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関連ページへのリンク  2006/05/04の日記 白旗館 太郎兵衛屋敷 武城 牧野陣屋
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態1 探し易さ5 交通利便4 体力消耗5 歴史経緯1 印象2 総合21
所在地
埼玉県桶川市大字上日出谷字愛宕996
歴史と沿革

不詳
 「埼玉の中世城館跡」などの資料によればかつては堀跡が存在していたという簡単な記述があるだけで、「桶川市史」にも近世の地誌にも関連しそうな記述がありません。 

確認できる遺構
なし
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■「埼玉の中世城館跡」に記されているポイントがずれているのか、自分の勘違いなのか分かりませんが、教音寺南側の道路から東西方向の地形を確認すると明らかに両方向から3mほどの緩い下り坂に位置していることが判明。また、北側から南にかけても同様の下り坂となっていることから館跡の立地条件としてはいささか腑に落ちない環境でした。

文化財指定
訪城年月日
2006/05/04
訪城の記録

( 2006/05/04 )
うーむ、何もない...何も分からない
 奇妙な名称ではありますが、まずすぐに思い浮かぶのが仏教用語(在家役賦課)の「在家」(ざいけ)かと・。しかし、そのことをもってして直ちに中世城館跡と結びつくかどうかについては疑問が。
 さて、館跡の所在地はおそらく真言宗教音寺一帯かと思われるので、お寺とその周辺の住宅地をぐるっと一周してみたものの、南側に緩い傾斜がかかる地形であったことが判明した程度でありました。「埼玉の中世城館跡」などの資料によればかつては堀跡が存在していた模様ですが、現在ではどう見てもごく普通の市街地の中の住宅地とお寺の風景でありました。また、南西200mの至近距離に位置する「白旗館」との関連が気にかかるものの、現状の地形からだけでは想像力をかきたてるのは難しいようです。

記念撮影訪城アルバム
ぜーけ



 元々2〜3mほどの比高差があったようで、写真の教音寺境内もコンクリートの擁壁で造成されていました。本来は南側の新しく建設された道路に向かって台地が傾斜していたものと思われました。真言宗教音寺は「桶川市史」によれば天長年間の建立を示唆していますが、「新編武蔵風土記稿」「寺院明細帳」(明治12年6月内務省通達により提出)では「教音庵」として記され、開山・開基などの由緒は不詳とされています。

( 2006/05/04 撮影 晴れ )
交通案内

・真言宗教音寺を中心とした一帯と推定される。
いつもガイド の案内図です 地図サイトいつもガイド 

凸地誌類記述の状況
「新編武蔵風土記稿」記述なし
「武蔵志」
記述なし

凸参考資料
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など
「桶川市史 第3巻 古代・中世資料編」(1985/桶川市)
「桶川市史 通史編」(1990/桶川市) 
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