂回ルートを徹底的に研究し、午前8時30分には自宅を出発したので、全く渋滞に陥ることも無く信号待ちも2信号が一回だけという次第で何と1時間20分少々所要時間により目的地に到着しました。林道は車のすれ違いが難しいほどの狭い部分もありますが、谷は数メートルとそれほど深くは無いので車ごと転落しても一命は取り留めるかも知れませんが、途中から舗装は無く砂利道となりますのでくれぐれも安全運転を心がけましょう。
 谷が大きく開け上の尾根筋が見通すことのできる場所から林道は大きく左側に曲がり尾根筋を斜めに登っていきます。ここで、道路わきの山側に車を止めていざ訪城へ。
 大築城への道はここから先ほどまで上ってきた林道と別れて、右側の木橋を渡って山中の急登に入りますが、20分前後で思いのほかあっけなく猿岩峠に到着します。山道を歩きなれていない方には少しきついかもしれませんが、時間をかけてゆっくりと登れば必ず到着します。
 猿岩峠から5分少々でこれもあっという間に「モロドノ郭」に到着します。ここから大築城への道は、今度は北に向かい、少し東にそれて今度は北側に、そしてさらに西へと、方向がくるくると変わります。従って縄張り図を持参していても、方向感覚が少しおかしくなるぐらいによく考えられた縄張り配置となっていますので少し注意が必要です。モロドノ郭から200mも進むと左側に本郭への近道がありますのでこれをやや息を切らしながら登ると小口郭に到着します。本郭へは西側、左手に進めば約1分で到着します。という訳で、道さえ間違えなければ楽しいハイキングコースなのでありました。
■高谷砦
 実は以前に登口が分からず急斜面に挑戦したものの全く登れず、雨も降りだしてしまい撤退を余儀なくされた場所です。今回は事前のリサーチを徹底してあったので、登口の民家の番犬に吠え立てられながらも無事訪城達成。しかし、ここで倒木を跨いだときに右ひざを倒木の尖った枝先と衝突させてしまった。幸い痣程度の状態で痛みも殆ど無かったので、このあとも訪城を継続することに。この場所は東西2か所の郭から構成されていますが、3月の彼岸というこの時期にもかかわらず眺望は全くありません。また郭上も濃密に木が生い茂り動きがとりにくい状態です。目立つ遺構としては、東西の郭の間の堀切状の遺構とそれに続く西郭の横堀風の大きな窪みがあります。
■水房館
 関越の下を潜ると左側に地区の集会所の建物が見えます。この場所に車を止めさせていただいて、その西側にある緩やかな坂道を登りコンクリート製の階段のある場所から館跡へと進みます。郭跡らしき平場を確認できる以外には、これといった遺構は見当たりません。また、現地に何の説明表示も無いので、本当にこの場所でよいのかどうか不安が残り何度も資料で確かめたくらいです。泉福寺の遺構のついでに立寄る分には良いのですが、態々これだけのために出向くことをお奨めするのは些か気が引けます。
■泉福寺館
 真言宗泉福寺の境内裏の竹林付近に土塁・堀切が残っていますが、住職の方も常住されていないように見受けられ、竹林の中は晴れた日でも鬱蒼として暗く不気味な雰囲気を漂わせています。泉福寺自体が比高数mの低い舌状台地の先端に位置しています。
■三門館
 泉福寺の東側の丘陵に鍵の手に刻まれた土塁・空堀跡がとてもユニークな遺構ですが、泉福寺同様現地には何の説明施設も建てられてはいません。しかし。外形的に見てすぐに分かるような地形ですので迷うことは余り無いでしょう。

(終結部)
 帰路は予想通り東松山の手前から渋滞が始まったので、渋滞個所を迂回して国道254線を川島町まで進みましたが、入間川にかかる落合橋の手前2㎞付近から車列は微動だにしない状態に陥り、1キロほど戻って坂戸市から往路のルートに戻り帰宅。最初から往路と同じルートを取ればよかったのですが、暦どおりの三連休などという休日は十数年ぶりだったもので、まさかこれほど込み合うとは予想しませんでした。しかし、一日で5か所も回れて久しぶりの大収穫。しかし、写真の整理、資料の整理、HPの更新を考えると...地震に見舞われた地域の人たちのことを思えば全く贅沢な悩みで。





