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城館跡の名称
関連ページのリンク  2006/02/27の日記 寺山砦 竜ヶ谷城 秩父氏館(鳥方城) 小暮城
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態7 探し易さ5 交通利便4 体力消耗5 歴史経緯3 印象4 総合31
所在地
埼玉県小鹿野町大字下小鹿野字奈倉18ほか
歴史と沿革

奈倉氏三代の居館
 「現地解説板」などによれば奈倉加賀守行家(1459-1552)の時にこの館を築き、重家、下野守重則(1529-1570)の三代にわたりその居館として使用されましたが、永禄13年(1570)の武田勢の秩父侵攻により重則は討ち死にし落城したと伝えられています。しかし、当時の記録や近世の地誌類にも殆ど登場していない謎に包まれた館跡のようです。僅かに「秩父志」の下小鹿野村の項に、「字名倉という所あり 納倉にて昔の郷倉の所なり」と記されているのみのようです。

確認できる遺構
石塁、小口?
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■赤平川が東方、北方、西方と激しく流れを変える左岸の段丘上に所在し東西南北約100mほどの範囲が館跡として推定されています。段丘の北辺から東辺にかけて、内側で高さ50cmから1.4m、延長約70メートル程の小口状の切れ目を有する石塁が残されています。部分的な発掘調査では館跡に繋がる埋蔵物は確認されていないとのことです。

文化財指定
小鹿野町指定史跡 1962年9月20日指定
訪城年月日
2006/02/27
訪城の記録

( 2006/02/27 )
暮れなずむ城館跡の石塁
 どこと無く見覚えのある地形だと思っていたら、何と以前に何度か訪れたことのある小鹿野町指定天然記念物である新世紀第三紀堆積層の「ようばけ」のすぐ近くでした。館跡は北から西へと大きく蛇行する赤平川に面した左岸の段丘上に所在していて延長にして70メートルほど、高さ1m前後の川原石などの石塁が崖の先端部分にL字型に遺されていました。西側のほうには小口らしい石塁の切れ目や崖下からの小道なども所在していてますし、枯れ草が蔓延って視界を妨げるようなこともありません。また、現地には大変ていねいで詳細かつ頑丈な解説板が立てられ、皆野町の千馬山城訪城以来のことなので嬉しさが募りました。訪れた時刻が曇天の午後3時45分から午後4時30分までということで、全く人気のない暮れなずむ城館跡の風景はどことなく侘しさを漂わせていました。

記念撮影




 曇り空で夕闇が漂い始めていましたので所在地だけ確認して訪城せずに帰宅しようかとも思ったのですが、人里はなれた山城でもなく道に迷う心配もなさそうなことから訪城決定。赤平川の渓谷の様子や「八幡沢の滝」と呼ばれるさほど水量が多くない高さ数メートルほどの小さな滝というか岩肌を水が流れている光景などをゆっくりと観察してからこの石塁とご対面。

( 2006/02/27 撮影 曇 )
訪城アルバム
■1■案内標識
 久しぶりに出会った親切な案内標識で方向音痴の自分のようなものにとっては大変ありがたい存在です。
■2■八幡沢
 館跡の西側を画す存在ですが、川幅も4、5mほどとかなり狭く、その深さも1mから1.5mなので、こうした現状からでは西側の防御としては余り役立ちそうに見えませんでした。
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■3■石塁の上部 画像クリックで拡大
 東側の角部分から西側方向を撮影したもの。使用されている石には赤平川の丸みのかかった川原石なども目立ちます。
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■4■石塁の全景 画像クリックで拡大
 下の「5」の小口部分付近から東側の石塁の様子を撮影したものでL字型に石塁跡が残されているのがはっきりと分かります。
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■5■石塁の切れ目 画像クリックで拡大
 北辺の石塁の中央やや西よりの部分にこのような小口状の切れ目が存在し、そこからのびる小道が赤平川の川原へと向っているようです。
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■6■石塁の外側部分 画像クリックで拡大
 左下方を流れる赤平川との比高差は約20mほどありますが、奈倉館の所在する河岸段丘は東側の部分を除けば、それぼとの絶壁を形成しているという感じではありませんでした。
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■7■館跡に立つ現地解説板
 過不足のない実に適切な解説が記されていました。これによれば「内手」「堀の内」などの地名が残されているようです。
■8■妙見宮
 奈倉重家が永禄元年(1558)に、秩父妙見社(秩父神社)から勧請したと伝えられている古社。館跡の南西部の外れに所在しています。
■9■奇勝「ようばけ」
 小鹿野町指定天然記念物である新世紀第三紀堆積層が赤平川右岸の南側に面した崖沿いに露出しなかなかの奇観を呈しています。「ようばけ」は「陽のあたる崖」が転訛したものだという説があるようです。
交通案内

・「おがの化石館」の北400m、奈倉橋の南東の河岸段丘上。
いつもガイド の案内図です 地図サイトいつもガイド 

凸参考資料
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)、「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)、
「秩父の文化財」(1990/秩父郡市文化財保護協会)「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)、
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)、「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「秩父郡誌」 (1972/秩父郡教育会編)大正13年出版の復刻本、)、「中世の秩父」(2001/秩父地区文化財保護協会)
「秩父志」「増補秩父風土記」(「埼玉叢書」の国書刊行会より出版された復刻本より)、
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店) 

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