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2007/03/04のブログ 杉山城(旧版) 越畑城 二ノ宮山 | |
おすすめ評価 |
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埼玉県比企郡嵐山町大字杉山字雁城 | |
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本郭、南2の郭、南3の郭、出郭、馬出郭、東2の郭、東3の郭、北2の郭、北3の郭、井戸郭、帯郭、腰郭、土塁、空堀、小口、井戸跡ほか多数 | |
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埼玉県指定文化財 1946年3月29日指定 | |
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2007/03/04 |
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画像クリックで拡大 ( 2007/03/04 撮影 ) |
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![]() 画像クリックで拡大します。(別画像を含む) 各遺構の呼称は「埼玉県指定史跡 杉山城跡 第1・2次発掘調査報告書」より引用させていただきました。
以下のものは2004年9月15日に撮影させていただいたものです。
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![]() ・嵐山町立玉ノ岡中学校西側の比高差50m弱ほどの丘陵。 |
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凸地誌類・史書・古文書などの記述
■新編武蔵風土記稿 比企郡杉山村の項に 「村の中程にて、小高き丘の上の千五百坪(※約5千㎡)ばかりの地をいう。一説に往昔金子十郎家忠の、居住なりしといえど詳らかならず、又の伝えに中古上田氏の臣にて庄主水(或いは杉山主水とも)という者住せし所とも云えり、按に隣村越畑村にも庄主水が居住の地(※越畑城)あり、これ当国七党(※武蔵七党)の内、児玉党の庄権頭廣高、庄太郎家長等が子孫などにや、又北條家人にも庄式部少輔、庄新四郎の名見えたり、若しくはこれらの一族ならん」(※一部注記を加えて便宜上現代文に表現) と記されています。なお、遺構が存在する部分の総面積は凡そ3万㎡ほどと推定されますので、千五百坪との表記はどう考えても明らかな誤りであるとものと考えられます。 なお、 ■武蔵志 杉山村の項に(加筆)(城)と付された上で「古■連山ノ■(頂-「越畑城」の記述から当方が勝手に推定しました)ニ在 上■(田-加筆)氏ノ臣杉山■■■(主水カ住セシト云-加筆)」と記されているのみで、「新編武蔵風土記稿」の記述と比べて遥かに簡素な内容となっています。 |
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凸主な参考資料
「埼玉の中世城館跡」(1988/埼玉県教育委員会) 「関東地方の中世城館」2埼玉・千葉」(2000/東洋書林) 「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊) 「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)・) 「埼玉県史 資料編6中世2古文書2」(1985/埼玉県) 「埼玉県史 資料編8中世4記録2」(1986/埼玉県) 「埼玉県史 別編4年表・系図」(1991/埼玉県) 「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣) 「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県) 「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店) 「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など 「歴史ロマン 埼玉の城址30選」(西野博道 編著/2005/埼玉新聞社) 「戦国の城」(藤木 久志 監修・埼玉県立歴史資料館 編集/2005/高志書院) 「嵐山の中世」(嵐山町博物誌第五巻 嵐山町1997年発行) 「杉山城保存管理計画書」(1992年嵐山町教育委員会発行) 「嵐山町史」(1983年嵐山町編集発行) 「埼玉県指定史跡 杉山城跡 第1・2次発掘調査報告書」(2005/嵐山町教育委員会) ![]() ・2007/07/06 HPアップ |
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