・2005年3月19日    大築城の撤退
           

 昨日、埼玉県内の都幾川・越生方面に出かけたのですが、三連休の初日ということもあって完全に道路の渋滞にはまってしまいえらい目にあいました。 あちら方面には墓苑関係も少なくなく、あちこちで線香の香りが漂っていました。 自宅から目的地の越生梅林の先の場所に着くまでなんと2時間30分。(帰路も同様で)
 普通ならば1時間30分もあれば十分なのですが。おまけに目的地の大築城の場所を間違えて。二時間ほど山中を彷徨して、日没の時刻を迎えてあえなく撤退を。
 帰途に城山への分岐表示を見つけ、ちょっと調べたら、単に手前の道を右折すべき所を直進してしまったことが判明。そのため、一つ西側の標高の100m以上高いピークの周辺をうろついていたことも判明。どうも大築城を示す「城山」の指道標が東側を指しているいるのはおかしいとは思ったのですけど。
 しかし、尾根続きの伝承地名「馬場」という平坦地に行けたことと、大築城の西側の尾根筋を詳細に観察できたことは大きな収穫などと戯言を(^^; 大築城の西側は最終的には標高800メートル台の飯盛峠に繋がっています。しかし、自分の間違えた西隣にある標高560メートルのピークと大築城の間の地形はかなり険しく、立木に掴まって登り降りしなければならないということが分かりましたけど。これも収穫などといってみても始まらず、つくづく自分の馬鹿さ加減に呆れました。
 あ、今回は一応念のためトレッキングシューズ、磁石、食料などの軽登山装備はしてしましたが。道を間違えていたことに最後まで気付かなかったのでありました。本日の合計7時間は一体なんだったのだ....(^^;







・2005年3月17日  こぶし、菜の花、やぶつばき
           

 「こぶしの里」のこぶしの開花状況をお知らせできるように仕事先のホームページを変更。しかしどうもいまひとつトップ頁の印象がごたごたとしていて、余りよろしくない感じがありありと。センスが無いのか、テクニックが無いのかといわれれば両方ともありませんが(^^;
 ついでに撮影したのが右の3枚で、菜の花畑は「こぶしの里」の近くの畑の風景。「ヤブツバキ」はこぶしの里に植樹されたもの。肝心の「こぶしの木」は全部で6本ありますが、元来自生していたものは一本だけで、あまり花は咲かないようです。残りの5本は全て公園として整備したときに植樹したもの。現在開花しているのは北寄りの2本だけで、残念ながら南端の1本は樹勢が弱く枯れてしまったかもしれません。今日は気温も余り上昇しなかったこともあり、昨日の状態と余り変化はありません。二、三日晴天で暖かい日が続くと一気に満開になると思われます。






・2005年3月16日    木蓮、コブシそして桜の季節へ
           

 仕事先の庭にあるモクレンとコブシの白い花が咲き始めました。数日前からつぼみが膨らみ始め、まだ数えるほどですが。近くの「こぶしの里」の方も気になって様子を見に行きましたら、こちらの方はすでに一分咲きくらいの状態です。お彼岸を過ぎることには満開となっていると思われます。
 また、通勤の帰りにいつも通る桜並木の方も、蕾はまだまだ固いようですが、全体として枝の辺りが明日いピンク色に見えてしまうのは目の錯覚でしょうか。ここの桜は全部で200本ほどあり植樹してから25年ぐらいになるので、満開の時はかなり見事な光景が広がります。こうして季節は巡り確実に春がやってきました。しかし、あと何回桜を見ることができるのだろうかと思うと、これも冥途の旅の一里塚になるわけですので....未だ10回ぐらいは大丈夫そうな(^^;




