武田信俊館
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関連ページのリンク | 2005/03/07の日記 奈良梨館 奈良梨陣屋 越畑城 | |||||
おすすめ評価 |
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埼玉県比企郡小川町上横田1215(輪禅寺の境内) | ||||||
■「新編武蔵風土記稿」の記述によれば、上横田村は東は越畑村、西は高谷村、北は奈良梨村に接しとあるが、さほど広い地域でもないこの全ての村に中世城館跡が存在している。天正18年の後北条氏滅亡後、甲斐武田氏滅亡後に徳川家の家臣となっていた川窪(武田)新十郎信俊が翌年の天正19年に知行されたという。また、この地に所在する輪禅寺は、信俊が安養寺を長篠の合戦で討死した武田信玄の異母弟父武田兵庫頭信實の菩提を弔うために改修しその法諡にちなんで号したと伝えている。なお、信玄の甥に当たる信俊は始め武田姓を名乗っていたが、天正10年から甲斐国の所領地である川窪の姓を名乗ったという。 | ||||||
土塁 | ||||||
周辺の地理的特徴 | ■旧鎌倉街道上道が市野川の右岸を走り、館跡はその1km西側に所在する。北側は市野川の支流新川が東流し南側は谷沿いに水田地帯が延びている東西に細長い丘陵地帯に位置している。低い丘陵であるにもかかわらず平地に突出しているため、北側の高見城方面や東側の越畑城方面の眺望は良い。 | |||||
記録 |
・「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊) | |||||
無 | ||||||
2005/03/07 |
( 2005/03/07 撮影 )
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