・2005年3月14日    谷ツ遺跡、そして青山城へ
           

(前書きと後書き)
 高見城の更新が終了していませんでしたが、予定通り嵐山・小川方面へ。国道254線の入間川に架かる落合橋を渡るぐらいまでは、遠く奥秩父、赤城山、日光方面などの山並みの雪化粧した光景が眼前にパノラマのように広がるというかなりの上天気でした。しかし時間が経過するにつれて、だんだんと雲が広がり、最初の目的地の嵐山町に着いたときは薄曇状態で、青山城に向かうときには完全な曇天となり、雨の心配をしたぐらいでしたが、幸い夕方にはまた天気が回復して晴天が広がってきたという妙な一日でした。
 このため合計3か所を回るつもりが2か所で終了することに。もっとも青山城で足が棒になってしまったことの方が遥かに大きな要因ですが(^^;
 谷ツ遺跡に向かう途中、嵐山町の役場の建物を始めてこの目で見ましたが、円筒形のドームが付随したりしてとても役場とは思えないデザインで....。ちなみに役場の建物は杉山城と同じ丘陵上の南東側に所在しています。杉山城方面に行かれる方はお時間があればご覧いただくとよいかもしれません。少なくとも話のネタになります。
■谷ツ遺跡
 数年ほど前、関越自動車道の嵐山・小川ICの新設工事に伴い県の埋蔵文化財調査事業団により平安時代の古代集落跡の発掘調査が行われた。この際に上幅2m、深さ1.5mから2mの50mにも及ぶ薬研堀の堀切が検出され、これに伴い「中世北武蔵の城」の著者である梅沢氏らが調査した所、丘陵の先端部分に人為的な造作が加えられたと考えられるいくつかの遺構が確認されたということです。
 この辺りの一帯はあちこちに丘陵が展開していて、ゴルフ場などの建設ラッシュ以前にはかなりの遺構が残されていたのではないかと思われる地域です。堀切の確認された部分は平安時代の集落跡と共にICや側道の工事によりきれいさっぱりと消滅していますが、丘陵先端部分の中の遺構は現在も残されていました。
 その丘陵自体は標高78.3m、比高20mぐらいのこの辺りではどこにでもありそうな地形であり、この場所に城郭遺構があるのなら、あれも怪しい、こちらも怪しいとキリがなくなりそうな地域ではあります。所有者の方と思われる民家が丘陵の直下にあるので、拝見するのが気が引けましたがせっかくここまで来たもので、遠景の撮影をしてから山林の中に突入させてもらいました。現在遺構として外形的に確認できるものは西側の高さ60cmほどの土塁状の高まりと東西の平場、南東側の二段の切岸ぐらいです。このうち上段の切岸は大変に分かりやすい状態で遺されていました。
 しかし、この山林は大部分が杉林で帰りにズボンのすそが大量の花粉で黄土色に変わっていることに気がつきました。3年前に花粉症を発症してから例年かなり重症でしたが、この分ではこうした逆療法のおかげで、目とのどが少し痛い程度で何とか乗り越えられそうです(^^)

■青山城
 高見城の等高線の状態を見ただけで、気が滅入っていたぐらいですから、青山城はかなり遠い存在でした。予想通り仙元山への分岐のある峠まで約30分、そこから尾根筋を右に折れて青山城へは数分で到着します。ただ下の県道から見上げるともしかして、あれだよな、あれしかないよな、ずいぶんと遠く標高差があるように見えますが、標高は265m、比高は180mしかありません。いや、180mもあるというべきか。仙元山の登山口から薄暗い杉とヒノキの植林された林道に入り、小さい沢に架かる木橋を越えて尾根筋に取り付いて、次に谷の右岸沿いの道を上り詰めて、沢の源頭部を横断して暫く行くと冬枯れの木々の間に青山城の山頂が見えてきます。文字で書くと簡単ですけど、歩いてみるとこれがなかなか(^^; 
 青山城の登口としては4ヶ所あり、小川町の駅から徒歩の場合は仙元山経由というルートが標準。もっとも登りの距離が短そうなのが、割谷からのコース。そしてもっとも疲れるのが、小倉城からの縦走コースで、これは城跡めぐりというよりももう完全に低山ハイキングです。
 自分の登ったコースは西側の八高線の走っている小川町から玉川村へ向かう県道171号線からのコースです。難点は尾根筋に出るまで「至る青山城」などの標識が無く、林道の枝道もあったりして地理不案内の場合はやや不安になることぐらいでしょうか。なお、国土地理院のサイトにあるこのルートの林道の表示は途中から別の新しい道があるので、参考にはなりますがあまり当てにはなりません。多分国土地理院の地図に描かれている道はデジカメでも撮影しておいた分岐を直進する道だと思います。ただし峠上には西側からの林道はほかには見当たりませんので、途中で消滅している可能性があります....なんだか、ハイキングコースのガイドのような記述になってきてしまったようです。
 いずれにしても幾つかの分岐がありますが尾根筋に沿って高度を稼いでいけばやがて大きな谷筋の右岸に出るので、そこからは右手に高見城が冬枯れの木々の間から超え隠れする所までくればもう安心です。仙元山との間は峠のような西側が樹木伐採により見通しの良い場所です。ただここから、高見城との比高差を目の当たりにするといささか気が滅入ってきます。
 ただ登り始めると、あっという間に三の郭、本郭に至ります。ここまでの見所は堀切の深さと、見かけ上の郭の比高差の大きさという所でしょうか。また、本郭西側の郭に残されている石積みの土塁が特徴的です。本郭からは高見城、腰越城、小倉城などの方面が望めると現地の説明版には記載されていますが、早春のこの時期でも、冬枯れの木々の枝が多く視界がさえぎられて残念ながら見通すことはできませんでした。
 今回は普通のスニーカーで来ましたが、次回以降は数年ぶりにトレッキングシューズの出番のようです。下り坂の足の踏ん張りが楽であるのと、多少の勾配でも滑らずに登っていけるはずなので。それよりも体重をあと5kgほど減量しなくては、息は苦しいし足は重いし....(^^;




・2005年3月12日    スタイルシートが分からない③
           

 スタイルシートは確かに便利なのですが、元のHTMLの記述がいい加減だと行間などの制御にかなりてこずるということを納得しました。
 そんなことをやっているうちにアクセス件数がいつの間にか9000件をとっくに超えていました。8000番に引き続いてキリ番Getを連敗。次は記念すべき1万番なのでこれだけはなんとしてもしっかり見届けなくては。
 それにしても本当にありがたいことです。一日の来訪者の絶対数で40人前後、重複制御付のアクセス件数で50から100件前後をご覧戴いているわけですから、ひたすら来訪者の皆様に感謝をm(_ _)m




・2005年3月11日    スタイルシートが分からない②
           

 仕事の方のサイトもトップ頁にスタイルシートの枠を使いすぎて、かなりうるさい印象になっていることもあり、デザイン的な再検討が必要なようです。私用の方のサイトについては、いろいろとスタイルシートの記述を変えてみたのですが、どうしても上手くいきません。具体的に言うと、メニューテーブルの一行上のところに余白行が発生してしまうのです。
 そこでもうこうなったら最終手段として、テーブルの記述を一度撤去して記述を簡略にしたものを再設定することにしてみました。もちろん安全のためにテストファイルを作成した上で実施しました。
 結果はご覧の通り直りましたが、原因がはっきりとしないのが気持ち悪く、以前から気になっていた個所でもあり合点がいきません。推測ではテーブル内のリンク記述のなかに2か所ほどの不要な半角スペースがあったことが原因かもしれませんが。




・2005年3月10日    スタイルシートが分からない①
           

 ホームページの見栄えや、デザインの変更に関してスタイルシートが便利なことは分かっているのですが、「要素」「プロパティ」「値」などの概念からして、よく分からないので本格的な活用はしてきませんでした。しかし、全く避けて通るわけにもいかず、行間の制御、マージンの設定など限定的に使用していましたが、今後のことを考え少しずつ学習していこうということで、現在枠線に凝っています。
 ところがこのサイトのTOP頁は、初めて作成したページでもあるのでかなり汚らしいタグの記述になっている関係からか、Paddingを設定しても全然上手くいかず4時間ほど無駄な時間を費やしてしまった結果に終わりました。仕事の方でも誰もサイトのメンテナンスをする人間がいないので自分がやってます。そちらの方は概ね問題なくできたので、簡単に考えたのが拙かったようです。




・2005年3月8日    越畑城土産のオオオナモミ
           

 昨日、越畑城の訪城中に市野川の堤防で大量にくっついてきた植物の種を調べていて、やっと「オオオナモミ」というキク科の植物であることが判明。元来は北米原産の帰化植物だそうですが、帰化してからもうすでに75年ほど経過しているようです。この棘が爪の間に入ると結構痛いので、衣服から剥がすときが要注意。虫眼鏡でよく観察すると、棘が曲がっても簡単に折れず却って鉤状となるので取り外しにくいようです。

俗称「ひっつき虫」の一種 ( 「岡山理科大植物生態研究室のHP」を参照 )



・2005年3月7日    越畑城、武田信俊館、高見城訪城
           

(プロローグ)
 先週金曜日の降雪のため、土曜日は身動きできず、雪はどれくらい融けているのか....はて、どうしたものかと思案。しかしいくら考えていても仕方がなく、比企方面辺りならば問題ないだろうということで出発。
 ところが、いつもの通り、家を出たのはすでに午前10時30分を大分経過。ほかの人はいざ知らず、自分の場合はだいたいこんな時間から出かけるパターン。結果的に回れる城館の数と訪城に要する時間が制約を受けることは百も承知。前日にせっせと更新作業や翌日の訪城予定の資料を確認していると、いつの間にか日付が変わって寝過ごす。
 でも一度だけ午前8時に出発したことがあり、その時は10ヶ所近く回ることができたが、あとで写真と記憶の整理が混乱して....(^^;
 しかし、今日は何で困難道路が込んでいるのかというぐらいのひどい渋滞で。川越市の小仙波の道路工事が一番ひどく片側3車線の内2車線を通行止めにしているというとんでもない交通規制。道路改修が必要なほど路面は傷んでいなかったような記憶が....結局、最初の目的地に着くまで5ヶ所の片側通行止めの交通規制。景気回復の兆候か、単なる無駄遣いか。
 途中、東松山市の早俣橋を渡る際、未だに外秩父山地が降雪のため真っ白になっているのを目にしてやや慌てる。

■越畑城
 ある程度有名な杉山城の北西に所在し、入口に何も表示がないので非常に分かりにくいという評判の城跡。「嵐山町の中世」を入手していたので、航空写真に写っている高圧線の鉄塔と農業用水の位置から場所自体は問題なく一発正解。しかし、わたるべき橋が見当たらない。
 結局、関越のIC建設に伴う新しい道路まで戻り迂回することに。かくして、市野川の流れにより南側の防御が堅いことが判明(^^; 
 越畑城への入り口は2か所あり、1か所は関越の下を抜ける東松山37号地下道の西側から見て、南側の上り方向にコンクリートの階段がある。もちろん案内表示はない。関越のフェンスを左に見て、これをひぃーこら言いながら登っていくと、東側を削り取られ半分になった元本郭付近のピークに到達。ここはホームレスの定住地のようになっておりやたらにゴミが散乱。
 更に道に沿って真直ぐ南側に進んでいくと幾分下り坂となり少し上って景色が開けたところが愛宕神社のある二の郭。この場所へは東側から関越を跨ぐ歩行者用の陸橋があるが、当然その入口にも説明表示はない。二の郭の東側に小規模な腰郭状の地形があるのだが、当時のものか、後世のものかその判断に苦しむ。
 また、戦時中の陸軍軍人等により建立された越畑城址の石碑は東側の側道沿いの、これまた分かりにくい場所にあり、現地から携帯で嵐山町の担当課に確認してやっと所在が判明した次第。確かに、土地勘のないはじめて来た人間にはまず分からない場所にあり、訪城の時期も冬季限定の模様。

■武田信俊館跡
 小川カントリクラブの北側の上横田の輪禅寺が館跡。甲斐の武田氏の庶流で武田氏滅亡後に徳川家に仕えた一族で武田一族の墓も多く開基も武田氏とされている。遺構としては寺の西隣の墓地周辺に土塁跡が部分的に残されている程度で、北側の道路から見ると寺周辺が一塊の丘陵地帯になっていることが分かった。館の北側は市野川の支流が東流し、南側は深田となっており、東隣に建設されていた上横田会館の集会所付近も以前は館の領域に含まれていたのかもしれない。

■高見城(四津山城)
 杉山城の辺りからでも、その特徴のある台形状の山容はすぐにわかる。従って、その山の方向を目指していけばよいので、地理的には大変分かりやすい。しかし、途中の道は車のすれ違いがやっとというぐらいの狭さで、カーブが多く、水路もあったりするので暗くなったら間違いなく車ごと水没する可能性があるので注意が必要。途中から四津山神社というハイキングコースの指道標が丁寧に建てられているので、これもまた間違えようがない。駐車場は無いが、四津山神社への入口付近に2台ぐらいなら駐車可能な道路わきのスペースがあり、車を止めてとっとと訪城へ。
 と、これが神社への上り口で石段などが整備されているものの急傾斜で、ここでもひぃーこら言いながら犬走、本郭、二の郭、三の郭とめぐって、腰郭も一応全部確認して所要時間40分ほど。到着時点ですでに2時半だったが、1時間半を要しても午後4時なのでゆっくりと回ったつもりだったが、思案のほか時間を要せず。
 台形の山容そのままに、とこから見ても斜面の傾斜角度は30度から40度というように急傾斜であり唯一の地形状の弱点は三の郭の北西側の尾根筋ぐらいのもの。当然数ヶ所の堀切が施されており、地形的には杉山城よりもはるかに堅固な状態となっている。ためしに30度ぐらいの斜面の登攀を試みたが、木の枝などに掴まらなくては滑り落ちる状態に。予想していた降雪による影響は殆どなく、山頂からの眺望のよさに満足しつつ退城。

(エピローグ)
 3月に入り日差しも大分強くなり、確実に季節が移り変わりつつあることを肌で感じる昼間の暖かさ。山城や藪のあるような城館跡は早春までが訪城可能な時期なので、少し急がねば。比企郡、大里郡、飯能市などあと10個所ほどは訪城しておきたいと心に刻んではみたものの、HPの更新のことを思うと訪城の足が鈍る次第。




・2005年3月5日    部屋の立体化計画進行中
           

 事情があって、六畳の自分の部屋を明け渡し、四畳のパソコン部屋に引越し中です。四畳の方はもともとは納戸代わりの場所で、その後長女、長男と部屋の主が交代し、一時は観葉植物の温室代わりになり、現在は自分の最後の牙城となっています。合計十畳分のスペースから六割減となり、図らずも転封・減封の小領主の悲哀をまざまざと体験することとなりました(^^; もっともまだ階段の下に畳三枚程度の1800冊程度の本の書庫にしている領地があるのですが、次第に様々なものが入ってきて大事なものがなくなるという「入会地」化が進行中で、領主の裁量権が日に日に希薄となってきています。
 今日は本来は、川越館跡の現地説明会に出かける予定でしたが前日の天候不良のために中止となりました。しかしこの雪では山城方面の訪城は難しいので、日頃あまり行っていないHPのメンテナンスでもしておこうと作業をしていると、予定よりも早く通販に発注した天井つっぱり型の書架が配送されてきましたので、早速組立作業に突入。何分領地が狭隘なので、平面的な限界は立体化により解決するという以外にはなさそうで.....もっともリストラもしましたけど....対象は観葉植物の鉢ですけど.....泣く泣く切り刻んで数鉢を処分することに。
 しかし、組み立てを始めてみると、説明書が見えない、説明書を見ていると、ボルトがどこかに行ってしまう。ボルトを見つけると付属の六角レンチが見当たらない......やっと組み立て終わったら、大きすぎて階段を運び上げることができない.....(^^;
 そんな次第で、計画性が欠落し、老眼が進んだのと、さらに一層記憶力が低下したのと、手先が不器用になったのをつくづく思い知らされる結果と相成りました。




・2005年3月4日    日暮里のコンサート
           

 夕方、仕事が終わってから都内の日暮里までコンサートを聞きに出かけましたが、夜になって都内でもかなり冷え込んでいましたので、明日の朝の路面凍結が恐ろしい(^^; 埼玉県南の自分が住んでいる地域では今朝の雪は正午まで降り続いていましたが、思いのほか積雪は少なく深いところでも10cm程度で、どんどんシャーベット状になって溶け出していました。朝、出勤の時には念のため4駆モードで出かけたので全く問題はありませんでしたが、これが20センチの積雪の時には、やはりチェーンが必要となってきます。とはいえ、いつもは持ち腐れの感のある4駆の機能が発揮できて、めでたし、めでたし。雪が全く片付けられていないスーパーの駐車場でも全く問題なし(^^)
 しかし、また週末に雪が降って何時になったら比企・大里方面の山城の攻略ができるのだろう....(^^;
 さて肝心のコンサートの方は、足元の悪い中にも拘わらず小さなホールでしたがほぼ満員の状態で、音の響き方も前回の時よりもピアノの音量のバランスがよく2本の管楽器 ( FLとCL ) の音が完全に一つになって聞こえた瞬間が幾度もあったりして、新しい音楽的体験をしたような気分になりました。ロマン派から現代音楽までのプログラムでしたが、どうも最近の自分の観賞傾向として曲そのものよりも音の響きを楽しんでしまう傾向があるようです。平日の仕事の後の時間でしかもかなり寒そうで、実の所行こうかどうかを迷った所もありましたが、出かけて正解というコンサートでありました。
 ということで、演奏者のリリアーシュの皆さんに改めて拍手を送りたいと思います。ぱち、ぱち、ぱち........




・2005年3月3日    お蔭様でアクセス件数8000件
           

 HPの更新をしている最中に8000のキリ番を自分で踏もうと心に決めていたのですが、写真のキャプションを考えているうちに機会を逃してしまいました。あくまでもこのまま行けばの話しですが、夏が来る前には1万の大台に乗ることができるかもしれません。(^^)
 昨年の秋ごろの状況では10年はともかく軽く3年ぐらいはかかりそうな感じだったのですが、嬉しい誤算が生じてきたようです。いずれにしても以前にも増してコンテンツの充実を目指して日々努めて参る所存です......歌舞伎の襲名披露のような挨拶になってしまった(^^;



 
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